百十六 追跡


「んじゃ、行ってくるぜ」


 何でもなさそうに言って、シンは商会を後にした。ラハウも、サージとスールもだ。この四人でエダにいるはずのイハヤにカナシャ拉致の報せを持っていく。カナシャが消えた次の日の夜明けのことだった。


 エンラが馬で行くと言うのをカフランが止めたのだ。エダならば馬よりも船が早い。

 商会の仕事ではないが、関係者の行方についてなのだから問題なかろう。イハヤに恩を売れるし、どこよりも早く現地の情報を仕入れて帰れる。それなら四人を割いてもお釣りがくるというものだ。

 オウリはどうする、とカフランは確認してくれた。当事者であるオウリのしたいようにしていい、と言われてオウリは頭を下げた。そして、陸路を選んだ。


「南へ向かっていますが、船じゃない。あいつは船が苦手ですし」

「わかるのかい?」


 断言するオウリにカフランは微笑んだ。昨夜は顔色をなくしていたと聞いたのに、今朝のオウリは冷静だった。冷ややかなほどに。


「何となく、です」


 ニコリともせず、オウリは呟いた。


 昨夜はカナシャの部屋にいさせてもらった。家族への襲撃を警戒する意味もあるのだが、テイネとリーファがそう申し出てくれたのはオウリの気持ちを思ってのことだろう。

 ありがたくそれを受けて、オウリはカナシャの匂いの残る部屋でその気配をたどろうとしていた。


 聞こえたような気もするのだ。ごめんなさいと泣き笑いする声が。

 それが気のせいだったとしても、カナシャにはオウリの気持ちが伝わるはずだ。だから強く念じた。いつでも想っていると。

 そうする内に気づくとオウリは帯を握りしめていた。カナシャがひと刺しひと刺し、縫った物だ。血をにじませながら心をこめてくれたそれならば、カナシャにつながらないだろうか。オウリは自分には感じられない達に祈った。


 どうかカナシャの居場所を教えてくれ。あいつを俺のところに帰してくれ。カナシャがこの島に深くつながる者だというのなら助けてくれ。どうか。


 そして思ったのだ。心のおもむく方に進めばいいと。腹に巻いた帯がきっとカナシャの行方を伝えてくれる。俺たちは呼び合えるだろう。たとえ遠く離れていても。

 行く先は、胸のざわめきが示してくれるはずだった。出会ったあの日のように。




 仕事の休みをもらったオウリは、弓を背負い町を出た。その隣には馬を曳いたエンラもいて、ニヤリと笑ってくれる。タオから派遣されていた男も二人、付き添ってきた。


「一人で行かせられないからな」

「……だが馬まで」

「御クチサキを守るための連絡用に連れてきた馬だ。正しい使い方だろ?」


 人に助けられることに慣れていないオウリは何だか居心地が悪い。そんなに今の自分は危うく見えるだろうか。何とか落ち着きは保っているつもりなのに。


「いや。だからだろ」


 エンラは薄く笑うだけだ。それに笑い返せないのだから、そうなのか。オウリの心はしんと静かに、カナシャの気配を探すことしかできなくなっているようだった。


 明らかなことは何もない。ただ、南かなと思う。海ではなく、内陸をいく街道。

 カナシャとは違い、こちとらただの男だ。精霊がどうの、島に渦巻く流れがどうのと感じるのもいいが、道行く人やそこここで働く者に変わった一団を見かけなかったかと聞き込みながら行くのが確かだろう。

 そうして進んでいくと、耳寄りな情報が飛び込んできた。オウリ達と同じ動物を連れている人々がいた、と。馬のことだ。

 このハリラムに馬などそう多くはない。今のシージャ南部で馬がいるとしたら、スサが乗っていった一頭――それならば共にいる人間は一人のはずだ。複数人が馬を連れて移動しているなどと、イハヤの側近であるエンラは把握していなかった。


「それだな」


 呟いたエンラに、オウリは淡々とうなずいた。その一行はこの辺りから南西に逸れていったらしい。そちらを見やって、オウリは心がざわつくのを感じた。当たりなのだろう。


「海沿いの街道に逃げたのか。カイナさんの時もそっちで来たんだろうし、見知った所を選んでるのかもしれん」


 向こうが今後どう進むつもりなのか、予想しながらエンラは歩く。

 だがオウリはそんなこと、もうどうでもいいのだ。自分の感覚をたどるだけ。カナシャとのつながりを細く細く感じながら、オウリは黙々と早足になっていた。





 その日の早朝、表に連れ出されたカナシャは、そこにいる一頭の馬を見て息を飲んだ。これがオウリ達の聞きつけた馬である。カナシャにつながる手掛かりなのは正しかったのた。


「馬は知っているか?」


 ナルカに言われて小さくうなずく。一度だけ、エンラの前に座り乗せてもらったことがあった。


「今日は急ぐ。これに乗れ」

「……無理です」

「俺が抱いて乗せてやる。走る荷車はきついぞ」


 それはそうだ。昨日の短い距離をゆっくり運ばれただけで少し酔ったような気がした。降りて歩かせてくれないかな、と思ったものだ。


「歩きます」

「急ぐと言っている。おまえの脚などに合わせておれん」


 ナルカは有無を言わせずにカナシャの腕をつかむ。馬の横まで引きずられて、カナシャは抵抗した。


「これは、またがるものでしょ。私のかっこうじゃ乗れない!」

「横向きに座れ」


 身をよじるカナシャを左腕で抱え込み、ナルカはさっさとあぶみに足を掛けた。鞍にまたがると同時にカナシャの身体も引き上げる。なすがままに横座りさせられ、カナシャは悔しくてそっぽを向いた。


「離れると落ちるぞ」


 グイと抱き寄せられ、耳元にナルカのささやきが掛かる。カナシャの肩がすくんだのは落馬の恐怖か、ナルカの手の内にあることへの怯えなのかわからなかった。


 馬は一頭だけだった。カダル族長の弟ナルカの立場、また町を牛耳る裕福な商人が背後にいたとはいえ、さすがにこの貴重な家畜をそんなに所有してはいなかったのだ。だから馬は駆けることはせず、男達の早足に合わせカナシャを運ぶために使われている。

 ナルカの胸の前に不本意ながら収まり、カナシャはむくれていた。右手で鞍の端につかまり、できるだけナルカから身体を離す。

 この人の雰囲気は嫌だ。憎しみとひがみと、悲しみと焦がれる心と。触れてしまうといろいろな気持ちが伝わってきて、辛い。


 カナシャは無意識に服の上からオウリの花石を握っていた。こうしていると落ち着く。オウリがひたすらにカナシャのことを想ってくれているのがわかった。

 何故か遠ざかる気はしない。たぶん自分を追っているのだとカナシャは思った。それはそうなるだろう。家を抜け出した時には先のことなど考える余裕すらなかったのだが。

 追ってきて、追いついたら。やはり闘いになるのだろうか。その時にオウリは無事だろうか。それを考えると怖かった。だけど昨日のように嫌な光景が見えるようなことはなかったので、大丈夫だと信じるしかない。


 だって、あの人のところに帰りたい。

 自分からこの方法を選んだのだから、泣きごとを言うのは間違っていると思う。できるなら自分の力で何とかしたかった。だけど無理かもしれない。

 本音をこぼしてもいいかな。ねえ、あの人には伝えないで。

 ……帰りたいよ。


 

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