三人目……(三)【井底に落ち沈む】

 ◆◆◆



『――ねぇ? 窓際まどぎわに居るアイツでしょ?

噂になってんのってさ。あれマジだべさ?』


『それな。マジなら、マジやばくね?

いやぁマジかどうかはよく知らんけど。

つぅか、噂ってのも初耳で知らんけども……』


『おだつんな! 知ったかかっ! ほら、このまえ死んじゃった溢姫いっきーいんじゃん? 事故で。すったら本当は自殺でさ。なしてそったら事をしよったかってぇと溢姫あのこなんかイジメられてたぽいて噂よ』


『てかっ、溢姫いっきー死んでねーよっ!

交通事故で水路に落ちたとかだったろ?』


『帰り道で車に当たって飛ばされて、水路に落ちて気絶してました。とか嘘臭うそくさしょ? 溢姫いっきーも車の運転手もなまらはんかくさいにも程あるしょ?』


『なまらはんかくさい……? どゆ意味?

まぁええわ。療養りょうよう中の奴の変な噂やめーや。溢姫いっきーのことは本人が復活してから話せよな……』


『なになにー? お二人さん何の話ー?』


『面白そー! あたいらにも聴かせてよ!』


『なら、かでで話そか。溢姫いっきー事故あれ、ホントは事故じゃなくて自殺じさつ未遂みすいで。でもそったら事をおおやけにしたくない大人達が、たまたま同じ日にあった交通事故の被害者てぇ溢姫いっきーを扱ってるらしいのよぉ』


『『うわーやばー!』』


『んでもって、なして元気ポンコツ愛され溢姫いっきーが自殺なん、ろくたら事をしてぇと。じつはなんか誰かにイジメられてたぽいて噂で。したっけぇイジメの犯人。誰かのひそかな犯人探しと、何人かの言質があって窓際に居るアイツっぽいという話べさ』


『つぅかよぉ、だからあくまで噂だろ……?

確かに陽利華アイツっていい噂は聞かないけど、根も葉もない事を広めんのはどうなの……?』


『ちゃらんけ。根も葉も有るんよ。アイツとつるんでた奴らが皆、自分達は関係ないけど溢姫いっきーに嫌がらせをしてたのはアイツだって先生達に告げ口してたとか。事実確認で先生達がそれとなくね、イジメ現場を見た事は? とかを聞いて回ってるって』


『うわーマジでー!?』


『あ。詳しくは知らないけどさ。この学校、何年か前に酷いイジメが原因で、傷害事件やら放火事件が起きて犠牲者が出たとか何とかで。先生達も慎重になってるらしくてね。授業が自習になったのイジメについて緊急の職員会議してるとかかも?』


『明日の全校集会で何かあるかもな……』


『……イジメの犯人をさらし者にしたりー?

全生徒の前で、イジメやってたんでしょって』


『さすがに、それはしないだろうけど……。

ある意味では晒し者にはもうなってるみたいなもんじゃないかな? ほら見てよ。コレこの学校の裏サイトだけど、すごい勢いで今の噂が広がってる。うわー顔写真付きで“コイツが犯人”だって……』


 そん時のウチは、


『犯人て、陽利華アイツ……』


 耳をそばだててたから、身体が強張こわばった。

周囲の会話が止んで、一瞬で静まり返る空間。


 視線がウチに集まる。一斉に向けられた。

噂をしてた奴らだけじゃなくて、教室中から。


 視線。視線。視線。軽蔑けいべつあざけりのささやき声。

とても我慢できなくて。ウチは顔を腕で覆い、


『うざ……』


 机に突っ伏して、時間が過ぎるのを待った。

見るな、見るなよ。やめてくれって。あーうざいんだよ外野がよ。どうせ野次馬のくせに。イジメとか騒ぎ立てても、イジメそのものについては無関心だろ。面白そうってにぎやかしてあおってほくそ笑んで、自分達の娯楽ごらくにしてるだけなんだろ? バカばっかだな。けどウチはそのバカ達に言い返せない。ウチの方がはるかにタチ悪くてバカな人間だから。もし穴があったら入りたい……そう心の底から思った。


『しんど――』


 ――祈追きつい溢姫いつき……か。しんどくなる名前。

アイツには落ち度なんてものないけどさ。


『ウチ、ホントに最悪だな――』


 ――そうだよ。ウチが全部悪いんだし。

 事実だよ。イジメ。間違いない。個人的な都合で何も悪くない祈追あいてを攻撃してた。アホだろう。言い訳のしようがないわな。なんでそんなバカな事を始めたのかはうろ覚えで。記憶を確かめると、昔好きだった親戚の兄に少しだけ似ててウチがちょっと気になってた先輩が『好みのタイプ』として名前を挙げたのが、たまたま祈追そいつだったってだけ。

 それを聞いたウチが腹を立てて、丸めた紙を背後から祈追アイツに向かって投げてやったんだ。ムカついたなポイってさ……あーあ、嫌がらせってもその程度で終われれば良かったのによ。ホントにさ。でもそこから始めちまった。頭に紙ゴミが当たって、とぼけた反応をした祈追アイツのことを見て友達数人と一緒になって“ぎゃはは”って笑ったらもう……その瞬間から引っ込みがつかなくなったってわけ。


 お腹を押さえてバカ笑いする友達の顔を見て、すげー面白いことするじゃんって言われてよ。その輪の中で一緒に作り笑いしてたら、すごい安心感と高揚感に包まれたわけ。あそっかウチの居場所はここなんだって。ここに居るためには、ここで必要とされるには『こうすれば一番いいんだ』って。

 そんなんさぁ。人としていびつで間違ったもんだと頭では理解してても、脳みそが溶けるような達成感や充実感までを覚えてさ。難しい言葉でたとえるなら同調圧力とか承認欲求的なやつに抗えなかったんだろな、バカだから。その結果、ウチは何を勘違いしたんだか、もっとやってやろうて。そいで何もやり返されないのいい事に、嫌がらせを誰かにチクられたりもしなかったし、ウチらはだんだんと陰湿になる方法で色々とやってやったんだ。


 ――被害者を自殺未遂まで追いこんだって、加害者にはまるで実感が無いんだな。そいでもって加害者は自分がやった、やってきた行動に対して自覚や認識すらも薄かったわけだよクソッ……。


 失敗作。否定できねぇな、その通りだから。

バカだろっ? ウチは、ホントによぉ――。


 耳障りな噂話、それの中の言葉。

頭の中で引っ掛かった、その言葉にさ、


『……ほ、うか……。放火……で?』


 心臓が跳ねて、頭痛がしてよ。


『ぎ……せいっ……犠牲ッ!?』


 なんでだよ? なんだこれ?

あ。そういえば、ってなったの……。


『……うあァ……ウチはッ』


 ――ウチは自分のバカさに死にたくなった。

 イジメ。放火事件。犠牲者。せめてこんなことなるまでに思い出せれば良かったのによ。ホントにその時まで忘れてた。記憶に鍵でもかけてた。親戚の兄が死んだ原因が、関係の無い誰かさんのイジメを庇ったことって。そいでそん時に札付きの悪ガキに変な恨みを買って、理不尽なレッテルを貼られ、家に火を着けられて死んじゃったって。ウチは両親に、兄と兄の家族に会うのを禁止されて。その理由も知らずに従ってたら、ある日の新聞記事で兄を含めた家族で一家心中て。でもホントは放火だったらしく、しかも兄は何も悪くなかったのに冤罪で停学させられて家族も追い詰められてたみたいってさ。両親は世間体を気にして兄の家族と最後まで無関係を貫いてウチには何一つも教えてくれなかったけども。


『――――ッ!!』


 ウチは、ウチの居場所になってくれるって約束してくれた兄とその家族に顔向けができない。ずっと良い子でいたら将来に、兄の彼女にしてくれるって約束を忘れてさ。知らず知らずのうち兄が亡くなる原因になった悪ガキと同類になってたわけ。


 あっはは……あーウケるな、バカらし。

あっはははっ! あははは……ァ、ァッ!


『――ァ……ァァ、あ゛ウチは……ッ!!』


 何で、ウチはこんなにバカなんだよぉ!!

逃げられない。逃げたくない。逃げさせて。

匿ってよ。庇ってよ。助けてよ。兄ちゃん。


 こうなるなんて、思わなかった。許してよ。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 その時は、その時のウチは、逃げた。


 もう頭の中がぐちゃぐちゃになって、ウチは気が付いたら自習中の教室から飛び出してた。それからは迷惑な長時間のトイレ占拠って流れだわ。そいでバーガーショップのくだりに続くわけよ――。




 ◆◆◆




 ――ってさ。自分自身の体験なのに、教室の後ろからの謎な視点で昼間の出来事を観せられて。昼間のウチが叫んで走って逃げたとこで、今のウチの視界が霧に包まれるみたいにぼやけてきた。


 そいでまばたきしたら、フラって。立ち眩みみたいになった後、ウチは知らない場所に居んの。


「――は? ん? てっ! う゛きゃあッ!!

ウチ、どゆこと?! なんで裸ッ!?」


 しかも裸に剥かれてるし。意味わかんない。

すぐに胸と股を隠してしゃがみ込むと、その体勢でウチの太股の辺りまでが水に浸かった。

 周りを確認すると、この貧相な裸体を誰かに見られる心配はしなくても大丈夫そ。


 そこは円形の筒状に高く伸びた空間。同じような大きさの四角い石が並んでて、ずっと上まで積まれてるだけの苔むした壁。両腕を伸ばせば壁端から反対の端に届くくらいの狭所きょうしょ。ウチがたとえるとしたら『古い井戸の中みたいな空間』て感じか。ていうかぁ井戸、まさにそのまんまだわ。


 井戸だとしたら上が開いてそうだけど。出口にあたるそこは板のようななんかでふさがれてるし。だから光源は何も無い筈なのに、ちょっと薄暗い程度にはものが見えるから不思議だな。てか、ウチいつの間にか閉じ込められてんじゃんか。塞がれた井戸て。このままだとウチ死ぬしかないじゃん。


 と、ウチが焦り出そうとしたとこでさ。ずずずって上を塞いでたものが退かされた音がして、幼さのある声が「ん。出たいならご自由にどうぞ」て「かえる。お好きなだけ底に居ればいい」って。ウチの手が届く位置までしっかりとしたロープが垂らされてきた。死の恐怖は必要ないみたいだわ。


 意味わかんない。ふざけんな。服はどこだ。

こんなとこさっさと出てってやるよ。こんな薄暗くてジメジメしてる誰からも相手されなさそうな最悪なとこなんてさ。ウチはそう脱出しようとロープを強く掴んで、でも何故か……手を緩めて離した。


 ――幸せを得られる、帰る場所なんて無い。


 ――逃げ込めるとこが、欲しかったんだ。


 ――居場所を、欲しかったんだウチは。


「なら、しばらくは……帰りたくないわ……。

案外、ここは居心地いいかもしれないし」


 そう思ってさ。まだ“もうしばらく”そこに居ることにしたウチは、もう完全に壊れてた。それがどんな意味をもってしまうかなんてのは、失敗作なバカでアホには考えることもできなかったから――。

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