百七 新しい春は近く


「父さんもシンさんもどうしてくれるんだろう。私しばらく表を歩けない」


 路上での立ち回りの顛末を知り、フクラはさすがにうめいた。

 瘧の危険があった時にも家にこもったものだが、あれから三ヶ月経ち、何故またこもる羽目になるのか。でも近隣の好奇の目と祝福に耐えられる気がしなかった。


 あのツォウと闘い、娘を勝ち取った男が現れたとの噂は町を駆け抜けた。渦中の人となったツォウは自業自得なのだが、問題はシンとフクラだ。

 シンはあの時、フクラの婿として認められたのだとは思わなかった。からっきし。そしてフクラの方だって、シンに嫁に行こうなどと考えてもいなかった。お互いの気持ちはそんな段階じゃないのだから。

 完全なるツォウの勇み足で妙な話になってしまった。外堀は埋まったのにその中はまだ更地なのだ。


「で、シンさんとは話したの?」


 訊いたのはサヤだ。フクラの結婚が決まったと評判になり、それならば話を聞かねばならないとカナシャと共に訪ねてきたのだ。まだ十三歳ながら、耳だけはおませな少女だった。


「しばらく会ってもないわ」

「ええー、会いに行きなよお」


 表に出たくないフクラは商会に行っていなかった。

 そもそもシンは状況をわかっていないのかもしれない。下手するとどこかに航海に行ったかもしれない。そんな男を相手に気を揉まなくてはならないのが癪にさわった。

 フクラは黙りこくって手を動かした。幸い手仕事はある。この状況のせいで数日の間、はかどって仕方がなかった。これならば年末には余裕を持って片づくだろうし、新しい年はすっかり落ち着いて迎えられそうだった。私事が片付けば、だが。


「シンさんのお嫁さんになるの、嫌なの?」


 カナシャまで口を挟んだ。


「……嫌っていうんじゃないけど」


 フクラは渋々答える。

 だって、「いい匂い」と言われただけだ。それをどう考えればいいのだろう。

 隣にいて楽だと思う。愛想笑いしなくてもいいし、黙っていても気にならない。シンの方もそういう態度だった。


「でもそれって、どうでもいい人にだってそうでしょ」


 淡々と言うフクラに呆れて、サヤは悶えた。


「フクラはシンさんがどうでもよくないんでしょ。だったらここは押し切ろうよ」

「何で私が……」

「シンさんだって、フクラのことどうでもよくなんかないと思うよ」


 考えつつカナシャが言い出した。友人の恋愛模様など観察するとは思えないカナシャの口出しにサヤが食いつく。


「え、なんでなんで。わたしは商会の人達にあまり会わないんだもん。どんな感じなの」

「んー。フクラが行くとね、別に用事がなくてもシンさんが顔を見せてちょっとだけしゃべっていく、てカフランさんが笑ってた……ってオウリが言ってた」

「……カナシャが気づいたわけじゃないのね」


 あははと笑うカナシャとため息のサヤ。友人二人を尻目にフクラは思いに沈んだ。

 確かに何だかんだと顔を合わせていたけれど。それがシンの好意なのかはわからないと思う。


「カフランさんがそう言ってニヤニヤしてるってことは、そういうことなんじゃないかなあ。あの人、シンさんのお父さんみたいなものだから」

「……そうなの?」


 不審な顔のフクラは、ろくにシンの生い立ちや商会にいる経緯も知らないのだった。オウリという情報源があるカナシャの方がよほどいろいろわかっているというのは珍しい。本当にろくな会話もしていないのだと思い知ってフクラはへこんだ。


「これから! これから話せばいいのよ。何か商会に行く用事はないの? ううん、何もなくたって堂々と乗り込んで話をつければいいんだわ!」


 ウキウキと励ますサヤは無責任だとフクラは思う。今のところそういう相手もなく、恋に憧れているだけの年頃。恋だの愛だのは、具体化すれば面倒事ばかり持ち上がるのに。


「カナシャは?」

「へ?」


 フクラは無理やり矛先を変えた。自分のことは、一人でゆっくり考えたい。


「オウリさんに贈り物するって作ってたでしょ。ちゃんと仕上げたんでしょうね」

「う……まあ、はい。なんとか」


 誕生祝いに贈りたかった帯は、刺繍をして縫い終えた。ずいぶん遅れたが新年の祝いとしてでもいいか、と今度渡すつもりだったのだ。


「……二人とも、いいなあ」


 相手のいないサヤがぼやく。


「じゃあサヤも誰か見つけなさい。そしたら相談に乗ってあげるから」

「もう!」


 ぷくぅ、とふくれっ面のサヤはとても可愛くて、この中で一番モテそうなのにとカナシャは笑った。




 そういうわけでカナシャは、自宅に顔を出してくれたオウリをコソッと部屋に呼んだ。あまりカナシャの自室になど入ったことがないオウリは戸惑う。何の用だ。


「あのね……これ、もらって下さい」


 もじもじしながらカナシャが差し出した物を見て、オウリは目を見張った。何やら縫い物をしているのは気づいていたのだが、帯だったのか。


「……思ったより、上手い」

「ううう……」


 手に取って呟いたオウリの言い方に、カナシャは挫けそうだった。その反応にオウリは慌てる。これだと褒めたことにならないか。


「あ、いや。だっておまえ最初、縫い物なんてまったくできないような事を言ってたから。こんなに綺麗な縫い取りになるなんて思わないだろ」

「ものすごくゆっくりやったのよう……」


 一針、一針。形を崩さぬように慎重に。それは時間もかかるはずなのだ。おかげでオウリの紋の亀甲は歪むこともなく連なることができた。

 そして他にも、腹に巻くと隠れるような場所にひっそりと動物が刺されているのをオウリは見つけた。


「これ、鹿だよな。何で鹿?」

「あ、それ。おいしかったから!」

「えええ……」


 にっこりするカナシャをまじまじと見てしまった。困惑気味のオウリに、カナシャは首を傾げてケロリと言う。


「だってオウリといろいろな事をしてきた思い出だもん。楽しかったよね」

「あー、うん。そうだな」


 まあいいか。無理やり納得しながら方衣を脱ぎ、贈られた新しい帯を巻いてみる。何故かとても身体に馴染む気がした。


「いいじゃないか」

「ほんと? よかった、さんざん指を刺したかいがあったわ」

「……そんなに刺したのか?」


 えへん、とカナシャは開き直った。


「まあ、血の染みができるかも、ってくらいには」

「怖いな、おい!」

「ちゃんと洗ったし」


 胸を張るカナシャに苦笑いしながら、オウリはそっとカナシャを抱き寄せた。階下には両親もいるのだが、これぐらいは許してもらおう。


「ありがとう。大事にする」

「ん」


 オウリの腕におさまって、カナシャは安堵していた。

 どんなことでもカナシャにとってはまだ初めての経験が多い。そしてそれらは、この先の大切な糧となっていく。

 今この一つをやりとげたことで、カナシャはまた少しだけオウリに相応しくなれたような気がしていた。


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