目に見えないもの図鑑

 友理奈は、本に関する悩みを一つ抱えている。

 彼女は今、児童書コーナーの中の図鑑コーナーに立っている。


 今までに様々な書店を見てきたが、どの書店でも必ずあるコーナーがある。

 それは、図鑑コーナーだ。

 危険な生物についてまとめた図鑑、すでに絶滅した恐竜の図鑑。

 まだ存在している動物やすでに絶滅してしまった動物の特徴をまとめた図鑑。

 それらに、たくさんの小さな子どもたちが集まって、図鑑を読みあさっている。


 友理奈も、図鑑が好きだ。けれど、彼女が本当に好きな図鑑は少し変わっている。  

 少女が読む本としては、少し想像を絶するものかもしれない。


 実際、その本を手にした友理奈を見たとき、彼女の母親は嫌そうな顔をした。


 妖怪大図鑑。そう表紙におどろおどろしい文体で書かれた分厚い本。

 友理奈の母親はその本を二度見して、大きくため息をついた。

 そして、隣のコーナーに置いてあった本を手に取る。


『女子のための、女子力アップブック』


 彼女にとってはちっとも面白そうではないその本を、お母さんは彼女に押し付けた。


「なんなの、その気持ち悪い本は。この本にするわよね?」


 その言葉は、深く友理奈の心にささった。


 あれから何度も書店には来ている。しかし、何度友理奈がほしい本を選んでも、彼女の母親のお眼鏡にかなうものはなかった。

 彼女が選んだ本は全て、女の子が読むのにふさわしい本、とやらに変えられてしまった。


 仕方がないとは思っている。だって、自分でお金を払って買うのではないのだから。あくまで、お母さんがお金を払ってくれているのだから、どの本を買うか決めるのはお母さんじゃないとだめに決まってる。そう、友理奈は思っていた。


 ただ、どの本を買うのか決めるのはお母さんでも、それを読むかどうか決めるのは、自分。そう友理奈は考えていた。

 だからお母さんが買い与えた本は全て、彼女の部屋の引き出しの中に眠っている。

 ほこりをかぶって、彼女がページを開いてくれることを、今か今かと待っているに違いない。

 けれど、おそらく自分がその本のページを開くことは一生ないだろう。


 友理奈は、そう思いながらもこうして今日も図鑑コーナーにいる。

 妖怪大図鑑の見本を手にもって。


 買ってはもらえないけれど、ここで何を読むかは私の自由だ。そう自分に言い聞かせて、最近はずっとこの妖怪大図鑑の見本を読み進めていた。

 物語と違い、イラストを見るだけでも楽しく、何度でも読み返せる図鑑。

 この本を、いつか買いたいといつも思っている。


「なんや、楽しそうな本やな」


 急に後ろから声をかけられて、びくりと振り返る。

 そこには、ピンク色と紫色の髪をした、派手な女の子が立っていた。

 彼女は、ニィッと友理奈に笑いかけた。


「アンタ、その本が、大好きなんやな。見たら分かる」

「う、うん……」


 この人とお話をしていて大丈夫だろうか。

 どこかに連れ去られたりするのかな。

 そんなことを思っていると、女の子は首をひねる。


「せやけど、その本、何回も読んだみたいな顔してんな」

「買ってもらえないので」


 そう答えてはっとする。

 しまった、そんなことを言ったら次に来る言葉はこうだ。


『それじゃ、その本を買ってあげるからついて来て』。


 思わず後ずさりを始める友理奈。すると、女の子は不思議そうに言う。


「なんや、急にウチから離れようとして……。あ、誘拐ゆうかいすると思ってる? 心配せんでも、ウチとアンタ、同じくらいの大きさやで? 連れ去るのはちょっと難しいやろ」


 そう言われて、納得した自分がいた。

 確かに、ここは人がたくさんいる。誘拐するのは、難しい。

 それに彼女の言う通り、彼女が私を連れ去るのは無理だ。

 大きなため息を一つつく。


「……決めた。警戒心けいかいしん強めなおじょうさん、今日はアンタがお客さんや」

「お客さん?」

「ウチは、ジーニ。ジーニちゃんって呼んだってな。よしなに」


 女の子……――、ジーニはそう言うと、背中に背負っていたリュックサックを降ろした。

 リュックサックの中から、本棚が現れる。まるで、リュックサックの生地が、本棚になっているかのようだ。

 その本棚の中には、本がたくさんしきつめられている。

 その中の一冊が、ジーニの手元におさまった。


『友理奈は、妖怪の図鑑が好きだった。目には見えない妖怪や妖精、そういったものが好きだった。けれど、恐竜や魚、動物の図鑑をかがやく目で見ている子どもたちがうらやましくもある。そういったごく普通に、子どもたちが好きになるものが好きだったら、お母さんもあんな目はしなかっただろうに、と。本屋に来る時だけ、妖怪図鑑を読もう、そう決めて、友理奈は図鑑のページをめくる。そしていつか、自分でお小遣いをためて、きっと妖怪図鑑を買おうと心に決めているのだった』


 ジーニが手にした本のページに書かれていた物語はまるで、友理奈自身の物語のようだった。


「まるで、私のことが書いてあるみたいですね」


 そう言うと、ジーニは笑った。


「せやで。ホンマに、アンタのことが書いてあるねん」


 ジーニはそう言うと、本を元の場所にしまった。そのとたん、本棚が動き始めた。

 本棚があった場所には、ぽっかりと穴があいている。


「信じるか信じへんかは、アンタ次第。アンタにぴったりの本、用意したる。欲しかったらついて来たらええ」


 そう言うと、ジーニは穴に向かって飛び込む。そして、姿を消した。

 友理奈は、ジーニが言った言葉が気になっていた。


『アンタにぴったりの本、用意したる。欲しかったらついて来たらええ』


 ジーニは、友理奈にそう言った。

 つまり、欲しくなかったらついて来なくていいし、無理について来なくていいということだ。


 妖怪図鑑のような、自分が本当に欲しい本が手に入るのなら。

 それなら、行ってみてもいいのかもしれない。

 そう思って、穴に向かってえいっ、と飛び込んだ。


「今日、アンタは新しい一歩を踏み出したわけや。おめでとう」


 ふわりふわり。

 ジーニと友理奈はゆっくりと、落下していた。


「アンタが欲しい本、それはどんな本や?」

「妖怪や、妖精が載っている本です」


 そう言いきってから、ジーニの返答を待たずにこう付け足した。


「あ、やっぱりいいです。どうせ、買ってもらえませんから」


 それを聞いて、ジーニは一瞬顔をしかめた。


「欲しい本を買ってもらわれへんって、大変やね。でもここはそんなん、気にしなくてええねん。ここでは、物々交換が主流やから」


 ブツブツコウカン? それを聞いて、今度友理奈が顔をしかめた。

 その表情を見て、ジーニはすぐさま説明してくれる。


「物々交換って言うのは、ものとものを交換することや。アンタが既に持っている本と、この中の本を交換する。それで、お支払い完了ってワケや」


「ああ、それならできます」


 すると、ジーニは指をパチンと鳴らした。

 二人は地面に着地する。


 友理奈は迷わず、かばんから本を一冊取り出した。この前買ってもらったまま、かばんに入れっぱなしにしていた本。

 『かわいい女の子になるために』という本だった。

 本は、ゆり子の手から離れると、勝手にジーニのところへ飛んで行った。本は、彼女の周りをくるくる回る。

 ジーニは本を見つめながら、しばらく頷いたり、首をひねったりしていたが、やがて本を手に取ると、カウンターに置いた。


 それとほぼ同時にジーニの手元に、妖怪大図鑑が現れた。

 いつも友理奈が読んでいるものと同じだが、見本ではなくて新品だ。


 数分後、妖怪図鑑の本は淡い光に包まれた。

 光が収まったころには別の本が生まれていた。


「あなたにぴったりの本、それは『目に見えないもの図鑑』です」


 友理奈に元々は妖怪大図鑑だった本を手渡しながらジーニは笑いかける。


「この本は、もちろん妖怪や妖精を詳しく紹介しています。けれど、それだけでなく、実際に友理奈さんの前に現れた目に見えないものたちのことも記録してくれますよ」


 たとえば、と言ってジーニは、あるページを開いて見せた。そこには、『本日出会った目に見えないものリスト』とあった。


 そしてそのページに一行言葉が書かれてあった。本の魔人、と。


 ジーニと本を見比べる友理奈を、おかしそうに眺めながら彼女は言った。


「このように、見た目だけでは分からないものも、この本は映し出すことがあるのです。まぁもちろん、本人が拒否した場合は、図鑑に記されないのが欠点なんですけど」


「さらに」


 ジーニは言うと、本の表紙を二度軽くたたいてみせた。すると、本が消えた。


「お母さんに見られたくなければ、このように、とうめいにすることもできます」


 それから、友理奈の顔をのぞきこむように見て言う。


「この本、購入されますか」

「もちろん」


 友理奈は即答した。それを聞いて、ジーニは満足そうに微笑んだ。


「お買い上げ、ありがとうございます。本と、そしてあなたが幸せでありますように」


 その言葉を聞き終わるか終わらないかのうちに、友理奈は元の図鑑コーナーに戻ってきていた。彼女は本を二度たたいて、とうめいにして、家に持ち帰った。


 それから友理奈は、常にその本を持ち歩いた。そして気づいた。

 人々に見えなくなってしまっただけで、妖怪たちはまだまだこの日本に生きていること。他の国の妖怪や魔法動物も、こちらの世界に移り住んできていること。

 たくさんの目に見えない生物のことを、本はおもしろおかしく語り、彼女はそれを楽しそうに読み続けた。


 彼女は、後に目に見えないものたちのことを面白く、そして時には詳しく書いた図鑑を出版した。

 そしてその名前を知らない人がいないくらいの、有名人となった。

 彼女の傍らにはいつも、同じ本があったという。

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