九 兄弟


 サイカはハリラムの中央高地の北側を占めている。

 高原の西側から北側にはシージャの暮らす海沿いの平地があり、東には高原より更に高い山々が連なる。

 山から流れる幾筋かの川の流域を中心に、森を切り開き丘を農地に変えて生きてきたのがサイカの民だ。


 長のいるアヤルはそれなりに大きな町だが、村ともいえない小さな集落が川沿いに点々とあり、その生活は楽ではない。

 アヤル商会がその町の名を冠するのも、半ば公けに、長の意を受けて人々を支えるために動くものだからだ。

 村々から買い集めた生産物を売りに島中を巡り、サイカで産しないものを仕入れては戻り人々に売る。災害があれば旅慣れた機動力で救援物資も届ける。

 若く体力があるオウリが引き抜かれたのは商会としては痛手だった。

 だがシージャとの結びつきを強める橋渡し役を期待して、商会主も笑って送り出してくれた。



 オウリは今、生まれ故郷の村に向かっている。アヤルからはほんの一刻、細い渓谷に沿った山道を登っていけばよい。

 藪の近くを歩く道では虫よけ、蛇よけのために裾を足結あゆいで縛る。

 動物よけの小鈴も足結いについているので、歩く度にチリンチリンと可憐な音がした。弓は負っているが、特に一人で歩いているこんな時に熊や猪に出会うのはごめんこうむりたかった。


 森は芽吹いた若葉の色に満ちている。

 常緑の木が多い山がいつもより明るく見え、心躍る季節だ。小鳥の鳴き交わす声がそこここから響き渡る。

 だがオウリの気は重かった。どんな顔で結婚予定の報告をすればいいのか。

 いっそ何もかも秘密にしておきたい衝動に駆られるが、どうせアラキあたりが立ち寄った際に全て話すに決まっている。本人の口から言わなかったと非難轟々浴びせられるのは必定ひつじょうだ。おおらかな母親もさすがに泣くかもしれない。

 私的な話はなるべく駆け足で済ませ、さっさと仕事の件に移ろうとオウリは心に決めた。

 それでも村を囲む竹垣が見えてくると、ため息が漏れるのを抑えられなかった。



「ちょっと待てオウリ、一度にいろいろ言い過ぎだと思わんか」


 サイカ族のイタン村で茶畑を営む男、イップは眩暈めまいがしてあぐらのままよろめき板間に手をついた。


 村や家のしがらみを嫌って四年前に出て行った三男坊が珍しく家に顔を出したと思ったら、勤めていた商会を辞めたと言うのだ。

 シージャ族の町パジに移って別の商会で働くことにし、パジの娘と結婚するつもりだと。

 その娘はまだ十三歳なので大人になるまで待たなければならない。だが彼女が己のホダシなので、出会ったからにはもう別れることはできない。あと彼女はクチサキの力を持っているが、まだ修行中だ……。

 などと一気に告げられた上で「茶のことで仕事の相談があるんだけど」と違う話を切り出されてすぐに応じられるほど、イップは胆が据わっていなかった。


「あー、まあ情報が多いのは認めるよ」


 オウリは父と兄二人に囲まれて、曖昧な微笑みを浮かべていた。

 実直そのものの父と、それに似て堅実で村の人々からの信頼が厚い長兄。この二人とは昔からなんとなく話しづらかった。

 向こうから見ても、他人を踏み込ませず上っ面の付き合いしかしないオウリは理解できない存在だっただろう。


「おまえはまた、好き勝手に生きてるんだな」


 長兄のタイガが眉間に皺を寄せた。この長兄が、オウリに対して一番当たりがきつい。

 まあ理由はわからないでもない。

 タイガはオウリと同い年の村の娘カエをほんのり好ましく思っていたのだが、カエの両親から申し込みがあった縁談は最初オウリ宛てだったのだ。カエが望んだのかどうかはわからない。

 とはいえオウリが村から逃げた後あらためてタイガとカエの縁組がととのい、今では子もいるのだから粘着されても困る。


「別に、好き勝手してるわけじゃない。こうするしかなくなっただけだ」

「本当にその女がホダシなら、そうかもしれないが」

「うーん、たぶんそうなんだと思う」

「たぶん、か」


 タイガが吐き捨てた。

 この逃げた言い方が気に食わないのだろうと思うが、オウリとしてはカナシャは離れがたいほど大切な存在だなどと真顔で言えるわけがない。くそ恥ずかしい。


「彼女がホダシでも何でも、俺が身を固めた方がいいだろうに」

「別に、どうでもいいな」

「母さんは会う度に言うんだよ」

「おまえが今さら親孝行もないだろう」


 突っかかり続けるタイガに苛ついて、オウリは笑顔を引っ込め冷たく言い放った。


「じゃあどうしろってんだ。村で茶作りを続けて、俺がカエと結婚すりゃよかったのか」

「―――カエは俺の嫁だ!」

「ああそうだ。で、俺は、カナシャを嫁にする。それなのに何故か言い掛かりをつけているのはタイガ兄さんの方だ」


 いなさずに珍しく言い返したオウリをグッと睨み、タイガはダン、と足音を立てて立ち上がると不機嫌な顔で出て行った。


「あー」


 我に返り苦笑いするオウリの肩を、次兄のリガンがポンポンと叩いた。たぶん「気にするな」ということだ。職人気質かたぎの次兄は製茶に関してはとても頼りになるが、とにかく無口だ。


「うむ、今のはタイガがよくない」


 イップもうなずき、オウリを真っ直ぐに見た。


「いつもヘラヘラ逃げ回っていたおまえがタイガを怒らせるとは、それほどの相手なんだな」


 ヘラヘラと言われるのは心外だった。オウリからすると、衝突しても得るものがないから流してあげていたのである。まあそれが父と長兄からの認識なのはわかっていたが。


「トゥーイにも後で話せ。喜ぶだろう」

「ああ」


 トゥーイとは母のことだ。仕事の話だろうから、と今は席に加わっていなかった。まさか嫁取りの報告があるとは、欠片も期待していないに違いない。泊まっていくなら夕飯は何にしようかとニコニコしながら畑に行ってしまっていた。


 とはいえまずは仕事だ。カフランの要望をかいつまんで伝えると、イップは腕組みしてう~んと唸った。


「もうすぐ一番茶を摘む頃合いだぞ。何の準備もなしに今言われても困る」

「今年はいろいろ試せればいいんだ。それに欲しいのは高級品だから、量は作らなくていい。むしろ希少価値を持たせたい。だからいつもの茶を作る横で、実験するぐらいの感じでできないかな」

「まったくおまえは、すっかり商人あきんどになりおって」


 ため息をつくイップと対照的にリガンはニヤニヤと嬉しそうだ。

 この次兄なら食いついてくるのではないかというオウリの読みは当たった。とにかく黙々と作業しながら工夫するのが好きで、リガンが製茶に参加するようになってから、家の茶の出来が向上したとオウリは思っている。


「リガン兄さんが仕事の片手間にやるぐらいでもかまわないから、頼むよ」


 名指しで言われて、リガンは拳で胸を叩いた。毎年同じ物を同じように作るのも職人芸だが、新しい工夫を加えるというのも心躍るものである。


 乗り気なリガンに要望を伝える。まず茶葉の生臭み、というか青臭みをなくすために何かできないかということ。そして果物などの香りを移してみたいこと。


「茶葉は匂いを吸いやすいから、香り付けはできると思うんだ」

「果物をどんな状態にしておくのか。あと、どこの工程で香りを吸わせるかだな」


 イップが指摘する。

 果物がみずみずしいと茶葉と共に腐るかカビる。干し過ぎると香りがなくなる。

 茶葉を蒸した後、重ねて置いて匂いを移すのか。混ぜて撞くか。葉を撞いた後で混ぜて固めるか。


「いずれにしろ果物は難しくないか? 茶葉も傷めるぞ」


 イップに言われてオウリは考え込んだ。茶葉は固めてから遠火で乾燥される。つまり最後まである程度の水分を持っているのだ。陳皮チンピのような完全に干された柑橘の皮なら大丈夫かもしれないが香りが落ちるし、マンゴーの果肉など水分の多い物では厳しいかもしれない。


「花」


 リガンが一言だけ発した。

 それだけで言いたいことはわかった。果物ではなく花で試してみたいというのだ。オウリは顔を上げて次兄を見つめた。


「天才だな、リガン兄さん」


 素直に讃えたオウリに、リガンはニヤリと返した。イップも真面目な顔でうなずく。


「花なら茶葉と近い水分量に調整しやすい。いけるかもな。これからの季節、香る花がいろいろ咲くぞ」

「……茉莉花まつりかなら甘く、金銀花きんぎんかならさわやか、かな」


 花暦はなごよみをたどるオウリに、イップは笑って首を振った。


「しばらく先だが、一番かぐわしいのがあるだろう」


 このハリラムで花の香の代表格といえば。オウリは目を光らせた。


玉蘭花ぎょくらんかか」


 ほころびかけの数輪を飾るだけで部屋中に香気が満ちるあの花ならば、むしろ茶が負けないような工夫が必要だ。

 これは面白くなりそうだった。






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