第四章 陽炎は揺れる

四十六 恋の告白


 パジの町はジリジリする夏の空気にあえいでいた。蝉の声がギンギン、シャシャシャシャとうるさい。

 家々の庭や道に植えられた木々の落とす影はくっきりと濃く、水場の近くでは蚊燻しがユラユラと焚かれている。布を張ってなんとか日陰を作った市場では、瓜が飛ぶように売れていた。


 田ではもう、今年一度目の稲刈りが済み、次の苗が植えられている。

 大地震がくるのを知っている者達は、ひとまず半年分の収穫ができたことでホッとしていた。



 カフラン達に限らず、ハリラムの各商会は精力的に資材を調達しようと努力していた。もちろん族長ツキハヤからの指示によるものだ。

 その本気を知って、南側のカダル族も備えを進めているようだ。カダルはハリラムでも生産力の高い土地であり、人口もシージャと拮抗する大きな部族だった。


 オウリも遠出こそしないが、あちこち駆け回らされていた。

 カナシャには定期的にカナシャに島の様子を探ってもらっている。その都合上オウリはカナシャの側に置いた方がいいのだが、いかんせん人手が足りなかった。林業や農業、水路の補修などに人的資源を集中させているからだった。


 木材を伐りに山に入るにも、製材して運ぶにも、倉庫を整理・管理するにも男手が必要だ。だが農繁期の農村にそんな人員は余っていない。

 普段町や運送業で働いていた人足達を動員したら、元々の町の仕事に従事する人が減った。仕方なく商会の面々が自ら荷積み荷下ろし、近距離の配送まで行うことになるのだ。

 だが人口の少ないサイカではそれが当たり前だったので、オウリはちっとも苦にならなかった。


「人は力だな」


 タオにいながら各地の状況を把握して伐採や開墾の差配をしつつ、イハヤは考えていた。

 できることなら人口を増やしたい。開墾して農業生産力を上げるにも労働力が必要だ。だがその労働力を養うためには農地が必要で、どちらが先かという話になる。

 そこは十年、二十年単位でじわじわと進めるしかない。


 せめて、町に出て独り身でいる男達と農村に取り残された女達がうまく伴侶を得て子を為せるようにできればいいのだが。

 町の人足を農村での仕事に送り込むのは、そんな思惑もある。


 イハヤは部族のために全体を見て働いているのだが、それが時として枝葉末節で悪い影響をもたらすこともある。

 この朝、パジの町でそれは起こった。




 オウリが一泊の予定で荷運びに出ていたので、カナシャは御杜に祈りに行っていた。オウリが町にいない朝はそうする、と決めているのだ。

 カナシャとしては朝の散歩みたいなもので、実は毎日でもかまわない。だがそうは思っていない者が一人いた。


「カナシャ」


 御杜から戻ってきたカナシャを道で呼び止めたのは幼なじみのライリだった。

 家具職人見習いのライリはもう十五歳になった。すっかり背が伸び、まだひょろっと細身だが、カナシャと取っ組み合いの喧嘩はもうできない。大人になりかけの不安定な少年だった。


「おはよう、ライリ」


 カナシャも最近、背が伸びた。最初オウリの胸にしか届かなかった頭が、鎖骨まであとちょっとなのだ。

 ちょっとじゃない、まだまだ届かないぞ、とオウリは笑うが、少し大きくなったことは認めてくれている。


「カナシャは、あの人がいないと御杜に行くよな」

「オウリ? そうね、一応、無事を祈ってる」


 旅ばっかりだから心配なの、とカナシャは笑った。だがライリは不満顔だった。


 ライリは朝食を買いに毎朝外に出る。それで御杜に行くカナシャを見かけたのだが、日によって行ったり行かなかったりするその理由がオウリのためだと気づいて胸がチリチリとなった。

 カナシャの一番近くにいた男はずっと自分だったのに。


「あいつ、全然町にいないじゃないか。カナシャをほったらかしにして」


 そのオウリの忙しさの原因はカナシャのお告げだ。ライリは知らないが、部族全体すら動いているのだ。

 カナシャはそれを言うわけにもいかず、誤魔化して笑った。


「仕方ないよ。オウリが頼りにされてるのは、わたしも嬉しいし」

「仕方なくねえよ、我慢してるなんておまえらしくない。なんでじっと待ってるんだよ。あいつは大人なんだし、よそに女とかいるかもしれないんだぞ」


 そんなことを言われても。カナシャは困惑した。

 ライリこそどうしちゃったんだろう。朝っぱらに道端の木の下でするには生々しい話だ。


 オウリを待って不安にかられる。そんな段階はとっくに通りすぎていた。しかもそれは、ただ生死の心配だった。

 ホダシが他の男女にフラフラするはずがないという確信は、余人にはわからないのだろう。

 だいたい今のカナシャは探ろうと思えばすぐにオウリを感じられる。それを受け入れているオウリには何もやましい所などないはずなのだ。


「そういうのはね、ないから大丈夫」

「そんなのわからないだろ」


 わかるのだ。説明しても納得はされないだろうが。

 対応に困っているカナシャに、ライリは苛々をつのらせた。

 なんにでもハッキリと白黒つけていたカナシャが、こんな奥歯に物の挟まったようになるなんて。


 ライリはフウッと息を吸った。

 やっぱり言わなきゃだめだ。


 身体の向きを変え、カナシャが木の幹を背にするように追いつめると、ライリは迫った。


「あんな奴、やめとけよ。おれならずっと一緒にいてやれる」

「……え?」


 カナシャは呆気にとられた。

 あまりに意外なことを言われて頭が回らない。面と向かって話しているのに、こんなに相手がわからないなんてことがあるのだろうか。


 ライリはカナシャの後ろの幹に右手をついて、カナシャが逃げられないようにした。


「だから、おれと付き合えばいいだろって言ってんだよ」


 顔を寄せて、小声で強くささやく。

 呆然として動かなかったカナシャは、数瞬後にようやく言われた内容を理解して、ライリに視線を合わせた。


 ベッチーン!


 カナシャは衝動的にライリの頬を平手で張った。

 たいそういい音が響いて、近くにいた人々が振り返る。よろける少年と震える少女を見て、皆は何を思っただろうか。

 カナシャは怒りや羞恥、諸々よくわからない感情に苛まれて、無言で踵を返した。





 その日の昼過ぎになって、オウリはパジに戻ってきた。

 商会で業務報告を済ませ、軽く腹ごしらえをしに外に出る。夏空がまぶしい。


 カナシャはこんな時ひょこっと顔を見せてくれたりもするのだが、今日は出てこなかった。

 何か用事だろう。カナシャもクチサキとして少しずつ信頼されるようになり、近隣の住民から相談事を受けることも増えていた。

 いいことだ、とうなずきながら、オウリは木陰をたどりながら歩いていった。


 途中、顔馴染みになった果物屋台のおばさんに呼び止められた。

 深刻そうにしているが、にやけるのを抑えている顔だ。何があったのかと近づくと、小声で教えてくれた。


「今朝ね、カナシャちゃんが痴話喧嘩してたよ」

「は?」


 オウリはやや間抜けな顔になった。自分は喧嘩していないし、そもそも町にいなかった。

 聞けば喧嘩というか、少年がカナシャに迫っているようだったという。


「道端でなんだかボソボソ話してると思ったら、カナシャちゃんが平手打ちして行っちゃったから面白くって」


 あ、面白いって言っちゃった、とおばさんは口を押さえた。


 なるほど。

 少年ということなら、心当たりがなくもない。

 初対面からオウリに敵意むき出しで、その後も顔を見れば無視され続けている。あれは横からカナシャをかっさらった自分への反感だろうと思ってはいた。


「で、相手は誰なんですか」

「ライリくんよ」


 やっぱり、とオウリが苦笑いすると、あら驚かないんだ、とおばさんは心底残念そうにした。







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