十八 出港
早朝、オウリは港に来ていた。
柔らかな風に乗って海の匂いが押し寄せ、波の音が優しく響く。好天に恵まれてよかった。
今日はこれからアニに向けて船を出す。
沿岸の航海とはいえ山育ちのオウリには物珍しく、少々緊張するのも事実だった。
「船は初めてか?」
今回の引率役、ナモイが訊いた。曲者カフランの幼なじみだそうだが、こちらのナモイは誠実そうな男だった。
「初めてではないです。カダルに行った時に使ったので、ハリラムの南側ならぐるっと回りました」
「というとアニの南端までか」
アニは島の東側沿岸のほとんどを治めている。南北に連なるヤロア連山が中心より東に寄っているので、標高差が激しく平地の少ない、農耕の難しい土地だ。
商品作物である柑橘類や
白い大理石。緑の
花石はソーンでは採れない石なので輸出すると高く売れる。濃淡の薄紅に灰色から黒までの
石材の買い付けを勉強しておいで、とカフランがこの一行にオウリを加えたのだった。
確かに、オウリは石を扱ったことはほとんどない。そんなところまで読まれているのが何とも、カフランの底が知れなくてオウリは落ち着かない。
「明日にはアニの北の端のホゥラだ」
荷の砂糖をどんどん積みこみながら、船倉から顔を出したシンがニヤッと笑った。
サトウキビは平地が広いシージャとその南のカダルが産地なので、アニにはよく売りに行く。無造作に見えて船倉に平均に荷を置いていくのは経験のたまものだった。
「明日着くのか」
オウリは面食らった。
ハリラム西海岸部の北半分を占めるシージャの中でもパジは南寄りに位置している。島の北端の岬を回り込んだ所にあるホゥラまで、歩いて行けば急いでも五日はかかる道のりだったと思うが。
「風がいいからな。船は速いぜ」
シンは楽しそうだ。よく商会で背中を丸めているのとは別人のように不敵な笑みを浮かべている。
「覚悟しとけ。追い
荷車と船を往復していたラハウがささやいた。確か二十五歳ぐらい、がっしりした体格で体力的に油の乗ったラハウがすでにゲンナリしているのは不安しかない。
「すごいって、どう」
「くそ速いぞ」
「指示が鬼だよー」
同じく荷を船に運び終えたズミがうつむいたまま呟いた。髪を縛らないので顔にかかりっぱなしの前髪からのぞく目が虚ろだった。
「僕はシンの船には乗りたくないって言ってるのに、どうして組ませるかなあ」
恨めしそうなズミはオウリより一つ二つ年上のはずだが、甘ったれで我が儘な物言いのせいか年下のように感じる。そしてそんな言動でも周囲に許され可愛がられる不思議な空気を持った男だった。
ラハウが笑ってなだめる。
「まあまあ。ズミの操帆は的確だよ」
「あたりまえだよ! ねえなんで今回ラハウくんと僕が組むの? 重さが違いすぎるよ。僕よりオウリの方がいいって」
「オウリは船を知らねえんだよ、今日はお客みたいなもんだ。見て覚えてろ」
シンが甲板に出てきてオウリに言い放った。
覚えろと言われても、見てすぐ覚えられるものなのかまったく自信がない。というか自分達で船を動かすとは思っていなかった。
今日の船はごく小さい。甲板の上は帆柱一本に帆を掛け、船尾に舵があるだけの造りだった。
舳先でナモイが海上を監視し、シンが操舵、ラハウとズミで帆を動かす。
帆には竹の骨組みが何本も入っているので微風でも形を保ち、さらに緊急時には巻き上げやすくなっていた。
それを二人で左右から縄で引いて支えるのだが、常に風を受けているので当然重い。順風なら縄を引っ掛けておく場所はあるが、操帆時は体重を使える方が有利なのは仕方なかった。
操帆の二人とオウリは帆柱に縄で身体をつながれる。落ちないようにだよ、とシンが脅した。
「よーし、出るぞ」
ナモイが声を張った。船につないだ縄を引く二艘の小舟が櫂を漕いで港から引き出してくれる。
「帆を
シンが舵をくいっと当てて舳先を曲げながら言う。まだ巻いたままの帆を指示通りの位置につけるとズミが帆縄をオウリに渡した。
「ちょっとこれ持ってて」
引き縄をほどいた小舟が離れると、ナモイが揚々と言った。
「帆、揚げ!」
ズミが絞りを解いて、シュルル、と帆を張った。パン、と風をはらみ、引っ張られたオウリが踏ん張る。
なるほど、これが船の進む力なのか。推力を筋肉で感じられるとは、なかなか面白い。
ゆらりと漂っていた船が、風を受けて浮き上がるように進み始めた。ズミが戻ってきて縄を取る。
「ね、重いでしょ」
「そうだな」
「うるせえ。ほら、
ぶつくさ言いながらもシンの言葉にクン、と縄を引いて合わせる。するとまた嘘のように速度が上がった。
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