第2話

 私は誰もが知る悪役令嬢、ワルイザ・ハーンテッド。今日もヒロイン苛めて留飲下げてきたところ。貧乏人が王子に近付こうなんて生意気なのよ。王子は私だけのもの。私だけの婚約者。でもそろそろお役御免かしら。流石に王子も私の行いの数々に眉をしかめて来た。でも私は悪役令嬢だから、別に構わない。そう言う生まれだと理解している。あのスコポヨした平民にはせめて舞踏会でヒールの着いた靴で足を踏んでやることにしよう。


 それにしてもなんだか城内が煩いわね。何かあったのかしら。窓から外に乗り出していると、見覚えのある牛と巨大なからくりの箱が城門近くに止まっていて、人々が集まっている。

 ぱっと私は久し振りに何の屈託もなく笑った。


「ライカー! ライカ、来てたなら私に知らせてくれれば良いのに! 今日のメニューは何? 鳥獣のスープ? 猛禽の目玉煮? それとも、緑の唐辛子のハンバーグ!?」


 飛んで火に入るように私ははしたなく走って民衆を跳ねのけ、そのにこにことした笑顔に抱き着いた。ついでにアルデにも、ぎゅーっ。


「姫様、またいらして頂けて光栄ですけれど、順番は守る事。最初に言いましたよね?」


 ぽこんと頭を叩かれて、私はハーイっと答えて列の一番最後を探す。領民たちは私が部屋から飛んで来たのによっぽど驚いたらしく、ヒソヒソしている。でも関係ない。こちらです、と衛兵に導かれる。甘い匂いが漂ってるから、にっこにっこしていると、視界の端に王子が写る。でも今は無視だ。あの女もいるからこの『きっちんかあ』の噂を聞いたのかもしれない。

 ぱしゃぱしゃ写真の音が聞こえて、列が進んでいく。そこでおい、と横柄な物言いで言葉を掛けられ、じとっと振り向くと、王子と平民娘が連れ立っていた。


「何の騒ぎなんだこれは。ターニアに訊いたがさっぱり解らない。簡易レストランと言う割に人々はあちこちで飲み食いしている。交通にも滞りが、」

「今日は良いんです、城前広場が一番広いのは王子もご存じでしょう?」

「だからと言ってこんな秩序も何もない、」

「だから今日は良いんです! 味わってしまった方が分かりやすいでしょうからターニア、あなたこの人を連れて一番後ろに並びなさい! じゃないと無くなっちゃうわよ!」


 ぐいぐい押し寄せてくる人並みに自然と私達は分かれて行く。

 甘い匂いが腹をそそる。何だろう? 懐かしい。トップになって鍋を覗き込めば、わあっと自然に唾液が垂れた。そこをパシャッとやられて私は軽くライカを睨む。


「本日はアルジャータ名物トウモロコシで作ったコーンスープですよー」

「やったね! サイズは大で、牛乳用のジョッキも三つ!」

「あら、誰か御連れさんですか?」

「融通の利かない男と説明下手な次期女王のためにね! 今日ぐらい悪役令嬢やめたって良いじゃない!」

「相変わらず強いですねえ、ワルイザお嬢様は」


 グラスとスープの入った大きなお皿を受け取って、私は牛乳を勢いよく絞る。ちょっとへたって来てるから違う乳首も試してみたけど、やっぱり同じだった。これはスープより先に牛乳がなくなりそうだな。早く持って行ってやろう。と、姫様の乳絞りを見た連中を搔き分けて行く。


「はいっ王子、ターニア。お代は向こうで払って下さいね。これは牛乳と言って牛の乳です。人肌の温かいうちに飲んじゃってください」

「あ、ありがとうございます、ワルイザ様……」

「あっあ、ありがとう」

「お礼はライカ――店主にどうぞ」

「お前に牛の乳絞りなんてできるとは思わなかった」

「前に来た時習ったんですよ、忙しくキッチンカーと牛を行ったり来たりしてる姿を見て行列もさばけなくて。それで教えてもらって、自分の分は自分で注げるようにしたんです。ホラ冷めないうちに、ぐぐっと」


 私はどの辺に座ろうかなーと思っていると、牛乳がまずカンバンになった。この商人用語は前の前にライカが来た時に教えてもらったものだ。そして王子を待たず、コーンスープもなくなってしまう。


「ああ……」


 しょぼん、とした肩を撫でるターニア。何せこのキッチンカーはいつ何をさばいているか分からないのだ。一期一会、って奴だと思う。仕方ない。三分の二ぐらい残ってるスープを、私は二人に押し付ける。


「ワルイザ様?」

「二人で食べるには十分でしょう。牛乳でお腹も温まってる頃だし、スプーンがお嫌なら店主に新しく貰って下さいな。べ、別に長い事並んで貧乏くじ引いた二人への施しなんですからね、こんなのっ」


 むぎゅ、と室内履きでターニアの足を踏むと、くすくす笑われた。こんなのも良いのかなあと思うけれど、今日はライカもいるから、その所為だろう。あの人は私の数少ない友人と呼べる人だから、猫も鬼も被ってはいけない。部下にしてやっても良いのよ、と言った時もやっぱり断られた。


 この人は自由な人だ。城から滅多に出ることもない私達とは違う。でも自由ゆえの不便さも一緒に知っている。ひと気のない荒野にだって、この人は牛の気の向くまま行くのだろう。もしかしたら地図を変える人になるのかもしれない。こんな彼女を友人として持つのは、誇らしい事である気がする。

 ふすっと笑うと、パシャッと『かめら』の音がする。

 じろりと睨めば、くすくす笑うライカがいる。


「そのジョッキ、お二人に差し上げたんでしょう? でしたらお代は頂かないと」

「私が買い取るっ!」

「良いですよ、コピー取りますね」

「こぴぃ? それも商人用語?」

「いえいえ……ほら、出来ましたよー」


 べー、と出て来た紙を一緒に覗き込んだ王子とターニアは、ふすっと笑い出した。私は赤くなる。

 三人並んで牛乳髭着けて今まで行動していたなんてっ……こんな屈辱、絶対絶対許せないんだから!

 慌ててごしごし腕で口を拭うと、二人がライカに話しかけている。どうやら自分達も欲しくなったらしい。平民のターニアの家から写真を盗むのは簡単だろうけれど、仮にも城に住んでいる王子の部屋は厄介だ。日に焼けて真っ白になって欲しい。


 ああもう、このワルイザ・ハーンテッドがなんて失態! 柄にもないことするからだわ! やっぱり私は悪役令嬢が性に合ってる! 明日からもターニアには貴族的指導と言う名の折檻をしてやるんだから!


 しかし王子とターニアが例の写真をあちこちに見せびらかしていく所為か、私の行動はいわゆる『ツンデレ』扱いされることになったのはまったくの不名誉だった。王子狙いだったりがちごちになっていた貴族の令嬢たちには爪はじきにされながら、結局呼ばれるのは王子やターニアの開くお茶会にだけ。


 あーもうライカってば、次に来た時は私の盛装写真撮らせて各国の王太子に投げつけてやるんだからあっ!


 と思ったら王子の弟に求婚されて――しかも王の御前で!――私は私で幸せになってしまった。こういうルートもあるのかと自分でもあんぐりしてしまった。名残惜しいのはキッチンカー。いつか夫と連れ立っていきたいものだ。四人そろってロイヤルに。今度は魚が良いな。サンマのみりん干しとか美味しい。本来ジャンクフードではないらしいけれど。

 ちゃんと並ぶんですよ、なんてこの三人に言えるのは私ぐらいだろう。あと牛乳。牛乳には気を付けよう。


 今度ライカが来るのはいつになるかな。結婚したことを教えたい。まだ十歳だから正確には婚約者だけれど、扱いはすでにロイヤルだ。こういう形で王宮に取り入る予定ではなかったのだけれど、父上たちは十分らしい。

 私の幸せの末端に夫が見たライカの写真があることは、ちょっとだけ笑える出会いの始まりだった。

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