五 巫女


 町はほんのりと夕方の空気を漂わせ始めていた。

 日が傾いて影が伸びている。のんびりと仕事を片付ける者達の声が響き、夜市よいちに屋台を出す者は逆に活気づく。


 オウリはカナシャを連れて、あてもなくゆっくり歩き出した。


 この町にはあまり詳しくない。二年前に二回ほど来たことがあったと思うが、それぐらいだ。

 カナシャと二人だけで話をしたいのにどこに行けばいいのかわからない。

 仕方なく、人通りもままある道でぼそぼそと話すことになってしまった。


「カナシャ……」

「うん」


 見上げたまぶたが少し腫れていた。

 泣いていたんだな、と思うとすぐに追わなかったことを後悔する。でもそうしたところで抱きしめるぐらいしかできなかっただろう。

 そんなその場しのぎではだめだ。

 まあそれはそれとして、今からでも抱きしめたいが。


「あの、あのね、逃げだしてごめんなさい」


 泣き跡が可愛いくて眺めていたら、先にカナシャに謝られた。しまった、大人として頼れるところを見せたいのに。


「いや、俺も、すぐに追いかけなくてごめんな」


 カナシャはぶんぶんと首を横に振った。追いかけてきてくれたら嬉しかっただろうが、たぶん恥ずかしくて死にそうだった。

 初潮もまだだと知られたのは痛恨だ。これまではそんな面倒そうなもの来なくていいと思っていたけれど、オウリのためならば大人になっていたかったとしみじみ思う。


「カナシャはまだ、俺と一緒にいたいと思ってくれてるかな」


 出会ったのが昼過ぎで、今はやっとその日の夕方なのだが、この男は何を言っているのだろう。

 肉欲はともかく精神的な恋愛にうとすぎるオウリには、先程からの騒動だけで大恋愛を一周回ったぐらいに感じられたのだ。

 だがカナシャはそれ以上に初心うぶなので、言葉の齟齬そごに気づくことなく真剣に答えた。


「わたし、こんなに子どもなのにいいの? 一緒にいても」

「すぐに大人になるさ。俺はカナシャといたい」


 欲しかった言葉を言ってもらえて、カナシャはもう一度泣きそうなほど嬉しかった。

 オウリは言葉を続けた。


「だから、カフラン商会で働くことにしたんだ」

「え?」


 カナシャは頭が真っ白になった。


「そういうことに話がまとまった。カナシャがアヤルに行かなくても、おれがパジに来て暮らす。あちこちに商いには出るだろうが、パジに帰ってくる」


 ややいたずらな目をしてオウリはカナシャの顔をのぞきこんだ。


「それならカナシャもいいんじゃないか?」


 目をぱちくりさせるカナシャをオウリは満足気に見つめた。

 うん、やっぱり可愛い。


「……いい、です」


 呟いてから、やっと事態が飲み込めたカナシャは思わず大声を出した。


「オウリ!」


 驚いて、オウリがシーッとする。一応路上なのだ。

 だがカナシャは少し声を抑えたが、勢いは止まらなかった。


「オウリ、オウリすごい、オウリかっこいい! なんでそんなこと思いつくの。それになんですぐできるの。すごいすごい!」


 かっこいい。すごい。

 そんな言葉もカナシャに言われると心にガツンと響く。

 オウリは初めてモテる喜びというものを理解した。


「……それは、カナシャのためだから」


 カナシャが見上げると、オウリは照れたような笑みを浮かべていた。かっこいいのに、ちょっと可愛くてカナシャはドキッとなった。急にもじもじしてしまう。


「……ありがとう、オウリ」

「いや、カフランさんやアラキさんのおかげだよ」

「あ、そうか」


 全部自分の手柄のように思わせるのはずるい気がして正直に言った。

 手の内を隠したり、さらけ出したり。まあ、商いには必要なことだが恋にはどうだろう。


「こっちに来てどう働けるのか、やってみないとわからないけど、なんとか暮らしが立つようにする。だからカナシャは、リーファさんがお嫁に出してもいいと思えるように、頑張ること」


 いいかな、と視線をおくるオウリに、カナシャはガクガクうなずいた。


「う、うん。頑張って大人になる」

「……待ってる」


 笑いをこらえてオウリはうなずき返した。

 すると、カナシャがくすぐったそうに首をすくめた。ツイと手を虚空こくうに伸ばし、ひらひらと両腕を舞わせて、笑う。


「……なに、今の」


 オウリはきょとんとした。


がね、おめでとうって。なんだろ、こんなに聴こえて、感じるなんて、初めてだなあ」

「みんな……?」


 きょろきょろしても、誰もこちらを見たりしていないが。


「ああ、木とか水とか風……島の声っていうか? よくわかんないけど」


 …………。

 オウリはしばし考えこんだ。そして一つの結論に達した。


「カナシャ……もしかして、君はクチサキ様なのか」

「そうよ」


 そういえば言ってなかったね、とケロリとしているカナシャに、オウリは天を仰いだ。








 

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