三日目

 昨日は帰ってからも思い出そうと試みたが、やはり何も思い出せなかった。

 朱莉がいい加減なことを言って、からかっている線も考えた。しかし、僕には朱莉が嘘を言っているようには見えなかった。

 そんな思考を巡らせていたら、あまり寝付けなかった。

 ぼんやりとしたまま教室に着くと、昨日と同じく朱莉はすでに居り、勉強をしていた。

 始業式の日もこんな感じだった……いや、もう少し剣呑な雰囲気だったような。


   *


 一年生のときに朱莉と同じクラスだった人はもう慣れたのか何なのかわからないが、初めて同じクラスになる人にとっては麒麟児は新鮮だった。

 そんな朱莉にみんな興味がありつつも、どこか近寄りがたい雰囲気を出している朱莉。

 相反する空気感に教室内は緊張感に包まれていた。

 そこに僕が何かをしたのだろうけど……一体。


   *


「やあ。答えは出たかい?」

 三日連続で同じ姿勢で似たように問いかけをする。

「ちょっとまだいくつか気になることがあるから、まずそれを訊いてもいいかな?」

「もちろん。期限は今日中だからな。それまでに答えてくれればいい」

「じゃあ早速。朱莉さんって実は人見知り?」

「ん? いや、まあ、どうだろうな。別に今みたいに考くんとは普通に話せるし、そうでもない気がするけど」

「でも友達少ないんでしょ?」

「否定はできないが……というか関係あるのかこの質問は?」

「まあね。とりあえず、その反応見れただけでも良しとしよう」

「何を考えてるんだ?」

「まあまあ。次の質問。クラスメイトと話したいと思ってる?」

「それはないかな。前に言ったと思うが私は人に興味がない」

「でも人と接するの嫌ではないんでしょ?」

「まあそれはそうだが、自分から話しかけたいとは思わんぞ」

「じゃあ話しかけられたら?」

「それならまあ、話すだろうな」

「どんな風に?」

「今みたいに話すと思うが……」

「本当に? 誰でも?」

「……たぶん。誰でもかはわからんが考くんと話すようにはなせるんじゃないかな」

「僕のこと、言動は個性的って言ったよね?」

「話がいきなり変わったな。ああ、言ったよ」

「それも見ればわかるって」

「そうとも言ったな」

「冷静に考えるとおかしくない? だって僕が朱莉さんと初めて話したと思ってる、思い込んでる一昨日から今日まで、そんなに変な言動はしてないでしょ?」

「考くんが気付いてないだけで傍から見れば奇妙に見えることもあるだろ」

「確かに。でも、もっとしっくりくる答えがあるよ」

「それは?」

「以前に話したことがある、とかね」

「……だとしたらどうだと言うんだ?」

「話したことがあるだけなら何も問題はないよ。でも、今は朱莉さんが僕との接点、それも信頼を築けるようなのを訊いてるんだよ。しかもそれをわざわざ隠してる。ということは、この隠された会話が僕への信頼たる理由だと僕は推測する」

「ほう、面白い考えだ。それで、考くんは私とどんな会話をしたのかな?」

「それは正直思い出せない。けど、昨日一昨日の朱莉さんとの会話にヒントがあったんだ」

「ヒント?」

「うん。容姿についての話をしたじゃないか」

「ほう」

「僕は没個性的みたいな。そう考えると、朱莉さんは逆に個性的、と思わされそうになる。でも違うんだ」

「……」

「朱莉さん女子生徒なのに男子の制服を着ていたり、ベリーショートの髪型だから奇抜に見えるだけで、もしも男子だったら朱莉さんの格好は別に奇抜でも何でもない。制服を着崩したり、髪型も校則違反するようなものではないしね」

「お、おう」

「そして、これに僕の言動が個性的という発言を加味すると、自ずと答えが出る」

「その心は?」

「今日も可愛いね!」

「は?」

「だから今日も可愛いみたいなことを言ったんだよ僕は」

「一応、そうなった理由を訊いてもいいか?」

「もちろん。男子の格好をした朱莉さんに対して、普通は可愛いと言っていいのか躊躇ってしまう。だけど僕はそこに躊躇なく可愛いと言うことで、朱莉さんの乙女心をくすぐり、信頼を得られたんだ」

 自分でも「過去の自分、何を言っているんだ」とは思うけど、僕がこういう突飛な発言をしないという保証はなかった。

 そんな僕の解答を聞いた朱莉がどんな表情をしているのか見て見る。今まで見たことがないくらい困惑していた。

「えっと、考くん。それはボケなのかな?」

「大まじめだよ」

「そ、そうか」

 頭を抱える朱莉。現実で頭を抱えながら悩む人間を初めて見た。

「どうかな?」

 何を悩んでいるのかわからないが、僕は答え合わせがしたくて訊ねる。

 朱莉はようやく顔をあげてコツらを向いた。

 ……なんか怒ってる?

「どうって、そんなわけないだろ!」

 校舎裏全体に響き渡る声で叫ぶ朱莉。

「なんだ可愛いって言われたから信頼したって。女馬鹿にしてんのか」

「そんなつもりは……」

「大体、今日も可愛いってなんだ、今日『も』って。『も』を使うときは一回めがあっての二回め以降だろ。何で初めての会話で今日もって言ってんだ馬鹿か」

「そんな言わなくても……」

「いいや、言わせてもらう。君にはデリカシーというものが足りない!」

 一昨日言われた『君』とは違うニュアンスに聞こえた。

「私自身、すごく女の子っぽいかと言われれば、そうではないかもしれんが腐っても女。言われたら腹が立つこともある」

「例えば?」

「いや、何でそんな冷静なんだ。メンタル強すぎるだろ……。まあ例えばと言うか、もうほぼほぼ答えだが、私と初めて話した始業式の日。考くんはこう言ったんだ」

「僕の名前で韻踏んでくれたの嬉しい」

「調子狂うな」と言って、一つ息を吐く。

 一度咳払いをして続けた。

「何で男子の制服着てるのってな」

「え、僕そんなこと訊いたの?」

「ああ。私は違うからいいが、もしトランスジェンダーだったらどうするつもりだ。相手を傷つける可能性があるんだぞ」

「確かに……。ごめん、そんな気が回らなくて」

「私は単に女だから女物の制服を着なければいけないというのに嫌気が差して男物の制服を着てるだけだからいいが、そうじゃない場合もあるからな」

 天才と呼ばれるような人はどこか常識や人間性に難があるみたいな偏見を持っていたが、少なくとも朱莉は、常識的で僕よりも全然人間味があった。

「……矢継ぎ早に言ったが、別に怒ってるわけじゃないぞ」

 僕が落ち込んでいるように見えたのか。フォローするように続ける。

「今回、考くんに出した問題は、私が話していない、なおかつ信頼させるような出来事だったな」

 頷く。

「その答えがさっきのデリカシーの無い発言なわけなんだが、正直少し嬉しかった」

 朱莉の表情が和らぐ。

「前に言ったと思うが、私と距離を置く人が多い。だから以外かもしれんが、この格好のことを直接言われたのは考くんが初めてなんだよ」

 言われてみれば、朱莉にプライベートなことを話しかけている人をあまり見かけない。

 僕が聞いた噂も、よくよく思い返してみれば誰から伝聞したのを伝言ゲームのように伝ってきたようなあやふやなものだった。

「だから内容はあれだったが、話しかけられるという事実が私は嬉しかったんだ」

 話す朱莉の表情は穏やかで、とてもからかっているようには見えなかった。

「……でも話しかけられたってだけで僕を信頼したの? 不用心じゃない?」

「考くんがそれを言うのか……。とは言え、言ってることは一理ある。しかし、そこは安心しろ。私には人を見抜くちからがある」

 自分の両目を指差し、ながら僕と目を合わせる。

「確かに。読心術だっけ? それができるんだもんね」

「ああ。まあ読心術ができるのは嘘だが、人を見る目があるのは確かだぞ」

「朱莉さん、結構嘘多くない?」

「女は嘘吐きだからな」

「また極端なことを」

「ほんの戯れさ。それはそうと、私は友達が少ない」

「またいきなり。でもそうだね。最初は人見知りだから少ないのかと思ったけど、どちらかと言えば、その難のある性格のせいだね」

「手厳しい、というか口汚いな。まあ否定はせんが。じゃなくて、私に友達が少ないのは良い人を選んでるからだ」

「人を選ぶなんて傲慢な考え方だね」

「いちいち突っかからないと会話できんのか? まあいい。そういう選民思想的なものではなく、自己防衛のために選んでるんだ」

「自己防衛?」

「ああ。私に近づこうとする人の中には、私の秘密を握りたいとか、私と一緒に居れば得があると考える人間が一定数居るのさ」

「それも麒麟児、天才ゆえのやつ?」

「やっかみかもな」

 呆れたような様子で話す朱莉に僕は「でも、せっかくだし友達作ろうよ」なんてお節介を焼く。

「よく今の話を聞いてそんなこと言えるな」

「言えるよ。だって朱莉さんは他人に興味がないだけの人間だもん」

「だったら友達なんか作らないだろ」

「作るよ。友達は他人じゃないもん」

「自分以外は他人だよ」

「違うよ。他人ってのは家族や恋人、友達みたいな関係性を築いてない人のことを指すんだ。だから友達なら他人じゃない」

「詭弁だ」

「かもね。でも朱莉は詭弁好きでしょ?」

 一瞬、驚いたような表情をした後、朱莉は大きく笑った。

「まさか私の発言を逆手に取って、詭弁で言いくるめようとするとはな。さすが考くん。君も人間性に難がありそうだ」

「恐縮です」

「その返事は絶対おかしいぞ。それに、呼び捨てで呼んでくれるのもいいな」

「あ、やっぱり。普段敬称を付けて、ふとしたときに呼び捨てにすると、女子はきゅんとくるって本に書いてあったからさ本に書いてあったのは本当に当たりなんだね。本だけに」

「その策略を全部話したら台無しだけどな」

「確かに」と言って、二人で笑い合う。

 アニメの日常回、または打ち切り直前の漫画のようなこの時間は、傍から見れば滑稽化もしれないけど、僕にとっては楽しい時間だった。

「じゃあ明日からクラスメイトと話せるよう善処するよ」

「善処するって人はやらないし、明日やろうは馬鹿野郎だよ?」

「いちいち君は」そう言って僕のおでこを小突く朱莉は、楽しそうだった。

「そういえば、どうして僕に話しかけられたことを問題にしたの?」

「それはだって、普通に言ったら恥ずかしい、だろ?」

 そんな可愛い理由だと思わず、吹き出してしまった。

 おそらく、多くの人が勘違いをしているだろう朱莉の本当の姿に見せてあげたい。

 僕も朱莉がクラスメイトと話せるよう手伝おうと思ったが、そもそも自分もあまり話せていないなと思い、苦笑した。

 前途多難であるが、少なくとも朱莉には僕がいる。それだけは嘘にならないよう頑張ろうと思える三日間だった。

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