一人目……(ニ)【どうぞお越しを】
◆◆◆
――はんなりとした黒い着物の少女が唄う。
「【――
何時、何時、
『罪』と神は
彼女は唄いながら、手を動かしていた。
二本の弦の間に弓を、琴筒と弦の間に駒を挟む。
弦を張り、具合を確かめ。琴軸を回して調弦。
それは
「
座敷席に腰を下ろし。楽器の調整をしていた黒い着物の少女は、自分の頭上の耳でもって繊細な音色の調律までを済ませ。最後に楽器の琴筒に使用されている
「あぁ
無垢な乙女であるとも、その皮を被った何かとも。
言い知れぬ雰囲気を思わせる少女であった。
そして二胡を膝に乗せ、弓に手を掛け。
彼女が音色を
「――あら、これから
唇を尖らせて、若干の不満顔。
しゃん、しゃん、と鈴の音が――。
もう鳴る筈の無い、壊れた
二胡の琴頭の飾りになっている、朱い紐で
「そっ。
それで何か察したのか、入口を
「否、まだ宵の店として開けてもいないのに。
繋がってしまったというの? 偶然、必然?」
それは訪れの音色。相縁の糸がまみえ、
宵闇に奏でられた
「どれ。聴かせて――」
端麗な顔で狐目を瞑り、耳を澄ませる。
「――知らない音色。優しく暖かい。
心地良い春先、清んだ小河のせせらぎ。懸命に芽吹く
「宵の
壁に掛けられた和時計を気にするが、
「しかし、店先までお越しになっているなら。
お待ちいただくのも、追い返すのも、少しばかり気が咎めるというものですわね。もしや急を要しておられるのやも知れませんし。なによりも……えぇ。御客様になり得るのに、勿体ない」
「……では
えぇ。御客をお出迎えると致しましょうか」
些か早めの開店。そう決めたらしい。
座敷席を立ち、入口の脇に控える少女。
「――
もしお越しになるのなら、
裏拍手。手の甲を打ち合わせ、拍手をする。
「うふふふ、案ずる必要はありませぬ。
御用が無いとて構いはしませぬ。この世のならずお呪いに。その身に過ぎたお悩みに。その身を納めに参りませ。その身を
裏拍手を止め、狐の窓を反対に組む。
これにて、迎え入れる準備は整った。
着物の少女は、出入り口の木扉に手を掛けて。
ほんの
「だから、ね。
そう重ねて言い、顔に狂気を含ませ扉を引いた。
外界と店内を隔てる木扉が引かれてしまった。
それとタイミングを同じくして来訪する者あり。足を
衝撃で近くの棚に逆さで飾られていた
そして原因である少女は、意識を失ったようだ。
「……あら、豪快な入店ですこと」
達磨さんの破片を撫でて、困ったように言葉をかける彼女。店員として彼女は近くの階段箪笥から大きめのタオルを取り出して、それを御客様である蒼色の少女にまずは被せる。
そのままでは風邪を引いてしまうと、びしょ濡れの身体を拭いてでもやろうとして……。ぼそり一言「これは」と声を洩らし、手を止めてしまった。
扉が開きっぱなしの為に、店内にまで侵入しつつある霧を払い。彼女はもっとよく御客様の姿を見ようと近付いて行って、
「……これはまた、
ぽかんと、呆けと困惑顔。
訪れた少女は人の形こそ留めてはいるが、腕や足、勢いで布が
でも決して醜いわけではなく、むしろ神秘的で幼気だが奇麗な容貌であって。薄蒼い頭髪に鱗といった特徴は創作世界の
元々
伏せた体勢のままでも見れる頬まで鱗が生えた
だけれども、
「そ。うふふ、なるほどね」
困惑顔もつかの間、納得したように笑う。
――そこまででもう。笑みを浮かべた彼女には
何故なら、外に居る。ぬめりとした気配。
許せない。なんて酷い、惨いことを、と笑う。
何様だ。いたいけな少女をこんな
気絶している様子の少女を庇うように立つ。
少女の感情などきっと介在もせずに、彼女と何様かとの間に結ばれている縁。縁の糸が揺れた。
「えぇ。この御客様をお出迎えしたのが、
なにを隠そう、この喫茶【
彼女、名を【ヌイナ】は暗闇を睨む。
とっくに
「……対面しただけで、呪詛の
あまり関わってはいけない強大な気配。
開いた木扉の向こう、店の外の闇。
店の領を示す
雨音の中、這うような音。おびただしい足音。
流れの滞った水の臭い。魚の腐った臭い。
姿形は無い。質量を伴う実体も無い。
けども。霧と雨を纏わし、居る。
古くからの力を持った者だ。
「本当に、妾で
それでもヌイナは臆せずに口開く。
「……何様かとは存じませぬ。
しかし御店の領を踏み込んだ瞬間から、彼女はここの御客様。御客様である間は、身柄もこちらが保障いたします。故に何様であっても手を出す事は許しませんので悪しからず。お引き取りを」
雨音がより一層に強まる。右左上下。東西北。正確な方角が捉えられないほど素早く這いずる音。雨音と共に大勢の裸足の人間が、ぱたぱたと煽るよう足音を鳴らしている。加えて「ァ、ガ、ァ、ァ、ガッ」と喉に餅でも詰まらせたような低い唸り声。
ヌイナは鋭い牙をみせて欠伸をした。店の領域には踏み込めないらしく、呪詛もヌイナなら全身に激痛を感じ続ける程度で済ませられる。ならば即ち、正体がどんな神仏や怪物だろうと所詮できることといえば『嫌がらせ』のレベルを出ることはない。
「お引き取りを」
ヌイナはにこりと微笑んで言う。
それで数秒は静かになり。ようやっと諦めたかと思いきや、再度始まる嫌がらせ。ここら廃墟ばかりとはいえ、店も現世からズレているとはいえ、そろそろ近所迷惑の心配をした方がいいかも知れない。
「
最低限の礼節を弁え。もう暫くは猶予を与え、
それでも帰ってくれないと判断……。
……よもや、と。流石に
相手方が本当に
よって、わざとらしく溜め息……。
帯を緩め、着物を脱ぎ捨て、
生まれたままの姿を晒してしまうヌイナ。
「そっ。あくまでも押し通るつもり。このまま穏便に去っていただけぬという事ならば――」
言ノ葉の尾を伸ばし。彼女は華奢な手を自身の頬に当て、頬から首、首から
獣の尾から、首が
痺れを切らした
「――失ロウ
唸り声にも似た、おぞましい……
――双方の厄災が交差した。
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