第二章 海を渡る風

十五 大陸と島と海と


 カフラン商会の奥の部屋で取引台帳や商品目録を見せられていたオウリの顔は次第に青ざめていった。

 最近のものから遡って数年分ざっと見ただけだが、これは。


「カフランさん……」

「どうかしたかな、オウリ?」


 ニヤニヤとカフランが笑う。

 他部族から来た新入りに大事な台帳を見せるとはずいぶん買われたものだと思ったが、これは見せておかないと仕事にならない。この商会はおそらく、一介の個人商会ではない。


「何をやってるんですか、あなたは」

「別に、私はただの交易商だよ」

「年に一回、ソーンに輸出した物品に対して、持ち帰る物品の価値が数倍になる取り引きがあるんですが」


 そういうやり取りにオウリはひとつ、心当たりがあった。朝貢という。


 ソーンは自国こそが世界の中心であるとして周辺の国々をすべて属国とみなしていた。実際の力関係はともかく、建前上そうなっている。

 それを受け入れてソーン皇帝の徳を慕い貢ぎ物を捧げると、ソーンからはその数倍の品を賜ることができる。


「なに、たまたま高く売れただけじゃないかな」

「そういう取り引きの荷主は必ずツキハヤ様になっています」

「おお、君、シージャの長の名前までよく知ってたね」

「知ってるに決まってるでしょうが」


 シージャ族長ツキハヤ。

 長に立ってもう二十年以上経つ、壮年の男だ。ここのところのシージャの豊かさは彼の手腕によるものだとみなされているし、ハリラムの他部族からも一目置かれている。


 そもそもハリラム島内は一蓮托生、島の中にあるもので皆が生きなければならない。誰かに余裕があれば他の部族も潤うのである。有能な長がいるのは悪いことではなかった。

 豊かといってもこの程度なら、他部族を攻め支配するほどの格差はない。

 ハリラムで争いが起きるのは、人が飢え、足りない物を奪い合う時だった。


 だが各部族はソーンとの国交を持っていないはずだった。それはハリラムの誇りのために。

 ソーンから見るとハリラムは島夷しまえびす、東の田舎の島の異民族である。公に修好を求めればそれを認め、ソーンの下につくことになる。税さえ納めれば私貿易を行うことはできるので、嫌々頭を下げずともいいのだ。


 確かに部族、氏族という緩やかなつながりと慣習で生きるハリラムには、制度化された官僚組織も、統一された度量衡もない。貨幣も造られていないのでソーン銭が輸入され使われている。格下と見られても否めない。

 だが、それでいい。


 ハリラムの自然は厳しい。災害も起こる。いや、災害がなくとも助け合わなければ生きられない。それには融通が必要で、きっちりした制度の中では必ず取りこぼしが出る。そして、こぼれた者は死ぬ。

 今のままがハリラムとして優れた在り方であるから、無理に国としての体裁を調えたり、頭を下げてソーンの属国たることはないというのが各部族の共通認識だったはずだ。

 シージャはそれを覆したのか。シージャだけでそんなことを行っていると他の部族に知れたらかなりまずいことになる。


「秘密裏に朝貢を行う隠れ蓑として、ツキハヤ様がこの商会を使っているということですね」

「オウリは鳥のような目を持っているね」


 はっきり肯定することはせずに、カフランは満足気に微笑んだ。

 この台帳をちらりと見ただけで、シージャが隠密に行う外交とそのハリラムでの問題点に気づく見識。それでこそ引き抜いた甲斐があるというものだ。


 鳥のよう、とは俯瞰して見渡す目のことだ。商人の中には目先の利にとらわれる者も多いが、アヤル商会ではサイカ族全体をどう生かすかということを叩きこまれる。それは他の部族との調整も含めてだ。オウリは五つの部族の主な町を商って歩く中で、その感覚をしっかり身につけていた。


「でもその目はハリラムの中にしか届いていない」


 カフランの鋭い視線に、オウリは身構えた。


「海を渡ってごらん、オウリ」


 西にはソーン。


 その北にあるウルスは南を窺って幾度もソーンに戦いを仕掛けている。


 ウルスの東の海の大きな島イパは金や銀を産する。それもあってウルスへの備えは厳重だそうだ。


 その南に連なる小さな島々シガンでは強い長が出て、争いつつ一つにまとまり始めている。


 さらに南には、このハリラム。


 そしてこれらの国々の間に広がる海で、時に商船を襲い、時に商船に雇われて護衛をしながら生きる海の民もいる。


「世界は動いている。ハリラムだけが変わらないではいられないよ。ウルスがハリラムへ水軍を送ってくるかもしれない。海の民が陸に上がろうとするかもしれない。備えるためにはこちらも豊かであらねばね。朝貢というのは間抜けな制度だからなあ」


 貢がれた方が何倍もの下賜品を出すのだ。大国の度量を表し内外に政権の正統性を示すものとはいえ、商売で考えればこれほどおいしいこともない。頭を下げることを受け入れればそれが手に入る。誇りを取るか、実を取るかだ。


「ソーンからは、シージャを頂点としてハリラムすべてが膝を折ったと見られているのではないですか」

「そうだね。だから私がこっそりやってるんじゃないか」


 属国扱いに甘んじているのがハリラムの内で露見しないように、だ。カフランはクスクス笑った。


 ツキハヤのいるタオの町は内陸だ。川はあるが貿易船が遡れる深さはない。パジが玄関口になるしかないので、カフラン商会が窓口を務めても不自然ではないのだ。

 修好使節がやってきても、島をあげてもてなせないのは貧しい田舎なので仕方がない、と言い張って賄賂でも贈っておけばいい。


「豊かというのは商品だけのことではないんだよ。ソーン銭がハリラムでこれだけ使えるようになったのは、この取り引きで出た利益で買いつけて流通させたからだ。それに政権の中心に近づかないと新しい知識や書物は手に入らない。これに一番価値がある」


 オウリなど若い世代は物々交換が基本だった頃をあまり覚えていない。シージャのやったことは確実にハリラムの暮らしを変えているのだ。


「それにソーンは今、ハリラムどころじゃないから使節も来やしない。ウルスとの戦が十年も続いているんだ」

「十年? そんなに戦っていられるんですか」

「腐っても大国だね」


 カフランはソーンが腐っているとにこやかに言い放った。


「知ってるかい、彼らの戦いでは一度に十万の兵がぶつかることもあるんだ」

「じゅ……え?」


 ハリラムに住む人全て合わせても十万と少ししかいないはずだが。


「一日の戦で一万や二万が死ぬんだってさ」

「……サイカ族が消滅しますよ」


 シージャも二日で消えるね、とカフランが笑った。腹が立つほど国の規模が違うのだ。

 それでも戦っているのは国境の一部だけ。都の人々は知らぬふりで贅沢を貪っている。珍しい茶を持っていけばもてはやされる程度には豊かさを装って手放さない。


 ウルスとて大概だ。北で隆盛を誇る勇猛な国が十年も南を攻めあぐねているのは、王である兄と南攻を命じられた将軍の弟の反目のせいだった。戦場にある兵士達と戦火にさらされる民にはおよそ関わりのないことだ。


「だけどそのうち、ソーンは腐り落ちるよ」


 カフランは断言した。


「それまでは、搾れるものは搾っておけばいいんじゃないかな。ソーンがなくなれば、こちらが誇りを売っていたとしても、なかったことにしてしまえるさ」


 大国が消える動乱に備えるため、その大国から資金も物資も知識も掠め取る。オウリが考えてもいなかった壮大な詐欺がパジでは行われていたらしい。


 好きな女の子のために転職しただけのつもりが、歴史を見据えたそんな大仕掛けに巻き込まれることになって、オウリは頭を抱えた。






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