百三 縁
タオにはオウリ自身が行くことにした。ただし、徒歩でだ。商会の船は出払っているのだった。商売上のことではないのでそれも仕方ない。なのに、ズミも同行することになった。
「いい加減、顔を見せておいで。病なんだろう?」
カフランはなるべく冷たい顔を保ってそう命じた。言われたズミも表情は消したままだ。誰の話なのか、オウリにはわからなかった。
「あの人が死のうが生きようが、僕には関係ないんだよ。顔見知りとして、挨拶ぐらいはしてもいいけどね」
ズミが薄笑いで言うのだからロクな相手ではないのだ。果たしてカフランにこっそり確認すれば、ズミの産みの親のことらしい。カフランはため息をつきながらぼやいた。
「あいつはひねくれてるからな。母親とも思っていないのはわかるが、お別れぐらいはしておいた方がいい。今しかできないことは、やらないと後悔するんだ。ちゃんと訪ねさせろよ」
どうやらカフランの頭の中では、ズミのお目付け役にオウリを行かせる感じのようだ。何と重たい。ありがたくない申し付けだった。
「俺……それがどこの誰かも知らないんですが」
引き気味のオウリに諸々言い含め、カフランは二人を送り出した。
慣れた二人なら、パジからタオまでは歩いて一日半で到着する。ズミにとって面白い旅ではないだろうが、そういう感情を表に出す奴ではないので助かるのだった。
タオに入って宿を決めると、ズミはさっさと用事を済ませに行くと言う。つまらなそうな顔だ。
「ああいうトコは、昼間の内に行かないとねえ」
産みの母という女は、とうに現役なわけもないが娼館に世話になっているそうだ。大変な売れっ子だったことと、若手に手管を教えたり管理したりといったことができたらしい。有能だな、とオウリは思った。
「ちゃんと行くから、だいじょぶだよ。オウリは自分の事しておいで」
「……大丈夫か?」
何となく辛そうに見えて声を掛けてしまった。呆れたように笑い返される。
「だいじょぶってば。オウリのくせに人の心配なんてするんじゃないよ」
それもひどい言い方だった。だがまあ、それもそうか。ズミは何だかフワフワした男だが大の大人のことだ、放っておけばいい。こんな時にはむしろ放っておいてやるのが親切というものかもしれなかった。
突然訪ねてきたオウリに、イハヤは他を後回しにして会ってくれた。いつも問題を持ち込むのはイハヤの方で、オウリから何か言ってくるなど初めてになる。よほどの事だと判断してくれたのだ。話を聞いたイハヤはうんうんとうなずいた。
「……まあ予想通りだけど、カナシャに関してなんだね」
「そりゃそうです」
オウリのよほど、といえば他にあるわけがない。当たり前だろうという態度のオウリに、いいかげん結婚しちゃってくれないかなとイハヤは考えた。
だがそうなっても同じかと思い直し、少し面倒くさくなる。ホダシなんてものは一生変わらないだろう。それは自らの両親を見ていれば予想がつくのだ。
「ありもしない失せ物を探させて御クチサキの力を試したのか、と。そんな感じもするね」
真相はともかく、カナシャの周囲に余所者の影がちらつくのは嬉しくない。パジに誰かをやって、警戒させた方がいいかとイハヤは判断した。
「スサを――つけようか」
「いいんですか?」
スサはイハヤが動かしている内でも一番の手練れだ。
「護衛だけならクリョウでもいいけどね。情報が欲しい。パジを拠点に探らせよう。向こうが荒事でくるとは限らないんだし。別にそれ以降の接触はないんだろう?」
「表だったのは。でもそいつが近辺にいるのかどうかも俺にはわからないんですよ」
「違うと思って他に行った可能性もあるな。カナシャはまあ、らしくないし」
イハヤが吹き出して、それもそうだとオウリの気持ちも楽になる。部族を動かす偉大なクチサキっぽさなど皆無な小娘、それがカナシャだった。
「でも件の御クチサキを探している者は諦めていないという前提でこちらも動くよ。報せてくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、お願いします」
頭を下げて出ていきかけ、オウリは振り向いた。
「そうだ、シラさんはお元気ですか? この間は同行していなかったから、カナシャも心配してました」
「ああ」
イハヤは柔らかく笑った。
「元気だよ。なんだか怠くて動けなくなっていたんだよね。しばらく休んでいたら、その後はとても調子がいいってさ」
「それは良かった。少し疲れが溜まっていたんですかね。カナシャに伝えておきます」
シラも鍛えているとはいえ、女性なのだ。男達に混ざってあちこちに出掛けるのは負担があったのかもしれないね、とイハヤは苦笑いした。
同じ頃、ズミは里帰り中だった。
生まれ育った娼館にはご無沙汰ということもない。女達の好む品物を直接売りに、しばしば顔を出しているのだ。カフランが気を揉むほどに関係が悪いわけではない、とズミ自身は感じていた。
それでも自分の母だと名乗る女とは特別に話すことはなかった。会えば他の者へと同じように愛想笑いをし、物を売りつけ、母とは言わずに名で呼び掛ける。
だが、母親などと認めてやるものかと考えてしまうのが、もう負けている証拠なのだ。そう思うと腹が立つ。何が勝ちなのか負けなのか、それすらわからないが。他の有象無象とは違う意識で見ているということを許せれば楽なのに、ズミはずっとそこから目を背けていた。
「あら――来たの」
臥せっている部屋に顔を出すと、女は不機嫌そうだった。今は痛みがあるらしい。
苦しかったり楽になったり、繰り返し繰り返し、身体が衰えていっていると亭主が教えてくれた。腹が腫れて喉が渇くのだとも。
おそらく死へと向かっている、自分を産んだ女。横たわる人を、ズミは静かに観察していた。
「――痩せたんじゃない?」
「痩せもするわ、食べられないから。こんなこけた頬じゃ誰も綺麗って言ってくれない」
かすれる声で忌々しげに言う。死にそうなくせに、まだ男からの称賛が欲しいのか。ズミは自分によく似た面影を持つ、目の前の女を見つめた。
「まだまだ綺麗だけどね」
「あら。そりゃあんたの顔の大元だもの。感謝してよ」
皮肉な笑みを浮かべられると尚更似ていて、それがずっと嫌だったのを思い出させられた。
本当に腹の立つ女だ。今際の時でも、隣にいればきっと神経を逆撫でされるのだろう。ただ血がつながっているというだけで。
血縁などいらない。ズミはそう思う。
ファイを見ていればその気持ちは強くなる。あの子の血縁が誰なのか知らないが、ファイはファイだった。元の名すらわからなくても何の支障もない。ただ生きていくだけなら。一人の赤子としてなら。
だからズミが生きる上では、この女が母親だろうが何だろうが、本当はどうでもいいのだった。
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