一人目…(十二)【夜明けに溢る姫】

 ――病室の隅に掛けられていた千羽鶴。

紛れていた忌譚の折り鶴アヒルが羽ばたいて、涙で歪んだ視界を通り過ぎて行くと。その方向にはさっきまでは無かった出口が、病室の扉が開いていた。


 立ち上がり、胸の前で手を重ね、


「――行かなきゃ」


 イツキは頑張って笑顔を作った。


「私ね、もう、ここから旅立ちます。

お母さん。溢姫イツキ……行ってきますね――」


 テレビ画面は、母親から応援の一言を最後。

役目を終えたみたいにプツンと消えてしまう。

 

 止まらない涙を拭って、笑顔。

泣いていいんだと知って、泣き笑う。

母親への挨拶を送って本調子を取り戻す。


 扉の先には何も見えない暗闇。

それがどうした。今のイツキは止まらない。

 ごぽごぽとした絶え間ない水音が、まるで潜水服で深海にでも潜っているように聞こえてくる。

 暗闇の先への恐怖は不思議と無かった。ただ病室への未練を振り切って、踏み出すだけだ。


 びしゃり濡れた地面に一歩。


「あれ? ここが出口じゃないんですか?

なら、私が進む先を教えてください!」


 暗闇の中で、向かう方向を知りたいと願う。

夢にも似た内面の世界。ここはそういう世界。

 先程がそうであったから。イツキが望みさえすればある程度は理想が反映されるはず。この世界を自由にできるはずだと前を向く。

 そうすると思った通りで、しばらく先に非常灯が見えた。奥に続く非常口は脱出できる場所の象徴に違いない。よし進もうと足に力を入れ。だけども同じくして、ちらほら揺らめく幾つもの灯りも出てきてしまい「ふぇ?」イツキは頭をひねる。


「……?」


 一番近くの揺らめく灯りに目を凝らすと、提灯ちょうちんの付いた巨大な深海魚アンコウが、噛まれたら痛そうな牙だらけの口を開け待ち構えていて驚愕。加えて、背後からは地響きが始まった。これは、うまく深海魚てきを避けて非常口ゴールまで走らないといけない雰囲気。


「ぇえ……ゲームですかぁ? 私の精神世界的な場所が脱出ホラーゲーム風味になってるぅ……」


 驚愕しつつも、なんだか笑えてくる。


「……はい。けどホラーゲームなら『脱出経路に敵が密んでそう』『むしろ敵が潜んでるはず』『制限時間もあり』とか思った私は悪くありません! この程度の障害は望むところぉ! ふぅ、やってやります。もう全力でダッシュですよぉ!!」


 イツキは吹っ切れた顔で、

本物の笑顔を浮かべて走り出した――。




 ◆◆◆




 ――非常口に滑り込んで、浮遊感。

そうして現実の世界で目を覚ませたらしく、


「――なにやってんのよッ!?

バカじゃないのッ!? もうっ……!」


「痛ぃ……痛ぃです……よぉ!」


 イツキは、何故だか急に怒鳴られた。

 怒鳴られて、頬をぺちぺち叩かれて、

身体を強く揺すられて、引っ張られている。

 呼吸をしようとし「……ッ!?」詰まり。勝手に喉の奥から上がってきた水分を吐いてしまう。


 女子高生にあるまじき、ゲロゲロ音声。

口の中が生臭くなり、ヌメヌメと気持ち悪い。

 胃に何も入れてなくて幸いだった。


「良かったわ。意識が戻ったのね?

はぁあーもぅホント勘弁して欲しいわよ!」


「……けほ……ゴホッ……うぅ」


「『温かいものでも買ってきてあげるわよー』って目を離したら水に沈んでるとか。なんなの? なんでやねんっ! 奇想天外な客も居たもんだわ、ホントにもー全身びしょ濡れ。さいあく!」


「あ……ありがとうございます。けほ。

かみゃ……神波かみなにゃん……さん。けほけほ」


神波鳴かみなみなね。ゆるキャラみたいに言わないの!

はいはい。そいで、どーいたしまして!」


 ミカは吐き出すように返す。でも口での態度はそんな風だが、彼女はイツキを強く抱擁しながら背中を擦ってきて、少々痛いほど気遣ってくれた。


 どうやら現実でのイツキは、縞梟たくやくんを追ってやってきた古民家の並ぶ道路脇の用水路、いつの間にかそこに沈んでブクブクしていたという。その沈溺に気付いた彼女ミカさんに助けてもらったと経緯を聴く。


 二人で用水路にプカプカ遊泳。水の深さはイツキの身長から考えると1メートルもない程度。流れも緩やかで普通にしてるぶんには溺れない。

 何故に溺れたかというと、たぶん水の底から呼ばれたからだ。それか、また車にでもぶっ飛ばされたとかいうオチ。不注意とかではないはずだ。


「そこに梯子はしごあるわね。上がれそう?」


「へっ、へくちょんッ! ……あ、はい!」


 ミカに下から支えてもらって、イツキは梯子から手すりをまたいで元の道路に戻れた。


「……ふぅ、んむぅ。寒いです」


 冷たい水から上がり、呼吸を落ち着ける。

ミカはジャケットのポケットから「こんなんしかなかったけど、飲んで暖まったら?」とぶっきらぼうのようで優しい声で【ビーフカレーみそしるinうどん】の缶をイツキに手渡してくれた。この町ではお馴染みの……いや、見たこともない変な缶だ。


「――へえっ!? なっ、なんですかコレは!

どこで買って来たんですかぁ!?」


「そこの自販機。まぁどうでもいいでしょ。

それよか、半乾きの制服を持ってきてたわよね? こんなとこであれだけど、あたしがタオルで隠してあげるから。着替えちゃった方が良いわよ」


「そ、そうしますね――」


 言葉に従い、深夜の道路脇でお着替え。

着たままだったワンピースを脱ぐイツキ。


 全身から水を滴らせるミカは、広げているタオル内でお着替え中のイツキを睨み付け……見定めているようにじっと視線を向けていた。身体に生えた鱗に触れてこられてしまい困惑するイツキ。


「ふーん」


「あのぉ見られてると恥ずかしいです。ただでさえ恥ずかしいのに、いま鱗とかあるしぃ……」


「あーそっ。変な視線ごめんなさいねー。たださっきよりも祈追ちゃんの顔、ちょいとマシに生き生きしてるわねって。水中でなんか吹っ切れた? ここまで送ってあげた意味は有ったのかしら?」


 ミカの質問に、イツキは頷く。


「はい、わかったんです。えぇと私……ここで車にはねられて、死んじゃってたんですよぉ。あ、本当に死んじゃったんじゃなくて、死んじゃう間際で自分に助けられたんですけど。自分なんて『居なくなりたいのに』と願っちゃって、弱いと捨ててた自分自身を拒んだから、助かる前に逃げちゃいました。この身体は自分を途中で引き裂いた欠片で。だからこんなホラーな状況に……。忘れてましたけど、思い出しました。日の出までにかどうかはわかりませんが、私は早く行かなきゃいけないんです。勇気を出して。私を探す私のところに。むむぅ詳しい説明が難しいですけど――「もういいわ」」


 イツキは途中で口を塞がれ、モゴモゴ。

まだまだ伝えたかったのにぃと頬を膨らます。


「説明へたっぴね」


「がーん」


 はっきり言われてショックを受けた。

現下そんな暇ないものの。絵やジェスチャーを含めてプレゼンテーション形式で発表するべきだったなぁとこの失敗を踏まえて今後の参考にする。


「うぅ……すみませぇん」


「最後まで送り届けて良いかの確認よ。

確認できたから、もういいわ。話さないで。他人の境遇なんて、あたしは興味が無いし聞きたくもないから。必要なのは覚悟。送っても良い相手かどうか判断するだけ……そいでもって、もう祈追ちゃんは最後まで辿れる資格ありよ。だから予定どおりに送ってあげるわ。そんだけ。ほら行くわよ!」


 タオルで自身も髪と服を拭いて、すぐ近くに停めていたバイクのチェーンロックを外すミカ。


 着替え終わったイツキが『変な缶』を飲もうかどうか迷っていると、靴がつつかれる。

 見れば、縞梟たくやくん折り鶴アヒルを地面に置いている姿。それをイツキが拾うと、縞梟たくやくんは羽ばたいて夜空に飛び立ってしまったではないか。さっきみたいに追わなくて良いのかを視線で訴えると、ミカから「もう道案内は不要ってこと。どこに向かうかは祈追ちゃん自身が辿れるでしょ」と説明をもらった。


「辿れる?」


 指で糸を巻き取る真似をして発見。


 イツキの小指に蒼色の糸が巻かれている。

触れることはできない、見えてるだけの蒼糸。

 蒼糸は水路の流れの逆方向、上流に向かって伸びている様子で。ひとたび糸を発見してみれば『古い隧道』『河上の水門』『老朽化した道路』『石積みの崖』『長い石階段』そんな光景の数々が脳裏に浮かぶ。えん便たより。イツキにもう一人の自分との“切れかけていても”確かな繋がりを感じさせた。


「辿れる!」


「でしょ?」


「はい。なら神波鳴さん。この水路を、繋がってる川の流れを辿ってもらえますか? 要所ごとに私がカーナビゲートなかんじに喋るんで!」


 イツキは缶を飲まずに古和紙と一緒に、バイクに積まれた自分の鞄に収納する。それで目的地への経路を発すると、ミカは「任せなさい」とサムズアップを返してくれて。イツキの頭にまたヘルメットが被せられ、抱っこされバイクに乗せられる。


 バイクのシートとミカの背中は温かかった。


「祈追ちゃん、本当はどうなの。

死のう……とでもしたんじゃないの?

もしかして、嘘ついてないかしら?」


「もちろんです。お母さんに怒られます。

簡単に死ねないから。死ぬなんて選択ができなかったから。なのに何処からも消えたかったから。矛盾の中でわがままに自分を嫌って苦しんでました。水に沈んで最後の瞬間は『生きるも死ぬも怖くて』私は私から逃げたんですよ。反省します」


「じゃ反省しなさい、ずっとね。

反省できるうちに、改められるなら、振り返って苦しんでも、生きる。あなたは……そうして」


「……はい?」


 バイクのセルモータが回る。イツキの浮かべた疑問符は、エンジンの始動音にかき消された。


 ミカは一度だけ振り返ってきて、


「――出発。していいのね?」


「――はい!」


 イツキの言葉に応え、含みのある顔で溜息。

強くスロットルを回し、走り出す――。




 ◆◆◆




 ――夜明け、払暁ふつぎょう彼誰刻かわたれどき……の間近。

 靄が立ち込めてはいるものの、東の空が白み始めているのがわかる。もう間も無くの黎明れいめいだ。

 少女イツキは朝焼けを目前にし。制服のキルトスカートがまくれてしまうのも、少しばかり子供っぽいと自覚はあるお気に入りなデザインの下着が見えてしまうのさえ気にはせず、何処かへ向かおうと呼吸も忘れるくらいずっと。無我夢中で走っていた。


 何処まで走って行けばいいの? と――。

 渇いた喉を堪えて絞り出した、誰かに届けたい願い掛けは、きっと無意味なものではなく。

 実際に彼女の前途がそうであるよう、光から遠い水底の淵へ誘われており。繋がりを感じている。そこに居る、自分が捨ててしまったものに辿り着かないといけないから。走る、走る。振り返る暇もなく急いで。長い長い石階段を上って行く。


 もう弱さを間違った自分には戻りはしない。もう約束を理由にして過去には縛られはしない。もう自分を捨てて偽ったりなんてしない。けだしくも道標を失い、この先の人生で疲れ果てて、嫌なことに押し潰されそうになったって。今日の夜を乗り越えられたのならば、ずっと大丈夫。望まれた幸福な未来に向かって走って行ける気がした……!


 すると唐突に階段は途切れる。上り切った。

 階段の先は、ボロボロに荒れた神社の境内……だろうか。倒れた鳥居や石畳なんかの、深霧の中でも認識できる情報でイツキはそう判断した。

 不自然に滞留している深霧が不気味で。屋外なのに呼吸が苦しい。例えるなら、長期間の換気を怠っていた魚の死骸が浮かぶ水槽のある部屋。とても空気が重苦しくて湿っぽいのだ。用水路の水の臭みを何十倍も濃くしたんじゃないかという程の腐臭と生臭さが漂っており。そこで過ごしていれば、徐々に毒され気分が悪くなってくることは確実。


 イツキの到着を待っていたように、灰色髪の童女が霧の中から現れて無言で手招きしてくる。愛らしいけどホラーな登場で幽霊オバケだと疑わせる童女。けれど驚きはしない。階段の下で別れたミカから前もって『次の案内人を頼れ』と伝えられていた。


 イツキは童女から長い布を渡され、ジェスチャーで目隠しをするようにと指示される。きっとまた『余計なものを見ない為に』だ。指示を受けた通りに目を隠すと、イツキの手が引かれてゆく。


 進んで、進んで。固い地面の空間……。

 童女から一言「先が坂になってる」と。もう一言加えて「ここから一人で」と。無感情な声で伝えられたかと思うと背中を押されるイツキ。

 頷いておき、お礼の言葉を送ってから進む。


 下りる、下りる。ざらざら壁の勾配……。

 反響する足音に水音。嫌な風が流れてくる。

 壁に手をかけて五分も下りた頃。そろそろ目的地が近いのか、小指の蒼糸が震えて、身体に生えている鱗の一つ一つがチクチクと痛みだす。


「……――っ!!」


 ――注意が逸れた瞬間、イツキは転倒した。

 今夜だけで何回転んだのか。いつの間にか一定確率で転倒する状態異常でも受けたのだろうか。状況にふさわしくない思考を浮かべての転倒。


 背負っていたカバンの紐が、ざらざら壁の凹凸した所に引っ掛かり。勢いを殺せずに濡れた地面へと身体を投げ出し、ゴロゴロ転がって行き――。


「…………?」


 イツキは転がって、跳ねて、落下したが。強い衝撃には襲われずに、身体に何か巻き付いている。


 その状態のままで息を静める。沈黙、沈黙。

目隠しが取れて、無くなってしまったから。

 警戒。数秒、数十秒、息の詰まる時を待ち。心身の呼吸を落ち着けてから、瞑った瞳を開く。

 瞳を開いて直ぐは暗闇で何も見えなくて。しかし目が慣れてきて、判明する目前の異形いぎょうの姿。


「……ッ!!」


 ――黒い帯に縛られた、大きな蛇の頭蓋骨。

 腕を真っ直ぐ伸ばせば届く距離で、頭蓋骨は虚ろな目の穴でイツキのことを眺めていた。


 もう一方の状況はというと、

助けられたのか、捕縛されてるのか。同じく黒い帯に巻き付かれて、水面上の高所に宙吊りになっている状態の少女。そんなイツキも眺め返す――。


欠如蛟カケミズチ……祈追キツイさん」


 醜悪、奇怪、凄惨。何より巨体。下方の水場にまで十数メートルにも及ぶ、蛇の骨骼と人の肉と髪で構成されたツギハギの異形。骨骼内で脈動する肉塊達は、それぞれが人生を奪われた童女だというなら、いったいどれだけの年月で、どれだけの人数が犠牲になったのか考えることすらはばかられる。


 しかしながら、もう何も恐れることは無い。

怖れなければならない存在では無いし、おそれることはしてはいけない。蒼糸で繋がるイツキは、顔をひきつらせながら笑いかける。すでに自分の意思で神域ここにやって来て、過程で捧げ物ほんものになったイツキは逃げはしない。元より、共に一人の自分自身が成り果てた存在。変貌の番い。それ故に虚ろ蛇骸は暴れることなく静寂を保っているのだ。


「あ……。久しぶりですね……欠如蛟様わたし

最初にごめんなさい。これまでの色々な事をごめんなさい。もう何が有ったとしても、拒絶なんてしませんから。許してください。愛させてください。一緒に居てください。もう一度、これから、ずっとずっと。だからですね……お待たせしましたけど、溢姫はここまで辿って来ました!」


 忌譚では『童女に泣かれて我に返り』『おぞましい存在に成り果ててしまった己に食らいつき、自らを罰した蛟』『末に蛟は清水に溶けて還った』と。そんな物語なんてイツキは絶対に嫌で。個人的には怖くも悲しく痛くもなくて、登場する存在が皆で幸せになれるハッピーエンドが好みであり。故に忌譚に刻まれた伝説を否定してやる。


「これから私は泣きますから。いっぱい。

でもですね、それは怖いからじゃなくて。辛いからでも、悲しいからでも、痛いからでも、寂しいからでも、逃げ出したいわけでも、消えてしまいたいわけでもありません。溢姫は自分の『よわよわ』を嫌なほどに知って、知れたから『つよつよ』な部分も認められたんです。だからいっぱい泣いて、その先の未来で同じくらい、いっぱい笑える自分を目指しますよ。本当に誇れる自分に向かって!」


 腕を伸ばして、イツキは告げた。


「――だからっ! 一緒に行こうっ!

どこかが欠けたままだと寂しいんです。弱さの克服も強さの自覚も大切ですが、もっと大切なものがありました。立派な人間に成れたって。過程で自分を捨てて失くしたんじゃ未完成なままだから。戻って来て下さい、私も歩み寄ります。もう沈めたりしないよ。その他の全部も纏めて溢姫ですから!」


 さだめをくつがえす、力を持った言ノ葉を。


欠如蛟あなたも、私の物語せかいに必要ですからっ!」


 イツキの鞄から、折り鶴が飛んで行く。

イツキが言葉を進めたほど、忌み憚られるべき物語は歪み、壊れ崩れ乱れる。記された忌譚の一節が水に溶けるよう滲み、薄くぼやけてしまい。


「おかえり? ただいま? 欠如蛟さん!

欠片わたしはここですよ。どうぞ召し上がれ――!」


 黒帯が緩み、ほどけて、形を崩し。

蛇の頭蓋骨が動いて、彼女イツキに食らいついた――。


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