第2話 屋根裏部屋のつぼみ

第2話(1) 灰学生《サンドル》の朝 

朝7時。

小鳥がさえずり、眩しい陽光が射してくる気持ちのいい朝。寮のふかふかのベッドのなか、まだ夢にまどろんでいるうら若き乙女……たちを、私は起こして回っていた。

「はいはーい、起床時間ですよ~起きてくださーい」

 ベルをガランガラン鳴らしながら、一部屋ずつドアをノックしていく。途中、わざわざドアを開けて「騒がしいですわ」だの「優美さがありませんわ」だの苦情を言われたけど、文句があるなら自分で起きれば良いのよ。

 みんなを起こし終わってから、バケツに水をくんで、廊下を大股で歩く。雑巾をしぼって窓を拭いていると、朝食に向かう生徒の一人が声をかけてきた。

「あら〜〜〜誰かと思えば黄崎さんじゃな〜い! あっ、今はサンドルって呼んだほうがいいのかしら!」

「うげっ、緑川みどりかわ……さん」

緑川みどりかわ絵里奈えりな。私の幼馴染で、F組の特待生。こいつの家は本当にお金持ちなんだけど、中学までは別の私立学校に通っていた。塾ではずっとライバルで、何かと私につっかかってきていた。私ってば天才な上にかわいいから敵が多くて困っちゃうわよね。

「バカねえ、フルール・ド・リスにたてつくなんて! でも良い薬なんじゃないかしら。だいたいあなたみたいな庶民がこの学園に来るのがそもそもの間違いであって……」

 なんのかんのと喋り始める緑川を無視して窓拭きを進める。

 そうしたら、いきなり緑川が、廊下に置いてあったバケツを蹴り飛ばした。廊下が水浸しになってしまう。

「キャー! 何すんのよ!?」

「あらっ、いっけな〜い! 邪魔だから蹴飛ばしてしまったわ〜」

 オホホホホ、と緑川が笑う。

 ……いいわよ。そっちがそのつもりならこっちにも考えがあるわ。

 高笑いしながら通り過ぎようとする緑川の足を引っ掛けた。つるんと滑ってマンガみたいに転ぶ緑川。制服が汚水にまみれてしまった。

「あらぁ! 大変〜! 緑川さん大丈夫ですか〜ぁ?」

「痛ぁ……何すんのよ、この貧乏人! 生徒会に言いつけて退学処分にしてやる!」

「私がわざとやったって証拠でもあるんですか〜? 緑川さんがうっかり蹴飛ばしたバケツから水がこぼれて、2人とも廊下で滑っただけでしょ?」

「このアマ……」

 真っ赤になってわなわなと震える緑川。

 二人きりなら取っ組み合いになっていただろうけれど、緑川は周りの目を気にしてぐっと堪えた。

「覚えておきなさいよ!灰学生サンドル!」 

 緑川はぷりぷり怒りながら早足で廊下を歩いていった。

 彼女が嫌なヤツなのは変わらない。しかし、今の私に声をかけてくるのはまだ良い方で、大抵の生徒は、私に関わらないように無視して通りすぎていた。特に冷たいのが、わたしと同じように一般家庭から入ってきた特待生たちだ。一歩間違えば自分もああなってしまう、という恐怖心が強いのだろう。目も合わせようとしない。

 良いわよ、絶対に花の特待生に返り咲いてやるんだから……!! そんでもって黒百合を引きずり下ろして生徒会フルール・ド・リスに入ってみんなをギャフンと言わせてやる!

 ふと時計を見ると、始業の時間が迫っていた。

お腹は空いているけど、食堂に行って朝ごはんを食べていたら授業に間に合わない。

 ああもう、緑川に絡まれなければ、朝ごはん食べられたのに!

「あの……」

「わっ!? びっくりした」

 いきなり背後から囁くように声をかけられて私は飛び上がりそうになった。声の主は、現在の私のルームメート、土下座センパイこと2年生の灰学生サンドル灰野はいの紅緒べにおだった。手にはハタキを持っている。

「いきなり背後に立たないでくださいよ、センパイ」

「ご、ごめんなさい……何度か声をかけたんですけど、気付かなかったみたいなので……」

 びっくりしたけど、ちょうどいいところに来てくれた。

「センパイ。私、授業に出たいので、あとはよろしくお願いします!」

 バケツと雑巾を押しつければ、灰野センパイは断らなかった。

「はい、授業がんばってくださいね」

「ありがとうございますー!」

 灰野センパイは誰に何をお願いされても断ることがなかった。本人も嫌だって言わないし、いいわよね。私は、本校舎に向かって全力で駆け出した。


※ ※ ※

「……ふうん、アレが黄色の薔薇のつぼみねぇ」

 アリサの背を見送りながら、一人の用務員がつぶやいて、紅緒のそばに近づいた。くすんだ色のジャンパーとズボンを身にまとい、帽子を目深にかぶっているが、声は妙齢の女性のものだった。

「都合よく利用されているように見えたけれど、いいの? 紅緒さん」

紫月しづきさん……いいんです、黄崎さんは勉強をがんばってますから。私にできることがあるなら力になりたい」

「……あなたがそういう人なのはわかっているけれど。もっと自分を大切になさい。……手伝いたいけど、今、事務長に呼ばれてしまって」

「私のことは大丈夫です。いってらっしゃい、紫月さん」

 紫月、と呼ばれた用務員は、アリサが行った方とは反対方向に廊下を歩いて去っていった。


 

 


 

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