Santa Muerte

Santa Muerte(1)

 カラコル――これは物質改造者としてのコードで本名は別であるが、彼はスペイン・シティコロニーで物質改造者となった。

 昔の名前にもはや意味は無く、呼ぶ者も居ない。彼は物質改造者となった日から、表舞台から姿を消して動くことを選択した。

 幼少の頃はまだ、カラコルには本当の名を呼ぶ者は居た。その内の一人の友――名はマヌエル。共に貧しい生まれをしていたが、それでも共に名を呼ぶ朋友だった。酒を飲み、パンをかじった。


「私は荒れた境遇を憎まない」

 それがマヌエルの生き方だった。泣き言も言うし、愚痴も言うが、それでも憎まないと。孤独でもないからと。そう、マヌエルと彼はよく笑いあった。


「おい、マヌエル! 酒値切ってきたぞ、一緒に――どうした?」

 マヌエルは死んだ。強盗に刺されて死んだ。憎悪を持たない男は、憎悪ではなく通りすがりの刃物で唐突に殺されたのだ。

 不条理だった。強盗が刺殺したことだけではない。強盗が得ていた麻薬は、なにか不自然に上物だった。

 彼は強盗の得た麻薬ルートに作為的なものを感じた。

 そのザラついた違和感が、怒りが、口惜しさが。彼を物質改造者として目覚めさせた。


  ❖


 リーブラと呼ばれる、スペイン屈指の大富豪。

 富豪、と言うのは表向きで裏ではマフィアとつながりがある――と言う、情報が流されていた。結局のところ、それすら真実には程遠い。

 物質改造者としてのスペイン・シティコロニーの管理役の一角。それがリーブラの正体であった。

 だがそれ自体はあまりカラコルにとっては興味を惹かなかった。彼について回る物質改造者としてではない「普通の裏社会の」噂。


 彼は麻薬のルートを制御していると言う黒い噂の方だった。

 任務をこなしながら。この世界がどうなっているのかと言う、霊術や物質改造者の関係を測りながら。

 彼の注目は、どうしても――ただちっぽけなコロニーの麻薬ルートの方に向いていた。

 他のシティコロニーはどうなっているのだろう。そんな目を向けまいという逃避にも近い興味からカラコルが手に入れたのはインド・シティコロニーのデータだった。


(発現地域の座標から、気候風土の再現を中心とした問題が発生。三分割し規模を縮小しながら冷凍睡眠による素体保存処置を行う……人口推移のデータからは完全に実験だな)

 対照実験がなされている。膨大な十億人単位の制御は、やはりタイミング次第では難しいらしい。チャイナ・シティコロニーは立地の問題か成功したらしいが……

『冷凍した都市区画をパージ、廃棄処分』

 予想はできていた。だが……

「運次第か。上手く扱えればよし。無理ならば切り捨てる。人の国ならばあぶれるような事態も、冷徹に制御できるか」


 どうしても、世界の現状を解き明かすたびに――カラコルの心は、故郷へと戻っていた。死に瀕するような任務に従事しながらも。毎度、彼の意志はそこに立ち返る。

 ビルを上がる。スペイン・シティコロニーの中枢にあるビル、トーレ・カナリオ。金糸雀を冠する名前とは裏腹にそれは、小鳥とはいいがたい大きさをしていた。金色もしておらず、むしろ赤い。


 ならばどこにカナリアの要素があるのか。と、言われれば誰もが頭を捻る代物だった。まあ、ビルの名前なぞ適当なものだろうとそこまで誰にも気にもされなかったが。

(炭鉱のカナリア。ここは要するにそういう場所と言う事だ)

 セキュリティはするすると通り抜ける。そもそも身内に近い。9割のセキュリティを無視するが、避けては通れぬ中枢の警備へとぶつかる。

 神経の反射速度、筋肉の反応。それらが細かい挙動からも人間離れしていることから物質改造者であることはカラコルの洞察力からすると容易にうかがえた。

 例え彼らが全力を出していなくとも、ただ佇んでいるだけでも、微細な動きがキレの違いを生み出しわかるものだ。

 

 カラコルは音もなく彼らに近づくと、口を塞ぐように掌ががっしりと掴む。慣れた動きだ。

「ホルマリンレイク」

 カラコルの掌から溢れ出る無色透明の、アルコールのような液体。実のところそれは水でもアルコールでもないが――それらが彼らの肺を埋め尽くす。臓腑に染みていく。

「ご、ごばばっ」「ぐぼばっ」

 直後――彼らの肉体は己が脳髄からの制御権を失った。

 今やこの2名は、物質改造者ではなくカラコルの意のままに動く保存肉体だ。

「……いずれ液が揮発して抜ければ正気にも戻る。それまでここで待機しているといい」


 可逆の代謝されいずれ消える身体操作能力。で、あるがために時がたってしまえば回復し一切の証拠が残らない。ショックで前後の記憶も飛んでいる。ひどく隠密に向いた能力である。


 その能力を以てして数多のニンゲンを時に殺し、時に記憶を消してきた。その生き方をカラコルは別段後悔しているわけではない。

 ただ、何かしらの意義があるとも思えなかった。

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