九十一 奪還
集まったティカ川流域の男達は、タミの手前の集落まで移動した。
もう女と子どもと老人は下流に逃がしてあるが、警戒のため詰めていた男達がいる。合流すると、まだタミで動きはないようだという。
今夜はここで休み、明日タミを奪還する。
非戦闘員が抜けて空になった家々を使わせてもらって休息していると、もう日暮れという時になってイタン村の男達がいる家にオウリを探しに来た者があった。
「おお、いたいた」
「アラキさん!」
ニヤリと笑ったのは、アヤル商会の熟練商人アラキだった。その後ろから顔を出すのは、格好つけ癖のせいでモテない男、キサナ。
「何やってんだよ、オウリ。パジの商人がヤロアの麓で戦かい」
「おまえこそ、なんで来た」
「ククス様から、内々に頼まれた」
ティカ渓谷からの知らせを受けたサイカ族長ククスは、すぐにアニへ使者を手配した。
猛抗議と賠償要求。なんなら山越えの道をすべて閉ざし交易を断つことも辞さないし、部族を挙げて事を構えるというのなら受けて立つ、という強いものだ。
しかしアニ族はいまだ指導層が定まっていない。その交渉が結果を出す前に、現場が動いてしまうのは如何ともしがたかった。今まさに殺されかけている民がいるかもしれないのだ。
だが、公にはまだ戦うわけにはいかない。
そこで秘密裏に派遣されたのが、アラキ達、闘い慣れた商人だった。
アヤルにある商会から選りすぐって、戦の先頭に立てる者、そして指揮が取れる者を送り込んだ。でないと、村々には戦闘経験のある人間などほとんどいないのだ。タイガがそうだったように。
人数で勝っても、それでは烏合の衆というやつである。アニ族を撃退しても、こちらの死者が増えては意味がない。それは部族間の禍根を増やすだけでもあるのだ。
キサナは遠征を軽い口調で告げる。
「そういうわけで十人ばかり、アヤルから来てるぜ」
戦いに来たとは思えない柔らかな笑顔でアラキも口を添えた。
「おまえんとこの兄さんとすれ違ってな。オウリを頼むと」
「いやむしろ、アラキさんを俺が頼まれたいですよ?」
言い返したオウリをアラキは父親のような目で見た。
「俺は前には出ん。さすがに後ろから指揮するだけにさせてもらうぞ」
「十分です」
周囲の男達にも笑顔が広がる。誰だって生きて帰りたい。その可能性が上がるなら、なんだって大歓迎だ。
総勢四十五人ほど。素人がほとんどとはいえ十分すぎる戦力だった。どうせ相手も食い詰めて隣人を襲っただけの素人だ。
朝を迎えて、彼らは動いた。
タミまで距離をなくして、さすがにもう、笑い合うことはしない。
中で弓の得意な者五人を先行散開させて森に潜ませ、タミを囲む。
彼らはなるべく高みを取って、応戦に出たアニの者を射下ろす。あるいは見通せる横道から射掛ける。この土地をよく知り地の利があるからこそ、できることだ。
オウリは弓兵と共に別動隊として密かにタミに近づいた。その役目は、女、子どもを解放することだ。
表から主力が仕掛け、対応に出たアニの男を弓部隊が射る。
その時には、老人や女から後ろを襲われるのを嫌って捕らえてある建物ごと焼き殺すぐらいのことはあるだろう。子どもを引きずり出して盾にするかもしれない。そんな事態を防ぐために、裏から入って後方を守るアニの戦力を削ぐ。
その人員がオウリを含め五人。人と闘った経験のある、商会出身者のみで編成した。各村から募っても、そんな人材は数人しかいなかったのだ。ここは小さく平和な渓谷だった。
だが士気は高い。獣と渡り合う経験なら豊富だ。森を忍び寄り、不意を突いて見張りは倒した。
アニからの襲撃が何人で行われたのかは判然としないが、多くて二十数名というところだろうから数はこちらが有利なはずだ。
集落の内に二人が走り、敵を探した。ここをよく知る二人は身を隠しつつ近づき、すぐに本拠にされている家を見つける。タミの者達が押し込まれている家の方は、裏に回った内の一人が斥候に入り、二軒を特定した。これで、動ける。
ピピ、ピピ、と鳥のように呼子を鳴らし、表側に準備よし、と伝える。
一拍おいて、表からピィ――ッと甲高く呼子が応え、仲間が臨戦態勢で踏み込むざわめきが伝わってきた。
襲撃した側とて、いつ報復がくるかとは考えていただろうに。
慌てて飛び出した者が、まず射られて倒れた。それを見て身を低くして走り抜けた男と飛び出しながら地面を転がった男が矢をくぐり、家の壁に身を寄せつつ迎え撃とうとする。
だが表からなだれ込んだサイカ族が三十人ほどもいることに気づき、絶望的な声で叫んだ。
「燃やせ!」
こうなれば仕方ない、火を放ってその間に逃げるつもりだ。
この叫びはアニの言葉だったので、それが聞こえる所にいた者で理解したのは声の主の仲間達だけだった。
だがろくでもない内容であることは、なんとなく伝わる。オウリ達は潜んでいた場所から飛び出して、人質とその見張りの元へ走った。
彼らに気づいたアニ族が弓を構えようとした時、彼は矢を
「相変わらずの腕だな!」
射るために一瞬立ち止まったオウリを後ろにチラリと見て、キサナが目をギラリと光らせた。
自分は山刀を抜き放ち、建物から飛び出してきた男の短刀を避けざまに下からその腕を斬り上げる。
血を吹きながら飛んだ腕は見もせずに、キサナは男の胸を一突きに絶命させた。男は声も上げず目を見開いたまま動かなくなった。
その間に他の者も二軒の家に飛び込んでいく。オウリも弓を置いて山刀を抜くとそれに続いた。
戦いは、あっという間に終わった。
アニ族は十五人しか残っていなかったのだ。戦い慣れた商人達がほとんど片付け、あとは弓を任されていた村人が三人を
流域から集まった男達は放たれた火を消すのに大活躍したが、正直拍子抜けしていた。だが彼らを前に、アラキは労った。
「大勢と見て敵は慌てて、戦意をなくし逃げようとした。それでなくてはもっと怪我人も死者も出ただろう。皆の力でタミを取り返したのだから、誇っていい」
アニ族も初めは二十人以上いたそうだが、食糧を略奪して運ぶために何人かが帰ったらしい。
それが大した量にならなかったので、この下の集落まで攻めるか諦めるか、氏族の元へ相談しに行くという意味合いもあったのだと、アニの言葉を解する老人が教えてくれた。意味がわかっていると知れたら殺されるかもしれないと、黙って聞き耳を立てていたそうだ。
殺した十五人のアニ族は、首を斬り、口に石を詰めた。永劫の渇きに苦しむようにという呪いだ。石は、夫や息子を殺された女達が詰めた。
残る身体は山に打ち捨て、首だけをアニとの境の峠に並べに行くのだ。それは山道に慣れた上流域の男と、護衛の意味も込めて商人三人が隊を組んで行くことになった。
タミをこれからどうするかは、隣接する集落や、族長ククスが考えることだ。オウリはさっさと片がついたことに安心して、ひとまずイタン村に行くことにした。
タイガから借りた山刀を返さなくてはならなかった。
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