八十六 長老の企み


 秋の空気を深める森の中の小さな高みで、三人と一匹は落ち合った。一緒に移動すると誰に見られているかわからないというので、一度別れてバラバラに森に紛れたのだ。

 ルギはついでに食堂で食べ物をみつくろってきてくれて、子猿がさっそく茹で豆にかじりついていた。オウリも遠慮なく蒸し芋と焼き肉に手をつける。

 奢られてやろう、これは巻き込まれ代だ。


 紅葉したフウの葉がきらきらと輝く森はこんなにも穏やかなのに、何故物騒な話を聞かなければならないのだろう。オウリはやや遠い目になって梢を見上げた。

 だが落ち葉の上に胡座をかいたトゥガは容赦なく口を開いた。


「さっきの話だがな。俺も父も、次の長をティスタから出す気なんて元からない。そこは言っておくぜ」


 ルギは不機嫌な顔で食べながら、トゥガを睨んだ。

 おそらくそうじゃないかと思っていたことが確認できたのはよかったが、そうなるとルギがやるしかなくなってしまう。それもまた、本意ではない。


「……爺どもをのさばらせておくからだ」

「言うねえ」


 ぶすっとしたルギと悪戯な顔で笑うトゥガを眺めて、オウリは推理をまとめた。


「ティスタの長老格に、世襲の道を開きたい者がいるのか」


 言われてトゥガは嬉しそうに自分の膝を叩いた。


「呑み込みが早くていいなあ、オウリは」

「そりゃどうも」


 今のカツァリ族長ウフトはティスタ氏出身だ。そしてその息子であるトゥガが次の長になることで、側近であるティスタの長老達やその子達もカツァリを動かす力を引き継ぐことができる。

 そしてトゥガは若い。トゥガの子が強く成長するまで族長であり続けることもできるだろう。そうなれば、ウフトの血筋がカツァリを率いて三十数年となる。世襲が当たり前だと認識をすり替えることも可能だ。


「俺の嫁の爺さんが、そんな夢を見てるようでさ」


 トゥガは困った顔で笑った。


「ウチの長男坊はまだ二歳なんだが」

「ひ孫を族長にするところまで生きているつもりか」


 オウリが呆れて言うと、トゥガはヒョイと肉を一切れつまみ食いした。


「たぶん無理だろうなあ」


 苦笑いするが、その頃には八十代半ばや九十を過ぎる歳の長老達がその計画に乗り、トゥガを担ぎ出したそうだ。

 形式的にはカツァリ十氏族すべてが候補者を立てるのだから、それで問題はない。

 トゥガ本人も父ウフトも、他の氏族の動きを見極めてすぐに誰かの支持に回るつもりだった。だがそれよりも早くバタバタと候補が降りていって、三人に絞られてしまったのだ。


 トゥガ、クタ、ルギの力量が抜きん出ていたのは事実だが、その動きが早すぎたのはティスタ長老の根回しがあったせいだろう。

 弱味を握っての脅しや買収に加え、トゥガの撤退を前提としてクタやルギへの支持をそそのかすこともあったようだ。もちろん候補者を減らすのが目的で、トゥガが退くなどという話は虚偽である。

 一瞬で三つ巴になってしまって、現在の族長ウフトとしては退き時が難しくなった。一騎討ちに持ち込んでは部族を二分して争うことになる。それは避けたいところだった。

 こうなれば仕方ない、三人で勝負し、トゥガが敗けた上でどちらかを支持すればよい。

 と思ったのだが、トゥガに割り当てられた相談が簡単すぎて敗けようがなくなった。今現在の部族を仕切っているのがティスタなのだから、長老達にそれぐらいの工作は造作もないのだった。

 そんなわけで今日をもってクタが脱落し、残りはルギとトゥガとなった。


 トゥガもウフトも、先ほどルギへの支持を表明してきている。

 トゥガがいくら有能であろうとも、族長の子が後を継ぐなど他の氏族から認められるはずもない。ウフトにはカツァリを私物化する意図などないと宣言しておかないとティスタ氏の立場が危うくなるのだが、長老達がそれをわかっているのかどうか。「爺ども」とルギに罵られる所以である。


 すんなりいけば、各氏族からルギを承認する返事がきて結果が確定する。

 だがそうなるのがわかっていてこんなことを画策しているからには、ここからの逆転の筋が長老達にあるということだ。


「ルギを殺そうってことか」


 オウリは確認した。元々最後に残った相手を殺してトゥガを長にごり押す計画なのだろうか。実に乱暴である。


「他所の長老に向かってなんだけど、耄碌してるな。こいつが殺されるタマか?」


 子猿を撫でているルギは一見すると穏やかな男だが、カツァリの頂点と目される実力だ。

 狩る、殺すという能力もさることながら、潜む、裏をかく力をもって鳥を射ている男をどう暗殺しようというのか。そう指摘されてルギはフンッと腕を組んだ。それなりの自負があるのだ。

 だいたいルギを排除できたところでケルタ一丸となって報復が始まるだろう。

 ケルタはつい四年前まで首狩りがあったような獰猛な氏族だ。カツァリ内が乱れるばかりで、下手をすればティスタ氏そのものが消滅しかねないと部外者のオウリですら思う。


「野心に溺れる爺さん達に振り回されたのは悪かったよ。あいつらのタチ悪いのはさ、すぐに昔の話をするんだな。おしめ替えてやっただの、おぶって子守りしてて背中をビショビショにされただの。それで族長を黙らせるのってアリか」

「ウフト様のことかい」


 オウリは吹き出した。壮年の男がおしめを盾にされてカツァリ簒奪を止められないとか、あまり公にできるものじゃない。


「様、なんて言ってもらわなくていいんだぜ。他所の商人を巻き込むとか、カツァリの名折れだ。族長としては失態だぞ」


 苦笑いするトゥガが申し訳なさそうだったのでオウリは首を振った。


「巻き込まれたといっても、このまま俺がカツァリを出てしまえば関係ないだろう。わざわざ俺を殺す意味もない」

「いや逆恨みはあるかもしれん。ルギに商才があるなんて誰も思っていないから、米相場なんて問題を押しつけたんだ。こんな伝手があるとはな」


 確かに、ルギは寡黙な鳥射ちであって、商売っ気の欠片もなく見える。

 だが鳥を射るには弓も矢も必要だし、鳥を射落としても羽は売らなければ無駄になる。誰が何をするにしても、商人という存在は関わってくるものなのだ。それを失念するとは大失敗である。


「ルギとクタがしくじれば自動的に俺しか残らなくなって、手荒な手段を取らずに済むと目論んでたんだろうよ」


 ため息をつくトゥガに、オウリは皮肉を投げかけてみた。


「そうなってたら、トゥガはどうした。渡りに船で長に立つか」

「するかよ。それじゃカツァリで内乱が起こる」


 トゥガは迷いなく言いきった。


「そうだな、どこに逃げようか。サイカか、シージャか」


 そんなことになればとっとと出奔するつもりだったようだ。言葉の通じる場所じゃないと暮らしにくいからなあ、と上を向いて考えてから、何かに気づく。


「どっちにしろオウリなら伝手を持ってるんだな。よし、俺とも友達になろうぜ。何かの折にはよろしく頼む」

「都合のいい友達だな」


 オウリは微妙な顔になった。友達とはなんなんだ、よくわからない。


「都合の悪い時でも友達でいれば問題ないだろ? だからひとまず、オウリを無事にカツァリから出そうぜ。シージャのどこに帰るんだ?」

「パジだ」

「へえ。海辺の町じゃないか。山のサイカ族がどうした」


 面白そうにするトゥガに、オウリは簡潔に答えた。


「女だ」

「いいね」


 トゥガはニカッと笑ってみせた。氏族だの部族だのを背負って生きているわりに、身の軽い男のようだ。


「どこから帰る?」

「久しぶりにサイカを回ってもいいと思ってたんだ。ここからだとケルタ経由だな」


 今ケルタに入るのは長老達を刺激することになるだろうか、と思ったが、ルギは事もなげに言った。


「では俺もケルタに戻る。俺とおまえなら、ティスタの誰が来ても問題なかろう」

「お? オウリは強いのか」

「商人だから、ある程度の心得があるだけだ」


 その時カサ、とこちらに近づく音がして三人は息を潜めた。遠くひそかな音だったが、全員ほぼ同時に気づくとは、なかなか気が合う。というか三人の力が拮抗している証拠だ。

 音は隠す気もないのかサクサクと枝葉を踏んで来る。軽いその気配は女のものだとオウリが判断した時、ルギが静かに立った。


「すまんが逃げる。宿で会おう」


 オウリにささやいたルギは、子猿を連れてあっという間に木立の中に消えてしまった。



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