九十 入れ替わり
タミは夜明けに襲われた。
空が白むと同時に、峠を越え忍び寄っていたアニの手の者達がなだれ込んだ。わずか五十人にも満たない集落が落ちるまで、一刻もかからない。
微睡みから飛び起きて森の中に逃げた子どもが下流の集落に報せに走ったことで、その蛮行は知られた。
森をたどり斥候に入った者の報告では、歩き回るのはアニの者しか見えず、集落の外れに男達の遺体が八人並べられていたという。
戦える男は全員殺され、残りは女と老人と子どもだ。おそらくどこかにまとめて押し込められているのだろう。
狙いは食糧だったようだ。しきりに何かを運び出す様子が見受けられたし、失火も慌てて消し止められたようだった。わずかでも灰にするのが惜しいと見える。
「俺が見たのはその熾のくすぶりか」
タイガから事のあらましを聞いてオウリは暗澹となった。サイカに略奪に来るとは、そのアニの氏族はどれほど切羽詰まっているのか。
先の地震でアニの長老会は機能を止めてしまった。
交易で生きているアニは、元々部族の内だけでは民を養えない。アニの領域での物流が混乱したことで飢える者が出ているのだろう。
そういったことのないようにシージャからもカダルからも救援物資を送ったはずなのだが、上の統制がなく行き渡らなかったらしい。
「アヤルには話がいってるんだろうな」
「もちろん、報告済みだが」
確認するオウリにタイガはうなずく。
ここにはタミより下流のティカ渓谷沿い、イタン村までの男達が集まっていた。
タミでの殺戮の報復という側面はあるが、ここで何もしなければ次の集落が同じように襲われるかもしれない。それを防ぐために完膚なきまでに叩きのめしてタミを奪還しなければならないのだった。
だが相手から仕掛けたこととはいえサイカ族対アニ族の戦いである。アヤルにいる族長ククスの裁可を得なければ、とオウリは思ったのだが。
「アヤルからまだ、返事はきていない」
タイガは小さく耳打ちしてきた。オウリは目を覆ってため息をついた。今のところ、お墨付きのない私戦ということか。
「まあそうだよな。まだ煙が燻っているほどの時だ」
「だが皆怒り狂っている。これを抑えるのは無理だ」
無理もない。同じ流域に暮らす者として交流もあるし姻戚関係もある。一応冷静にこの場にいるタイガの方がおそらく少数派なのだ。
困ったことになったと思いつつ出陣してきたのであろう兄を、オウリは肩を叩いて労った。
「一方的にあっちが悪いんだ、言い訳は立つさ……俺も、参加するか?」
この状況に出くわしておいて逃げたとなると、今後の兄や父の立場というものがある。だがタイガは首を横に振った。
「一族から一人と決めてある。俺がいるから、お前はいらん」
その言い方な、とオウリは苦笑したくなった。長兄としての責任を果たし弟達を守っているのかもしれないが、いらんと言われるのは微妙なものだ。だがそこで、オウリははたと思い出した。
「兄さん、カエのお産はどうなった」
「ああ……そろそろ、産気づいてるかもしれんな」
タイガは目を逸らして言った。
春に会った時に御杜で安産祈願をしていたタイガの妻カエ。秋に産まれる予定だと思ったら、まさに今これからなのか。
「いや、帰れよ」
オウリはさすがに言った。
「なんでそんな時にタイガ兄さんが来てるんだ」
「リガンだって新婚だ。まだ子も成していないのにリガンを死なすわけにはいかない」
「タイガ兄さんだって二人目の子を見もしないで死ぬわけにはいかないだろ。俺が替わるから帰れ」
弟を気づかう正論に対して兄を気づかう正論をぶつけられ、タイガは論点を変えた。
「お前は村を出た男だろう」
「イップの息子に変わりはない。だいたい兄さん、人を殺したことはあるのか」
ぐっ、とタイガは黙った。村で暮らしていれば獣は殺すが、人と戦うことはそうそうない。
「俺はある。慣れてる俺の方が死なずに済むだろう。このままうっかり兄さんに死なれたら、俺はまたカエに罵倒される」
「俺だってうっかり死ぬつもりはないが。また罵倒されるとはなんだ」
怪訝そうにするタイガにオウリは渋い顔をした。
「春に帰った時に言われたんだよ。俺が上っ面だけだの、普通じゃないだの。そんなことは自分でもわかってるさ」
「わかってたのか」
「あのなあ……」
真剣に意外そうにされて、さすがに少しへこむ。兄夫婦揃って、オウリへの認識がひどすぎた。
「兄さんの責任感もわかるけど、ここは俺に譲ってくれよ。いい茶を作ってもらったのに、来年同じ物が出来ないんじゃ困るんだ」
「リガンがいれば、できるさ」
「リガン兄さんだけじゃ、対外交渉は誰がやるんだ」
オウリはタイガが腰に差していた山刀をグイと奪った。おい、という顔をする兄に涼しい顔で言ってみせる。
「これ貸しといてくれ。何日か前にやりあったカツァリの奴がこういう得物でさ。殺さないように捕えなきゃと思って少し苦戦したんだ」
「おまえ、商いしてるんじゃないのか。なんでそんなことになってるんだ」
何故か戦闘する羽目になったことを目を剥いて叱りつけてくる兄の表情には幾分の心配が確かに含まれていて、オウリはタイガが「兄」であることをヒシヒシと感じた。
周りで聞いていたイタン村の男達から「オウリの方に理がある」と言われタイガは微妙な顔で帰っていった。
タイガがどう思おうと、戦いに慣れている者が加わった方が全員の生還率が上がる。昔からオウリはつかみどころのない奴だと皆に思われていたが、使える奴だとは認識されたようだ。
「よう、久しぶり。おまえ結婚したんだって?」
「ロカか。いや、約束しただけだ」
ロカはオウリと同い年の村の男だ。つまりオウリとは友達とも幼なじみともつかない、微妙に近づききらない関係の一人なのだが、お互い大人になってしまえば共に働く分には何も問題ない。特に戦闘となれば、冷静でいられる間柄がむしろいいぐらいだった。
「あ」
「なんだ」
「兄さんに訊くの忘れた。リガン兄さんが結婚した相手って誰だ?」
「知らないのかよ。レアだ。覚えてるか? 俺達より三つ四つ下だ」
レア。つらつらと記憶を探って、オウリはやっと思いあたる。いつも引っ込み思案に女の子達の後ろをついて歩き、黙々と親の手伝いもこなす、しっかり者の子がいたはずだ。
「おとなしい子だったよな。リガン兄さんとどうにかなるって、どうやったらそうなるんだ」
「ほんとそれな」
ロカも、周りで聞いていたイタン村の男達も大笑いした。こんな状況だから、笑って緊張をほぐした方がいい。
どうやら母親同士が裏で動いて、仕事の上で会うように計らったらしい。それにしたってリガンが自分でレアの両親に結婚の申し込みをしたそうで、村でも話題になったという。
「だってリガンが喋ったんだろ? この冬は雪が降るぜ」
我が兄ながら否定しきれない。
でもそうなるなら是非カナシャを連れてきてやりたいものだ。一緒に雪を見ようという約束が一年目にして果たせるなら幸先がいい。
そうしたら、その先にたくさんの約束を続けていけるだろうから。
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