仏像
日課である犬の散歩をしている時の事だ。その露店はさも当然かのようにそこにあった。
(見ない顔だ)
数十年前に隠居先としてこの町に越してきて、数年前から犬の散歩コースとしてこの道を通り続けて来たが、あんな露店が開かれているのを見た事が無い。そのまま通り過ぎても良かったのだが、愛犬は何を感じ取ったのか露店の前で座り込んでしまった。
(まぁ…暇つぶしにはいいだろう)
このように地面に品物を並べる露店のたぐいに興味を持った事は無いが、折角の機会なのでじっくりと商品を眺めてみる。古い切手やどこの国の物か分からないコイン、指輪や首飾りのようなアクセサリー、さらには仏像まで置いてある。小物に関してはビニールの袋に入れられていて、なにやら紙が表面に貼られていた。値段かと思ったがパッと見た感じ違うようだ。
「気に入ったものはありましたか?」
先ほどから何も喋らなかった店主らしき男から、急に声を掛けられた。商品に向けていた目を店主に向けて、改めてその容姿を確認する。目が見えない程目深に被ったボロボロの帽子がまず目を引いた。そして服装はやはりボロボロのスーツ、とても客商売をするようには思えない。しかし以前テレビでだらしない格好をして、都会のど真ん中で露店を開いている若者を見た事がある。まともな店構えで無いのならば、服装もそれ相応にするのが流行りなのかもしれない。
「古物には疎くてな、良し悪しは分からない」
若い頃は歳をとればそういった物の良さが分かって来るかと思っていたのだが、年老いた今の趣味と言えば犬の散歩が精々だった。物を大事にしろと子供の頃からしつけられた影響か、無駄遣いをするタチでも無い。同じ機能ならばわざわざ高い物を買うという事も無いし、欲をかいて必要以上の金を儲ける気も無い。私はきっと、一緒に田舎に引っ込んでくれた妻と共に静かに生涯を終えるのだろう。
「左様ですか。確かに、古い物なんてそんなもんです」
飄々とした店主の態度は、やはり客商売をするようには思えない。ただ不思議と不快感は無く、私はこの店主にタヌキのような印象を抱いた。
「しかし私や貴方のように良し悪しが分からない人間と違って、この子は何かを嗅ぎつけたようですよ?」
そう言いながら向けた店主の視線を追うと、そこには仏像のすぐ近くに座って臭いを嗅いでいる愛犬の姿があった。
「これ、商品に触ってはならんぞ」
軽く紐を引くと、愛犬は素直に私の足元に戻ってきた。
「よく躾けられていますね」
「飼い主として当然の義務だ」
私の言葉に、店主はどこか嬉しそうに頷いている。まったく、こんな当たり前の事で喜ばれても対応に困る。昨今ペットはおろか子供の教育がなってないと聞いていたが、飼い主や保護者達は一体なにを考えているのか。
「良ければ見てみますか?貴方の愛犬が見出した逸品かもしれませんよ?」
そう言って店主は先ほどの仏像を差し出してきた。大きさは30cmほど木製のもので、仏教なんて知らない私からすればなんの神を象ったものなのか見当もつかない。ただ、その慈愛に満ちた顔には不思議と惹かれるものがあった。
「………」
私は差し出された仏像を慎重に両手で受け取る。柔らかに感じる肌触りに、一瞬本当に木製なのかと疑ってしまった。
「いい貌だと思いませんか?まさに人を救い続けて来た仏様といわんばかりの表情でしょう」
「ふむ」
つい先ほど考えていた事を読まれたかのようで、少々心が乱される。さておき、実際この仏像の表情は見事なもので、私はじっくりと観察するために仏像を真正面から…。
「…え?」
突然、目の前が真っ白になった。
「…ここは?」
まるで影というものが無くなったような世界の中、一人の男が目の前に居た。男は作業着のような着物を着て、あぐらかいて地面に座り込んでいる。
「………」
声を掛けようと思ったが、一瞬で喉から出かかった声を飲み込んだ。なぜならその男は、一心不乱に小刀を使い彫刻を彫っていたからだ。
「…まさか、この仏像なのか?」
彼の手の中で、その仏像はどんどんと形作られていく。まるでビデオの早送りのように、木片はあっという間に仏の姿に変わっていった。しかし見事な腕で仏像を彫り続ける男の顔は、何故か怒りとも悲しみともとれる暗いものだった。
「…完成か」
彼の手を離れた木片は、見事な仏像となっていた。その慈悲深い表情はまさに先ほど手にした仏像で、私はいつのまにかこの作り手であろう男に尊敬の念を抱いていた。
(…しかし、何故)
彼は完成した仏像を目の前に、必死さを感じる表情で手を合わせた。こういったものは人々に安らぎをもたらすものだと思っていたが、この男は一体何を思って手を合わせているのだろうか。
「…あ」
次第に真っ白だった周りが暗くなっていき、今度は目の前が真っ暗になった。
「…クゥーン」
愛犬の声と、足元にすり寄ってくる感触に我に返る。いつの間にか目をつむっていた事に気付いて目を開けると、そこには手に持った仏像の顔があった。
「…いまのは?」
私はすぐさま店主へと質問を投げかける。普通に考えれば今私が経験した事を店主が知るはずも無い。しかし、私は確信を持って店主へと問いかけた。
「この仏像の記憶です」
どこか道化師めいた口調で店主は答えた。私が白い世界で見たものを、どうやら店主も知っていたようだ。
「ならばあの男は」
「この仏像の作者です」
白い世界で見た通り、この仏像はあの男が作った物で間違いないようだ。それならば、何故あのような表情で仏像を彫っていたのかもこの店主は知っているのだろうか。
「彼の心境が気になりましたか?」
私が質問をしようと思ったところで、店主の方からそれを確認してきた。やはりこの店主は心を見透かしているのではないか?いや、単に私が興味がありそうな事を先んじて言っているだけだろう。それに乗るのも少々悔しいが、気になっているのは事実だ。その答えをしっているのならば、店主として答えて貰おう。
「ああ、あの男は何を悔やんでいたのかな?」
「はい、あの男は自身の所業を悔やんでいました。あの男は仏師ではなく贋作家だったのです」
「贋作家…なるほどな」
ならばこの仏像は、何かしら価値のある仏像の偽物という事になる。
「元々は手先が器用なだけの男だったんですが、そういった技術だけが一級品の人材は、良くも悪くも人の目に留まります。彼に目をつけたのは詐欺師でした。その仏像のオリジナルは非常に高名な作家の品で、それを手に入れる為に詐欺師は男に贋作を作らせたのです」
「…よくある話だ。大方断れないような事情でもあったのだろう。良心の呵責を持ったが故の苦悩か…」
「ええ、一昔前なら…いや、現代でさえもよくある話です。なまじ仏像の本来の持ち主の事を知ってしまった為、彼の苦悩はより大きい物になった。詐欺師曰く、『価値の分からない奴がただ拝むだけなら、本物だろうが偽物だろうが同じだろう』とのこと。本来の持ち主は、ただ仏様を熱心に拝む生い先短い老夫婦でした」
詐欺師の策が上手くいったのかいかなかったのか。どちらにしても、老夫婦は満足して逝けたのではないかと思う。本物の仏像がどうかは知らないが、この仏像からは形容しがたい仏の心というものを感じる。いままでそういった神霊や迷信を信じた事が無かった私がそう感じるのだ、その老夫婦ならばもっとだろう。
「老夫婦の事情を知った男は、『例え贋作だとしても、仏の救いが宿りますように』と全身全霊の想いを込めて仏像を作りました。見る人が見れば、むしろ男の作った仏像にこそ、価値を見出したかもしれませんね」
「…ふん、その詐欺師は節穴だったか?この仏像を作った男は、その後大成したのかな?」
私の質問に、店主は心底残念そうなため息を吐いた。
「残念ながら。腕が良いだけじゃ生きていけない時代でしたからね」
「そうか」
これもよくある話だ。磨けば輝く宝石も、土に埋まったままでは意味が無い。ましてや悪意を持って持ち去ったり隠したりする輩も存在する。自ら土から這い出るか、拾い上げてくれる者に巡り合うか、今も昔も世知辛い世の中だ。
「ところでその仏像、買いますか?」
店主の声に、すっかり手に馴染んでしまった仏像を改めて見る。
「いくらだ?」
「一万円です」
とりあえず値段を聞いてみると、えらく安い値段を提示された。無名の作家の作った贋作の仏像なので仕方無いのかもしれないが、非常に納得のいかない評価である。
「安いな」
「実際そんなものですよ、どうします?」
「買った」
即決で購入を決め、財布から手持ちの札を全て引き出して店主に渡す。
「ちょっとちょっと、多すぎますって」
「チップ代わりだ、取っておくといい」
私が店主に渡した金は、店主が提示した金額の何倍もするものだった。店主がうろたえるのも当然だが、私はこれでも安いと思っている。
「君はこの仏像を一万円としたが、私はそうは思わない。例えこの仏像の世間での価値がそうだとしても、それは付加価値を含まないものだ。店主はこの仏像の来歴を知り、いつか売るために管理保管をして、私相手に最高のプレゼンテーションをしてくれた。それら諸々を含めれば、この仏像を買うにあたって支払う代金として少なくはあっても多すぎる事は無い」
「………」
呆然と私を見上げる店主に、私はさらに続ける。
「私も話の老夫婦同様先は長くない、ならばこの仏像を毎日拝んでいれば少しは閻魔の機嫌も取れるかもしれん。人間生きていれば多少なりとも罪は犯す、私も人並みに罪を犯して生きてきた。この仏像ならば、それらの罰を帳消しにして貰うための祈りも仏により届くだろう」
「…それを言うなら、物の値段の何倍もの金を受け取った自分は詐欺師って思われたりしませんかね?手口としては似てませんか?あんまり価値の無い物を口八丁手八丁で売ってますし。さっきの話だって、ただのホラ話かもしれませんよ?」
まるで厄介者のように、渡された紙幣を振りながら店主は言う。
「まだ先がある若者が何を言う。若い内に罪を犯したとしたならば、その後の人生を使って償えばいい。そのチップを受け取るのに引け目があるならば、その引け目が無くなるまで働く事だ。最後に神頼みをするのは、終わりの近い年寄りだけで十分だろう」
「…わかりました。当商店に多額の寄付をしてくださってありがとうございます。今後のお客様の為に、有効的に利用をさせて頂きます。…まったく黒字なのに赤字の気分だ」
店主はさらに帽子を目深に被り直し、やや棒読み気味に礼を言うと最後に愚痴を付け加えた。
「赤字黒字は最後に勘定するといい、具体的には三途の川だ」
「はいはい、それじゃもう店じまいだ。お犬様も退屈してますよ」
「おお、悪い悪い」
しゃがみ込んで愛犬を撫でる。十分に機嫌を取ってから立ち上がると、さっきまであった露店は店主と共に消えてなくなっていた。
「…やはりタヌキか?」
改めて抱えた仏像を見ても葉っぱに変わる様子は無い。ふと底を見てみると、そこには文字が刻まれていた。
『元禄六年 〇〇』
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