八十八 決着
去ったシュナが向かったのは自分達家族の生活棟の方角だった。だからこそ旅支度でもして後を追われてはと危惧したわけだが、走ってシュナを捕まえにいくわけにもいかない。
呑気を装って、さも用事がある風で広場近辺を歩きボノの内の気配に耳を澄ました。
シュナが自室に戻っていようが、他所者のオウリには確かめようがない。オウリは街道や森に出て行く者を気にかけながら、トゥガを探していた。
兄ならばシュナを抑えられるだろう。というか、抑えろ。そもそもルギとオウリの逃走計画を知っているのに何故シュナを野放しにした。
と思ったらそのトゥガがせかせかと執務棟から出てきてオウリを見つけ、駆け寄ってきた。
「すまん、爺さん達に足留めされた。ルギはどうした」
ずいぶん焦った様子だった。正当な仕事の話をされたら断るわけにいかないのだが、なんだかねちっこい。これは何かあるな、と判断して腹痛のふりをして逃げてきたのだ。
オウリが手短に状況を伝える。トゥガは自分が家族棟を確認してくるから森を行ってくれとオウリに頼んだ。
施設の裏から森を抜けて街道に出る細道があるのだという。なるほど、それは危ない。
その道を教えてもらい、二人は別れた。
オウリは急ぎながらも気配を殺し、森に入った。これはなかなか、シュナだけでなく長老の手の者が使いそうな抜け道じゃないか。
案の定、森の奥に妙な気配があった。
気配というよりはズルズル、バタバタと明らかに音がする。裏道からも外れた木立の奥だ。
ルギを狙うにしてはおかしな場所と挙動なのだが見過ごすわけにもいかず、オウリは静かに近づいた。気取られないよう身を低くして窺う。
見えたのは二人の男と、そのうちの一人に羽交い締めにされたシュナだった。もう一人はシュナの正面に立ち、弓に矢を番えようとしていた。
「強く引くなよ。射貫いたら俺まで死ぬ」
シュナの口と身体を押さえている男が軽く笑いながら言うのが風に乗って聞こえた。
オウリは荷と一緒に身体に斜め掛けしていた弓を取った。矢筒から抜くのは、二本。
立ち上がり木の幹から右半身だけ出す。
間に木立がある。二人を倒せるかわからなかった。まずは。
オウリが射たのは、シュナの胸に弓を引き絞ろうとした男の腕だ。
男が矢を取り落とす。
弦音でこちらの居場所は知れた。痛みをこらえる顔でこちらを視認される。
構わず番えた二の矢では、腿。片脚をやられた男がドオと崩れ落ちた。
森にシュナの甲高い悲鳴が響いた。シュナを押さえていた男がオウリと闘うために、口を塞いでいた手を放したのだ。
オウリは弓を捨てた。
短刀を抜きながら木立を縫い一気に距離を詰める。
「来てるぞ!」
射られて倒れた男が叫んだ。慌てて木を盾にするが、オウリが飛び込む。
まず脚を。
オウリは飛びつきざま腿を切りつけた。
よろけた相手の山刀が木で跳ね返る。オウリはギリギリですさった。
山刀は刃渡りも重さもある。当たるのはまずい。
相手もそれなりに手練れだ。オウリは間合いを取って睨み合った。幹が邪魔をするように位置を取る。
時を稼げばこちらの勝ちだ。
周囲の気配を探ってオウリは、口の端を上げた。
風が鳴り、男の身体が横に傾いて落ちる。その背には斜めに矢が突き立っていた。
「……なんだ、殺していいのか」
オウリは呟いた。
ゴボゴボと血の泡を吹きながらまだ絶命できない男。
それは放置し、先に射た男に歩み寄る。肩と腿に矢を突き立てたままの男は、ヒッと引きつった声を上げた。
そこにザザッと走ってきたのはルギだった。矢を放ったのはもちろん、シュナの悲鳴を聞きつけて動いたルギである。
オウリはへたり込んでいる男から目を離さずに、小さく笑った。
「助かったぞ、ルギ」
ルギは自分が射殺した男を確認した。
「おまえ一人でも始末できたんじゃないのか」
「そんなことはない。それに、口が必要かと思ったんだ」
「一人いれば充分だ」
ルギとオウリの視線を受け、生き残った一人は青ざめていた。
殺されようとしていたのは、ルギではなくシュナだった。ティスタの長老達が今つき従っている、ウフトの娘である。
そうくるか、とさすがにオウリも乾いた笑いを漏らしたが、考えてみれば効果的な生け贄なのだった。
シュナがルギにすげなくされていたこと、殺される直前にルギと何やら話していたこと。それを多くの者が目撃していたこと。
そうなれば下手人はルギだとされても言い逃れしにくい。殺すのに矢を使おうとしたのも、弓の名手ルギに罪を着せるための印象操作だ。
長に担ぎ上げようとするトゥガは対立候補ルギに妹を殺された男になる。同情が集まれば、世襲への反発も和らぐだろう。
それにしてもそこまで、と普通は思う。
ウフトもトゥガも、ごく当たり前にシュナを大切にしている。いくら利があってもまさか彼らがシュナを殺そうとするはずはないし、その意思に背いてまで長老達が蛮行に走る意味はなかろう。
だが、シュナは進んだ女だった。
家と村と氏族に縛りつけられて言われるがまま嫁ぎ、子を育てる生き方をよしとしなかった。その考え方を、長老達は嫌ったのだ。
せっかくの機会だ、ルギを追い落とす役に立って死んでくれれば、こんなに嬉しいことはない。
そうして、この計画が練られたのだった。
「娘を救ってくれて、心より感謝する」
カツァリ族長ウフトは、オウリとルギに向かって深々と頭を下げた。
あんなことがあってはそのまま旅立つわけにもいかず、オウリはボノに足留めされている。細かいことは伝わらないが、長老一派のかなりの者が捕らえられティスタ氏の中はてんやわんやのようだった。
殺されかけたシュナは自室に籠っているらしい。まあ至近距離から心の臓を射られそうになったのだから無理もなかった。
ひとまず捕らえるべき者をすべて押さえてやっと時間を作ったウフトが、オウリとルギに礼を言わせてくれ、と呼ばれたのだった。
「俺は別に、ルギを助けただけですから」
「俺もオウリと闘っていた奴を殺しただけだ」
礼を言われた二人は素っ気ない。
あの状況でシュナを殺すなどろくでもない企みでしかありえないし、まあ身にかかる火の粉を払っただけのようなものだ。
ウフトは好ましげにオウリを眺めた。
「謙虚だな。強いが無欲な男は好きだ。なんならオウリがシュナをもらってくれてもいいのだが」
身を乗り出してずけずけと無茶を言う。あっけらかんとしてそんな交渉を始めるのは、さすがトゥガの親だと思わせた。
「……約束した女がいるので」
「というとまだ独り身か。だがまあ、先約があるならなあ。うーむ」
そんなに惜しがられても怖い。話が妙な方に進む前に逃げよう、とオウリは決めた。
「もうよからぬ事が片付いたのであれば、俺はそろそろ帰らなければ」
「そうだな。加担した者はあらかた捕らえ、あとは処分するだけだ」
処分という言い方が、あまり穏便ではない。カツァリ族のことだ、かなりの血が流れるのだろう。
流血のなされたその先を思ってルギは懸念を持ったようだった。
「ティスタの者が手を下すことで禍根が残るのなら、俺が手伝うこともできるが」
「いや、おまえ次期族長だろう。それこそティスタから恨まれてはまずい。ならいっそ他部族の俺の方が適任なぐらいだ」
オウリも本気で言ったわけではない。だがしっかりと氏族、部族間の関係にまで配慮できる若者達の言葉を聞いて、ウフトは安堵の笑みをもらした。次代には、よい芽が育っている。
「おまえ達から俺が俺がと言われて譲るわけにはいかない。これはティスタが片付けなくてはならんことなのだ」
ウフトはさすがに十年間部族を率いた威厳を見せて、二人の申し出を謝絶した。
ルギもオウリも無言の礼で、それに応えた。
◆ ◆ ◆
これにてカツァリ編が終わりです。そこで突然ですが、明日は番外編をお送りします。まだ駆け出しのオウリとルギとの出会いの話です。
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