一人目……(三)【邂逅の二十三時】
――とぽんっ、と……。
長い間、気にはしなかった。けれど随分と刻が流れてから、でも『音の正体は何だったのだろう?』疑問を抱くようになって視線を上げた。
するとどうだろう。天上には
眺めているとその光は唐突に
その童女との
どうする事も叶わなくて、むなしさが過ぎる。
きっとこれは
童女はいつの間にか
水底から、蒼白い無数の腕が伸びてくる。
彼女の祈りを追うようにして、
きっとそう、『私』も沈んで行くのだろう――。
◆◆◆
――誰かの声がした。
「――悪いね、少し待っててくれるかい?」
鈴が転がるような声。優しげで安心する声。
その声の
誰も居なくなり。理由を忘れた『胸騒ぎ』のようなものがして、徐々に意識を浮上させるイツキ。
「……すぅ……よぉ――」
数分も経ってから、ようやく現実へ帰還。
起床の苦手なイツキは、ふにゃふにゃと動き出す。
いつも抱いて眠っているクマさんが無くて、アレが無いと「私は熟睡できないんですよぉ」といった意味の寝言を呟いた彼女。もう少しは寝たいと、
「――痛いですっ」
目を開くと、
「んむぅ? ふぁぁ……。あれれ?」
まぶたを擦って起き上がると、そこは真ん中に立派な座卓の置かれた畳張りの座敷であった。
掛けられていたタオルケットがずり落ちて。
ぽけーと口を開けたまま、前回の記憶を『Now Loading!!』しかし残念です、セーブデータが一部破損しています。と彼女の脳内で警告文が流れる。
立ち上がって視界を広くしてみれば、周囲の様子からして「ここは……お店ですか?」と。イツキは現状の自分が置かれた環境を知るのだ。
――お店、けれど他に誰も居ない。
営業時間外の飲食店とかなのだろうか?
「どうしよう……。前に友達とやった、すぷらったーホラー脱出ゲームの導入部分と似たシチュエーションです。たしか、さっきまで人が居た形跡の残る旅館の座敷で目覚めた女学生が、刀を持った殺人ピエロの怨霊に襲われるっていうアレ……」
イツキは顔をひきつらせ、身を震わせた。
頭のセーブデータを復元しようとして失敗。変なものを思い出し、忘れようと頭を振る彼女。
そんなことより経緯だ。本当に思い出せない。
思い出せるのは、学校からの帰り道まで。
人通りが少ない古民家の並ぶ道で、下を流れる用水路の中に『くにゃくにゃ』とした薄い蒼白い影のようなものを発見し。目を凝らして見ていたら後ろから何かが、どすん? その後は、必死で……。
「むむぅ。思い出そうとすると、嫌な感じ」
……やっぱり。どうしてか、何があったのか。
ここにたどり着くまでの経緯がわからないぞと。
それとイツキの両手首には包帯が巻かれていて、制服ではなく見慣れないブカブカなノースリーブの黒いワンピースを着させられている。これは誰かにお世話になったのかも知れない。
「すいませーん! あのー!
すいませーん! 誰か、居ませんかぁ?」
奥の『
タオルケットを畳んで、きょろきょろ視線。
脱げていた靴は座敷席の下に揃えて置いてある。
「そーだ。困った時は、まず『あーかいぶを探してみようね!』って友達が言ってました……って! いやいやコレ、ゲームじゃないんですけどぉ」
心細くて一人でノリツッコミ。
でも『あーかいぶ』を探す必要性は無いが、
「私の鞄がありません。どこかにないかな?」
鞄が無いと困ってしまう。携帯電話も身分証もお財布も全て中に入っているのだから。ゲームみたいに散策するわけではないが、探しておきたい。
とりあえず靴を履いて、店内で失礼のない程度に歩き回ってみようと決めたイツキ。
「……うーんと」
見回してみた店内の様子としては、
「和風な、もだん? オシャレなお店ですね!」
ゆったり奥行きがある15坪くらいの空間。
天井には組み木細工の綺麗な照明が
「溢姫じゃ、とても一人じゃ入れないお店です。
友達に誘われないと、緊張して入店もムリぃ」
入り口だろう木扉の横には、左に
「窓の外、もう真っ暗ですね……」
それ以外にも、辺りの棚や壁にはインテリアだろう様々な雑貨が飾られていて。こちら側にも階段箪笥、それに丸い飾り棚、アンティークな本棚、振り子式の古時計。壁には平たい和時計が数個、様々な種類のお面、美しい風景を撮った写真の額、絵画、羽子板、掛軸、小鏡、プランター、八卦盤、瓢箪、扇、柄の無い番傘なんてのもあった。
「んぅ――?」
……時計。置いてあった時計を二度見。
「――え、えぇ!?
もう23時を越えてるんですかっ!!」
驚愕だ。決められた門限はとくに無いが、お婆ちゃんはきっと心配しているだろうとイツキは焦る。
あたふた。早く帰らなきゃいけない。あたふた。私の荷物と制服どこいった? あたふた。あぁその前にすぐにお婆ちゃんに連絡を「う゛ぐっ!」焦り過ぎてカウンターに背中を強打してしまう。
女子高生にあるまじき汚い声。
痛みで仰け反って足が
拍子に置かれていた伝票立てが倒れ、収められていたレシートがヒラヒラ宙を舞ってしまって。
そして尻もちを着いたイツキの上に乗った。
「痛たたぁ……。ん、なんですかコレ?
『御客様。追われていた。水気。縁を断とうとした。でもこれはいけない。日の出までは持たせる。送ってあげて。助けてあげて。愛しい人』と?」
持ち上げたレシートの裏に、なぐり書きのように記されていた……よく意味が解らない文字。
もしや、あーかいぶ? イツキは首を傾げる。
まぁとにかく。今は急いで連絡とかを……!
尻もち姿のままに、きょろきょろ。あたふた。
そんなところで、
「――大きな音がしたが……おや。
キミっ大丈夫かい? どこか怪我はしてない?」
「――はわっ?!」
さっきの『
奥からスタスタと近付いて来る足音。普段ならそんななんて事ないのに。何故だか『足音』に必要以上の恐怖を抱いてしまったイツキは、身体を小さくしてカタカタ震えてしまう。そんな彼女の内情を知ってか知らずか、いや知らないだろうが、
「捕まえた。なーんてね」
ぽん! 声の主は、イツキの頭に手を置いた。
「そんなに震えてどうしたのかな?」
「はぁ、びっくりしました。
大丈夫です……ありがとうございます」
「体調の方とかも異常は無いかな?
びしょ濡れだったから……ね。女の子に対して申し訳ないけど、勝手に着替えさせてもらったよ」
「私、色々とお世話になっちゃったみたいです。
重ねてありがとうございます。えっと?」
頭を撫でられ、完全に子供扱いされるイツキ。
「深く眠っていたようだったね。
でも思ったよりも早く起きてくれて良かった」
膝を曲げ、視線を合わし。微笑む女の人。
はんなりとして優しそうな女性だった。
見た目の年齢は二十才前後か。腰くらいまで伸ばしたストレートの黒い長髪で。オーバル型の眼鏡をしていて。
彼女の服装は白いシックなフリルブラウス、黒いロングスカート、肩に薄茶色のストールケープを纏っていて、履き物は濃い茶色の編み上げロングブーツと。綺麗なことに加えて、お
「立てるかい? はい、お手をどうぞ」
人懐っこい笑みで、イツキは手を引かれる。
「キミの鞄はここに。拭いておいたよ」
その後、女性はカウンター下の荷物置きスペースから探していた
服一式は店の奥で干してくれているらしい。
「さてと――」
彼女はそう言ってカウンターの椅子を引き、そこへ座るように招くジェスチャーをしてくる。
少々急いではいるが、仕方ない。とても自分にお世話を焼いてくれた人なので黙って座るイツキ。
「うん。どこから話そうか」
「えっと、私は溢姫。【
初めまして、でしょうか? お姉さんは……?」
「あれ……? ん、そうかい……ふぅん。
キミはヌイナとは直接会ってなかったんだね」
イツキの挨拶に対して「ややこしいね」と小さく洩らすと肩をすくめてしまう彼女。若干の困り顔で眼鏡を取って、はぁと溜め息。カウンターを指で一度二度鳴らし、しばらく考えるよう唸った後、
「――なら、僕はこい……いや、ヌイナ。
この店のしがない副店長代理さ。よろしくね」
彼女は自身の名を【ヌイナ】と、そう告げた。
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