古物商

@butahako

切手

 学校から帰る途中、私は昨日まで見かけなかった小さな露店に興味を持ってしまった。場所は住宅街。以前から誰も住んでいないし所有者も分からない、ボロボロになっても放置され続けている一軒家の廃屋の真ん前だ。


(何を売ってるんだろう?)


 何故か無性に気になってしまった私は、普段気にも留めない露店というものにフラフラと吸い寄せられていった。まだ明るいし、それなりに人通りがある場所だったので安心感もあったのだろう。普通に考えたら、怪し過ぎて誰も近寄らないところだ。


(アクセサリー…じゃない)


 とりあえず並んでいる品物を眺めてみると、主にコインや切手が多く並べられていて、大体の物がチャック付きのポリ袋に入れられていた。

 あんまり良く分からないけど、これはいわゆる古銭とか珍しい切手なのだろう。それ以外の物についても年季が入った物ばかりだし、この露店はアンティークの品物を扱っている店のようだ。


(でも、何でこんなところで?)


 品物に向けていた視線を上げて店主さんを見ると、30代くらいのおじさんだった。つばの広い帽子を目深にかぶり、服は何故かスーツ。そしてそれらは長い間ずっと身につけ続けていたのか、帽子も服も裾がボロボロだ。


「気に入った物はあったかな?」


 突然話しかけられてビックリした。

 いや、私の方から店主さんの方を見ていたのだから突然では無いのだけど、まさか話しかけられるとは思いもしなかったからだ。よく通る声とはこのような声の事を言うのだろうか、店主さんは例えるならニュースのキャスターさんのようにとても聞き取りやすい声をしていた。


「え、あ…まだです」


 慌ててそう答えた私は、何故か気になる物は無いかなと必死で品物を探し始めた。律儀にも程があるけど、聞かれたからには答えないと悪いかなと思ってしまったのだ。


「あ…これ」


 そんな中で目に留まったのは、一枚の切手だった。私がその切手を指差していると。


「これね」


 店主さんはその切手をひょいっと手に取り、裏面を確認する。チラリと見えたけど、ポリ袋の裏には何か説明書きのような紙が貼られていたみたいだ。


「じゃあ…千円だね。見てみるかい?」

「ええぇ…と」


 何故か私が買うような流れになってしまっていた。


(こういう押し売りかー…)


 やっぱり無視して帰れば良かったと後悔する。しかしその切手の絵柄が気に入ったのも事実だし、千円という値段も絶妙だった。ちょっと我慢すればお小遣いに影響しない額だし、それくらいならいいかと思ってしまう。


「じゃあ…これで」

「お買い上げありがとう」


 私から千円を受け取った店主さんは、切手をポリ袋から取り出した。てっきり袋ごと渡してくると思っていた私がその様子を眺めていると、店主さんは私の手を取って切手を手のひらの上にヒラリと乗せる。


「目をつむってみて、ちょっと驚くかもしれないけど大丈夫。面白い物が見られるよ」


 目深にかぶった帽子で見えないのに、何故か店主さんが私の目をじっと見つめているような感覚に襲われた。私はその視線から逃れるように、思わず目をつむってしまう。


「…え?」


 瞬間、目をつむって真っ暗なはずの視界に、見た事も無い光景が見え始めた。場所は何かの窓口のような所で、カウンターには外国人の女性が座っている。受付嬢らしき彼女は、目線を手元に落として何かを書いているようだ。


「これは…」


 すると、その女性が顔を上げて何かに気付く。受付嬢の視線の先から現れたのはやはり外国人の小さな男の子だ。男の子は封筒を一つ持っていて、それを背伸びしてカウンターに置く。受付嬢がその封筒を確認すると、少し困ったような表情で男の子に向けて何かを話し始めた。


(郵便局?)


 受付嬢の話を聞いて男の子はがっくりと肩を落とし、その肩を震わせながら静かに泣き始めてしまった。そんな男の子にどう対応すればいいのかと、受付嬢は困った顔をしたまま封筒を持ち続けている。


(お金が…足りなかったのかな?)


 音も声も聞こえない為憶測でしかないけれど、多分間違ってはいないんじゃないだろうか。


 すると、受付嬢が何かに気付いたように後ろを向いた。そこから現れたのはヒゲを生やした外国人の男性で、ここが郵便局だとすると局長さんっぽい雰囲気を醸し出していた。男性はカウンターから回り込んで、泣いている男の子の近くにまで移動する。そしてしゃがみ込んで男の子に目線を合わせると、頭を撫でて慰めてあげていた。

 そして男の子が落ち着いたのを確認すると立ち上がり、カウンターに肘をついて受付嬢と何かを話し始める。受付嬢はその話を聞いて先ほどとは別の感じで困った顔をしながら、男の子の持って来た封筒とペンを男性に差し出した。男性はその封筒に何かを書くと、その書いたところを男の子に見せてあげる。すると男の子は笑顔になり、それと同時に段々と視界が真っ暗になっていった。


「どうだった?」


 店主さんの声に、私は意識を取り戻した。さっきまでの光景は何だったのか、まるで立ったままで眠っていたような感覚だ。手のひらにはもう何も乗っていなくて、店主さんはさっきの切手をポリ袋に戻していた。


「あの…私が見ていたのは…」


 私の質問に、店主さんは口元をニヤリと歪ませる。


「この切手の記憶だよ。何でこの切手が世に現れたかという経緯だね」

「…切手の?」


 店主さんは袋に入れた切手を、絵柄が見えるように私にかざした。


「〇〇って画家を知っているかい?」

「…名前だけなら」


 店主さんが言った名前は、多分世界の誰もが知っているような画家の名前だ。私が知ったのは美術の授業で、その絵がとんでもない価格をしているという事ぐらいしか分からない。


「この切手はね、その画家が描いたものなんだ」


 店主さんのその言葉に、私は切手の絵を注視する事でしか応えられなかった。


「さっき君が見たのはまさにそれでね。画家が子供の頃、遠い戦地へ赴いた父親のために手紙を送る所さ。その封筒には切手ではなく画家の書いた小さな絵だけが描かれていた。どうやら子供の頃の画家は、綺麗な絵が描かれていれば手紙を送れると勘違いしていたようだね。嬉々として持ち込んだ郵便局で、当然のごとくその手紙が送れないという事に気づき泣き出してしまった」


 さっき見ていた郵便局の光景が目に浮かぶ。確かに何も知らない子供からすれば、封筒に付いている切手はただの綺麗な絵にしか見えなくも無いだろう。


「そこで機転を利かせたのがそこの郵便局長だ。彼はその封筒の絵を見て、これは父親の所まで手紙を届けるのに十分な価値を持った絵だと言って。その封筒が画家の父親の元に届くようにと、一筆書き加えてくれたのさ」

「そういう事だったんですね」


 店主さんの説明で、先ほどの光景が補足されてスッキリした気分だ。男の子の健気な気持ちも、局長さんの粋なはからいも、心が温まる良い話だった。


「じゃあはい、大事にしてね」


 そう言って、店主さんは私の手に切手の入ったポリ袋を手渡してきた。


「ちょ!?話が本当だとしたらこの切手とんでもない物なんじゃないですか!?それをたった千円で売っちゃって良いんですか!?」


 本当に〇〇という画家の物ならば、こんな小さな切手でも相当な値段で売れるだろう。この人はそんな価値がある物をなんでこんな所で売っているのだろうか。


「じゃあ聞くけど、〇〇って画家の絵ってなんであんなに高く売れる物なのかな?」

「ええっ!?…それは、絵が上手いから?」

「んー…まぁ見る人が見ればそうだろうねぇ」


 店主さんは懐から一冊のメモ帳を取り出すと、ボールペンと一緒に私に差し出してきた。


「ちょっと猫の絵でも描いてみてくれない?」

「…はぁ」


 とりあえず切手をポケット仕舞い、私は渡されたメモ帳の1ページに猫の絵を描いてみた。普段絵なんて描かないので、その猫はお世辞にも上手いとは言えない。


「ありがとう。うん、かわいらしい猫じゃないか」


 返したメモ帳の猫を見て、店主さんは何故か上機嫌だ。私の描いた猫に、一体どんな価値があるというのか。


「例えばの話。将来君が芸能人になって、日本どころか世界で名を馳せるスターになったとしよう。そうしたらこの猫の絵は、一体どれだけの価値で取引されるだろうか?」

「それは…」


 世界で活躍する大スターが描いたとなれば…当然ファンの間でなら、いくら出しても欲しいと思う人は現れるだろう。それはこの切手も同じようなもので…。


「価値なんてそんなものだよ。そしてその価値というものは、信用が無くては成り立たない。さっき君から受け取った千円札だって、物として見れば絵の描かれた紙でしかない。この猫の絵だって、将来価値が出た所で君が実際に書いたものだと証明出来なければただのラクガキだ。その切手もね、〇〇の描いた絵だと証明出来なければ『心温まるエピソード』がある切手でしかないのさ」

「………」

「僕はそういった『価値が無いけど価値があるもの』を取り扱っている。その切手の由来を知って、君の心が温まったのなら千円はちょうどいい値段じゃないかな?この猫の絵は…将来社会的な価値が出たとしても売りはしないかな、中々に味がある絵でもあるし、非売品として大事に取っておこう」

「あ…はい、ありがとうございます」


 店主さんは思わずお礼を言ってしまった私を見て、嬉しそうに口元を緩ませていた。


「今日はこれで店じまいとするか、君も気を付けて帰ってね」

「はい、ありがとうございました」


 私は再度ぺこりと頭を下げて一礼すると、店を後にする。


(価値が無いけど…価値があるものか…)


 ふと後ろを振り返ると、さっきまであった露店は跡形もなく消えていた。しかし私は不思議と驚く事は無く、ポケットに手を入れて切手を取り出す。そのポリ袋には、小さな紙に日付と国名が書かれていた。


「1859.××.××:Nederland」

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