百十五 遠見する娘


 もちろんカナシャだって落ち着いているわけではなかった。自ら来たとはいえ、成り行きは不本意そのものなのだ。早く帰りたい。

 ――でも、この人はとても悲しそう。

 ナルカのまとう空気が痛々しくて、触れれば壊れそうで、同じ部屋にいて辛かった。何がこの人をそうしてしまったのか、カナシャに何を求めているのかぐらいは聞いてあげてもいいかな、と思う。


「おまえは、あの地震を言い当てたという御クチサキなのか」


 まず根本的な事から確認されて、カナシャはコクンとうなずいた。あっさりしたその態度にナルカの方が戸惑う。むしろ騙されているような気分だった。


「ずいぶんと若いが……」

「クチサキは、そういう生まれつきだから。若くてもお年寄りでも同じです」


 職人か何かのように訓練して身につける技ではないのだとカナシャは言いたかったのだ。しかしナルカの疑問は観点が違う。こんな小娘の言う事をよくも族長が信じたなと、半ば呆れているのだ。

 それでも信用するに足る力があるのなら、ぜひ見せてほしい。だがナルカに具体的な相談事などないのだった。


「これといって訊きたいわけではないのだ。ただ昨年の地震のような災害や実りのこと、土地の吉凶などを告げてくれればよい」

「そんな事なら、訊きに来てくれればいくらでも」


 もう食べるのもやめてちんまりと座っているだけのカナシャは、本気で不思議そうにしていた。何故力ずくで連れて来る必要があるのかまったくわからない。


「いちいち訪ねろと? そうではなく、おまえのような者が俺の下にいるというのが重要だと言っている」

「……私は、誰の下にもいないけど」


 カナシャの疑問は尽きない。誰か偉い人に仕えるとか、逆に配下を持つとか、そんな関係そのものに馴染みがなさすぎて自分の身に引きつけて考えられていなかった。イハヤなどという存在も近くにいるが、あの周辺の人々に感じるのは上下関係というより信頼や協力だった。


「おまえはツキハヤに仕えているのだろう」

「ううん? ツキハヤ様に会ったことはあるけど、あの人……」


 カナシャはさすがに言い淀んだ。失礼なおじさんだし腹が立つ、などと他所の人に言っていいものだろうかと考えたのだ。猿娘呼ばわりされたり頬をつまみ上げられたり、ろくな思い出がない相手だが一応族長だ。


「あちらに不満があるのなら丁度いいだろう。俺のところに来い」


 ナルカはあっさりと言ってみせた。上に立つ者として余裕を示さなければならない。微妙に得体が知れないが、こんな小娘相手には少々威圧しつつも宥めすかしてやればいいだろう。


「おまえの家族揃って抱えてやってもよいのだぞ。まだ父母のもとにいるのだったな? 呼び寄せて、働かずとも暮らせるようにしてやろう」

「え。みんなでカダルに?」


 尊大にうなずいたナルカに、カナシャはきょとんとした。


「でも、弟はお医者になろうとして頑張ってるところだもの、父さんと一緒に働けないと困ります」


 暮らしが厳しい者相手ならナルカの申し出は響いたかもしれない。

 だが今のカナシャに不満などないのだ。自分も家族も友人も、それぞれに日々できることをする。働く。やりたいことがあるのが当たり前のところに、何もせずに暮らせと言われてもその価値がわからない。


「だからカダルには行けないんです。あなたとのお話が終わったら、帰っていいですか?」


 カナシャの言い分はナルカとは完全にすれ違うものだった。カナシャなりに筋を通そうと話しているのだが、ナルカにはカナシャを帰す気など最初からない。ぼんやりした小娘め、ぐらいにしか思えずに視線が険しくなった。


「では家族など置いて、おまえだけが来い」

「嫌です。言葉もわからないし」

「そんなものすぐに覚えられる。なんなら俺のそばに置いてやろう」


 幼さも残るが妻の一人として遇してもいい、ぐらいの気持ちだった。別に少女趣味も嗜虐趣味もないが、そのような方もあると思っている。だがそんな暗い感情を感じ取ってカナシャの表情が硬くなった。具体的なことはわからないなりに、背筋がぞわりと気持ち悪い。

 嫌悪感を含む目でカナシャに睨まれたが、ナルカはむしろズイと膝を詰めた。


「おまえが大人しく従えば、おまえの家族には何もしない。今も俺の手の者がおまえの家の周りにいるのだ。おまえの態度次第で、いつでも親兄弟が危うくなると思え」

「嘘よ」


 脅しをカナシャは静かに否定した。

 今までこちらを睨んでいたその瞳が一瞬で透き通ったように見えて、ナルカの胸が騒ぐ。何だこれは。


「パジにあなたの仲間は一人しかいない。私のことで追手がかかるかどうか町長さんの動きを探ってる人がいるだけ。前に私を訪ねてきた、あの人がずっとパジにいるのね。でも今、私の家の近くにはいないわ」


 つらつらと言い当てられてナルカは総毛立った。


「――おま、え」


 言葉が出なくなった。目の前の少女が化け物のように見えてくる。小さな灯りに照らされた影が不気味に揺れたような気さえした。

 

「――明日、早朝に出る」


 やっとひと言を絞り出し、ナルカは乱暴に立ち上がった。もうカナシャを見もせずに部屋を出て、後ろ手に戸を閉める。


 なんだ、あれは。

 離れた町のことを見ているように話す、あれはなんなんだ。

 我知らず息が上がっていることに気づき、静かに整える。こんなざまを他の者に見せるわけにはいかない。

 ――あれが、あの娘の力か。

 どう見てもそこらにいる娘にしか見えなかったものの本性を突然知らされ、ナルカは次第に興奮を抑えられなくなってきた。小さく笑いがもれる。あれならば地震の一つや二つ、言い当ててもおかしくないだろう。

 納得し、ナルカはギラリと目を光らせた。あれを手放すわけにはいかない。

 カナシャの意に反し、ナルカは決意を固めていた。あの娘は俺の物だ。俺の物にするのだ、と。



 残されたカナシャの方は、むー、と唇を噛んでいた。何だか失敗したような気がする。

 土台無理な話だ。カナシャは権力争いなどに無縁だし、そんなものを争う気持ちがまるでわからない。ふわふわと生きている少女が戦のただ中にいる男を簡単に説得できるわけがなかった。それにカナシャには、自分の力の価値というものが量れないのだ。


「ん……あんまり平気じゃない。どうしよ」


 カナシャを心配したのか周りにフワフワと漂いだす気配に向かってポツリと答える。それがそもそも異常なことなのだが、生まれて以来こうだ。その力に青ざめられたり興奮されたりしてもピンとこない。


「ナルカさん、何だかすごく辛そうなのに。訊きたいことがありそうなのに」


 何も尋ねてくれなかった。それをあげれば帰れるのではないかと考えていたのだが、うまくいかない。


 カナシャは襟元にしまっていた首飾りを引き出し、石にそっと触れた。オウリ。

 とても悲しんで、苦しんで、自分を責めているのを感じる。ごめんなさい。でも、オウリが死ぬかもしれないのにじっとしてはいられなかった。

 カナシャは少しだけ泣きそうになるのを我慢した。もし、もしもオウリにそんな様子が伝わってしまってはいけない。伝えるなら、オウリのことが大好きという心を届けたいのだ。

 だってオウリの方も、カナシャに伝えようとしていたから。カナシャにははっきり響いたから。

 愛してる、と。



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