二十七 帰港


 思ったよりも早く雨の季節が始まり、強風で出港が遅れた。それでも二日遅れで無事にパジに戻ったオウリは、陸に上がってホッと息をついた。

 出発の時には外洋船で戻るとは思っていなかったが、シンの操船でフラフラになるよりは楽だといえる。お客様でいられるし、何よりあんなに揺れない。


 この大きな船を操るには多くの船員が必要だ。綱首こうしゅと呼ばれる船長を筆頭に、舵、帆、物見、碇の担当はもちろん事務係、食事係、航海の安全を神に祈る香工こうこうという職能の者まで乗っている。そして海賊に襲われた時のために警固衆けごしゅうと、彼らの武器も積んである。


 航海の度にそんな専門職の彼らを雇い集めるのは船長だが、船そのものは船長のものではない。大型船は建造するだけでも非常に金がかかるので、シージャ中の商会主が出資しあったのだ。

 族長ツキハヤも、もちろん大株主だ。


 そのようにして船を造るのにも、運用するのにもセンカという港町が必要なのだ。

 今日はパジに寄港してシージャ南半分行きの荷物と人を下ろすが、一休みして明日には母港へ向かう。




「やあやあ、お帰り」


 商会に戻るとにこやかにカフランが迎えてくれた。

 いや、本当の行き先を伏せて出張させたくせに、しれっとしたものだ。


「どうだったかな、オウリ?」


 それでもまず声をかけたのは、やはり今回の一番の標的がオウリだったということだろう。

 楽しそうにされてなんだか腹が立つが、オウリは礼を言った。


「ありがとうございます、とても興味深かったです。ただ行き先は、事前に言っておいてもらえると嬉しいんですが」

「そうだね、今度からは言うよ」


 最初から言え、としか。

 諸々の報告を済ませ、詳しくはナモイと話すから君達はゆっくり休みなさいと解放された。まだ夕刻までは少しある。


 カナシャの家に行ってみようかとオウリは考えた。

 姿を見せないということは、まだ祖母のもとから帰っていないのかもしれない。だがテイネとリーファには挨拶しておくべきだろう。


 シンは船旅が終わってしまったので元気がない。少しゴロゴロして後で飯を調達しに行く、と引っ込んでしまった。

 ズミは逆に、船から降りてお腹がすいたから屋台に行くという。ラハウも用事があるというので三人で外に出た。


 歩きながら見回してもやはりカナシャはいなかった。胸にずっと忍ばせている首飾りはいつ渡せるだろう。

 イタン村の実家にも早く行かなくてはならないが、カナシャとすれ違ったままになるのは嫌だ。なんならパバイという海辺の村まで行ってみてもいい。


 そんなことを考えながら夜市の立つ屋台街まで来た。昼間からちらほらと店は出ているのでいい匂いが漂っている。

 するとラハウがハッとなって足を早めた。連れがいることを思い出して一度立ち止まり、軽くこちらに手で合図すると小走りに行ってしまう。

 用事というやつなのだろうとオウリも手をあげて見送った。


「カーラ!」


 向こうでラハウが一人の女を呼び止めるのが聞こえた。なんだ野暮用だったのか。

 振り向いた女はパッと頬を紅潮させたが、口調は素っ気なかった。


「大きな船が着いたって聞いたわ。あなたも乗ってたのね」

「今夜は行くからな。他の客はとるなよ」


 ラハウが小声で告げると、女は泣きそうに顔を歪めた。

 何を話しているのかオウリには聞こえないのだが、ただならぬ雰囲気で単なる野暮用ではなさそうである。

 それにあの女、どこかで見たことがある気がする。


「あれ、ラハウの恋人なのか?」


 手っ取り早くズミに訊いてみた。ズミはあっけらかんと答える。


樟樹亭くすのきていのカーラだよ。娼婦にいれあげるなんて、ラハウくんもよくやるよね」


 樟樹亭。それでわかった。夜市で食事していた時に誘ってきた、あれだ。


「あの時の女か……」

「え、買ったの? それラハウくんには言わない方がいいかな」


 さすがにねえ、と心配するズミにオウリは首を振った。


「買ってない、声をかけられただけだ。カナシャと会った後だったし」

「ああ、事後ならね」

「……」


 何か誤解されている、とわかってオウリは顔を赤らめた。


「そうじゃないって。カナシャと出会ってからは他の女には手を出してないんだ」

「え、だって別に、よそで買うなんて普通でしょ。オウリはホダシちゃんにみさおたててるの?」


 きょとんとするズミの貞操観念の方が心配になる。それが普通?

 普通とはなんなのかオウリにはわからないが、実はカナシャ以外とはできなくなってるかも、などと言ったら盛大に不憫がられそうなので、とりあえず言い切っておいた。


「そりゃそうだろ」

「ふうん?」


 見やっても、もう二人の姿はなかった。見たところ娼婦と客、という感じではなく女の方は微妙な態度だったが、どんな関係なのだろう。


「ラハウはあの女に嫌われてんのか」

「んー」


 ズミが前髪の下で冷たいせせら笑いを浮かべた。

 こいつのこういう皮肉なところは、時として背筋が寒くなる。


「娼婦が恋をしたら、それはもう娼婦じゃないよねえ。意地張らず、さっさとラハウのものになっちゃえばいいのにさ」

「……どういうことだ」

「オウリ、お子ちゃまなの?」


 オウリには少し難しかった。

 じゃあね、とさっさと屋台をのぞきに行ってしまうズミにも取り残されて、オウリはとぼとぼとテイネの家に向かった。







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