第4話 地球の風景
作業着を着た、おじさんがにこにこと笑みを零しながら手を振っていた。
この人は誰だろう、とまじまじと確認しながら、気前が良さそうに笑窪が緩んだ。
「おじさんは辰一君のお母さんのお兄ちゃんだよ。だから、辰一君から見れば伯父さんになるね。銀鏡の自然はすごいだろう。山と川しかないけれど、ここはいいところだから辰一君も慣れれば、いい場所になるよ」
この人はとてもいい人だ、と僕は直感的に判断した。
どうやら、格好から鑑みてから、林業を営んでいる従事者だ、と分かった。
浅黄色の生地も薄汚れ、裾も綻び、使い古された痕跡が見受けられた。
「お父さん! 辰一お兄ちゃんはどこ? あっ、ここだ。ここだ!」
小学生くらいの男の子が奥にある車庫から駆けてきた。
「ああ、辰一君。この子は伯父さんの子供の勇一。四月で五年生になるんだ。辰一君の従兄弟にあたるね。銀鏡は人が少ないから仲良くしてな。勇一も辰一君が来るのを楽しみにしていたし、ちょっと小さいけれども仲良くしてな」
わーい、辰一お兄ちゃんは背が高い! とその子は無邪気にはしゃいでいた。
その子の切っ先のような一重瞼のところとか、瓜実顔の小さな鼻筋とか、伯父さんと瓜二つだった。
「勇一、挨拶しないといかんでしょうが」
家屋の中からから、若い女性が出向いてきた。
たぶん、伯父さんの奥さんだろう。
「この集落には勇一しか子供がいなかったの。勇一も今日を楽しみにしていたから。私は茉莉子。茉莉子さんって呼んで。千夏さんは私の後輩に当たるのよ」
茉莉子さんの心得顔のまま、口許は笑っていたけれども、眼は笑っていなかった。
「辰一君。今から山に行こうか。軽トラの荷台に乗せて行けば、ナイスだ、と思うんだ。山の風景はすごいぞ。いつか、辰一君たちが来たら、絶対見せようと思ったんだ。ぜひ、行ってみたいよな?」
初対面なのに僕は有無を言わさず、車庫に止めてあった軽トラに連れて行かれる。
「荷台に乗りこむといいよ」
「辰一お兄ちゃんも後ろに乗れば!」
気持ちを切り替えて、荷台に乗り込んだ。
エンジンが勢いよくかかり、ガソリンの臭気が立ちこめると、軽トラックは軽快に走り出した。
ガタガタと振動し、壁さえもない、荷台では涼しい通り風が真っ向から吹いてくる。
木隠れした若葉は翠緑色の薩摩切子のように乱反射していた。
名前を告げない、野鳥が恋人を呼び合うように山麓から囀る。
軽トラが脇からずれた一本道の林道へ進行すると、深山木のトンネルが手と手で輪を作っているように重なり合い、新しい生命が木の芽立ちを封切に芽生えている。
五百枝の木陰に重なり合うように咲く、黄色の花の群生があったので、僕は勇一に質問した。
「あの花は山吹なの?」
勇一はそうだよ、お兄ちゃんは詳しいね、と僕の回答を祝福するかのように小さな手を叩いた。
山吹の花は、そのまま水彩絵の具の原色を真新しいキャンバスに塗ったように、それは鮮やかな黄色だった。
清らかに大地を潤す川筋のせせらぎが鼓膜にゆるりと触れた。
山頂に向かって、日永を象徴するような木漏れ日が見え始め、薫風に圧倒されると、伯父さんの軽トラックが一旦、空き地に停止した。
「すごいいい眺めだろう」
勇一が荷台からひゅるひゅると降りたので、僕も見様見真似で降りた。
遠方に携える、剣山が芳春の落日に照らされ、敷き詰められた千ピースのジグソーパズルのような、山肌は黙々と迫りくる春情に備えていた。
こんなに見晴らしのいい風景なんて、この短い生涯で見かけた日はあっただろうか。
「ここは俺の仕事場なんだ。ここには山菜も採れるんだぞ」
伯父さんとは昔馴染みの旧友のように、親しく打ち解けられたのが不思議だった。
「お父さんと山菜を採ろうよ! 辰一お兄ちゃん!」
僕は二人から空のビニール袋と軍手を渡されたので、山際の切り立った斜面に向かって、恐る恐る歩みを保った。うっかり油断すると滑落し、奈落の谷底まで勢いよく、歯車のように転がりそうだった。
窪地で伯父さんの足が止まり、ジェスチャーで合図する。
ここで山菜が取れるんだろうか、と僕は行く春の夕風を浴びながら腰を小さく落とした。
「ここに生えているのは蕨と薇だ。車輪みたいに綿をくるみながら、ニョキニョキと生えているが薇で、大きな丸い部分がないのが蕨だ。若い杉の木の斜面に沿って、生えているのが特徴で、薇は味噌汁にすると旨いんだぞ。蕨は煮物が最高だな。あく抜きをしないと駄目だけどな。山が開けたところには蕨がよく生えているんだ」
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