七十四 森の散歩
森の中、というものにカナシャは慣れていなかった。
祖母の村への道は海沿いの林を縫っていく平らなもので、小さな渓谷の石だらけな登り道など初めてだ。足元を見ながらおっかなびっくり歩きつつ、木立や川の水飛沫も気になって仕方ない。
いつ転ぶかな、とオウリはすぐに腕を伸ばせるよう構えていた。
カナシャとシラは揃って下衣を履き、足結いも結んで山歩きの雰囲気を出している。クシャは腰巻き姿だったが、脛を傷つけないよう脚絆を着けていた。慣れた様子で木漏れ日を見上げ、清流の水音に耳を澄ましている。
その女性達三人とオウリ、護衛にエンラとクリョウそれにスサまで加わっているのは、ツキハヤが同行しているせいだった。
何故一緒に、と思ったが当たり前のようにクシャの隣から離れないので、たんに妻と散歩したかっただけなのかもしれない。そういえばこの二人もホダシなのだ。
支流の小川を飛び石で渡るのに無言でクシャに手を差し出すツキハヤと、クシャの後ろにいたカナシャの目が合って、ツキハヤは渋い顔で言い訳した。
「クシャはここで滑ったことがあるんだ」
頑固で厳しい男としては気恥ずかしいのだろうか。だがその手を取って支えられながらクシャが諭した。
「妻に優しくするのに理由なんていりませんよ」
ありがとう、とツキハヤを見つめるのを、フン、と手を離して一歩先に行ってしまう。扱い辛い夫だ。
だがクシャは気にすることもなく、梢で響く鳥の声を見上げた。あらゴシキドリ、と喜ぶと、ツキハヤも立ち止まって目を凝らす。不機嫌そうにしながら寄り添ってくれる、つくづく面倒な男だった。
「綺麗な鳥!」
カナシャも見つけて歓声を上げた。黄緑の体、緑の羽。首元は赤く額は夕焼け色、頬は青くキラキラ光る。森の鳥なのでパジでは見ることがない。
アヤルにいた頃のオウリは美しい鳥の羽を取り揃えて商っていたものだが、この反応を見るに需要はあるようだ。
ここぞという時に女の身を飾る、色とりどりの羽。オウリ自身は鳥の羽など矢羽にする以外に興味はなかったのだが。
「あの鳥は射落とせるか?」
ツキハヤが振り向いて言った。オウリは今、弓を背負って来ている。
「自信はないです。カツァリの鳥射ちには及びません」
それはオウリの知己であるカツァリ族の男のことだ。小鳥であろうと飛び立つ先を読んで射止める、オウリの知る一番の射手だった。
だがオウリの背の弓をカナシャが押さえた。
「殺さなくていい。あの子はあんまり食べるところないし」
「そんな理由かよ……」
殺すなと言うのはわかるが、せめて綺麗だからとか可哀想だからとか、少女らしい何かがあってもいいと思う。昨日の鹿で肉食に目覚めさせただろうか。
「だって、殺すなら無駄にしちゃ駄目よ」
正論だ。カナシャの腹すら満たさない小鳥だし、それにゴシキドリが美味いという話は聞かない。
だが今朝ツキハヤの前で弓を射たのは、おそらく人を殺す技量をみるためのもので狩りのためではない。
ハリラムで弓に長けるのは第一にカツァリ、次にサイカで、やはり山と森の民が強かった。シージャでも戦のためにある程度は弓を使える者がいないと困るというのは、長として当然の考えだろう。
「では食べでのある獲物がいたら狩ってみてくれ」
ツキハヤがニヤリとしたのにオウリは黙って頭を下げた。
今朝は馬のいない牧に連れて行かれ、いくつかの弓を試した。オウリの身長を超える長さのものから、その半分ほどの小弓まで。
それらを射ながらカツァリ族の鳥射ちの話なども出たのだった。
その後森に行くのにどれか持参しろと言われたので、邪魔にならない胸までのものを背負って来た。つまり、あまりやる気がない。
どうせ狭い渓谷だから長射程はいらないし、猪退治でもないから威力もいらないのだ。
「なあ、俺に弓を教えてくれよ」
歩きながらクリョウが寄ってきてねだった。自分は体術でスサに劣り、馬術でエンラに敵わない、少しでも何かしらの技量を身につけたいというのだ。
それを本人達の前で公言してしまうのがクリョウのすごいところだよ、とエンラがボソッと指摘し、名前を挙げられたスサも無言でうなずいた。
「みんなの共通認識だ、問題ないだろ?」
「問題はないけどな。心の強さはおまえが一番だろうよ」
肩を組みにいくクリョウと鬱陶しがるエンラ。そこにツキハヤがシッと合図した。瞬時に二人が息をひそめる。皆も足を止めるとツキハヤは木の上を示した。そこにとまっているのはヤマムスメだった。体と同じくらい長い尾羽の縞が美しい、深い藍色の鳥だ。
そんなに食べではないが、あれを射よ、ということか。
オウリは何も言わずに弓を取り、矢筒から矢を抜くと弦につがえた。獲物の下に枝が何本もあるのでどうかとは思うが、やるしかないか。頭の上に構えた弓を、胸を開いてキリキリと引き絞る。
シュンッ!
弦音に飛び立ったヤマムスメの胸を、オウリの矢は射貫いた。だが思った通り、落ちた鳥が途中の低い枝に引っ掛かってしまった。
「おお……そうなるのか」
ツキハヤが何やら得心している。さては弓での狩りはあまり経験がないとみた。どうりで下手な要求をするはずだ。
引っ掛かった枝の真下で
「わたしなら登れるね」
え。
違う、誰もそんなことは言ってない。
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