SIDE STORY 02 : 火星の皇帝







 ───その男の朝は、太陽が顔を出すあたりから始まる。

 汚れても良い格好と長靴へと着替え、そして外へ向かう。






 ────火星の人類生存圏一勢力にして、恐らくは人類勢力唯一の『帝政国家』であるインペリアル、


 その首都は、50年前より人類が多く住むはずの人類生存圏の外、ノイエフェードに遷都せんとされていた。


 インペリアル皇帝家が住まい、政治の中心となっている宮殿『ノイエフェード宮殿』は、


 意外にも、人類生存圏のバリアで囲まれた城壁側の栄えた煉瓦造りの街の反対側、


 広大な荒野だった場所は、広大な農作地になっている。





 ───男は、皇帝家領の縄で区切られた水田で、田植えを始めていた。


 この地域は赤道近く、かつこの皇帝家領となる場所には程よい河川があり、

 小麦も野菜も、芋も育つが、


 その男にとっては、祖父の代からずっと品種改良を重ねてきた米を作るのに適した場所であることが多かった。



 男は、日系の祖先ではない。

 だが、かつて祖父が、ヤンチャだった若い頃のひもじい思いをした時に食べた、海苔のない塩握りの味に惚れて、米を作り始めた時から、

 誰よりも、米が好きだった。


 火星の気候には、男の栽培するいわゆる『ジャポニカ米』が適していた。

 ここは赤道近くでもあるに関わらず、年間を通して湿潤、稀に猛暑と、長い冬が来る。


 亜寒帯の様な年もある。何せ、本来の火星の1年は2年と50日分だ。


 そんな火星で生まれた、男の植える米は、

 過酷な環境に耐えるタフさと、それゆえに鍛えられた旨みがあった。



『────陛下、そろそろシャワーを浴びて頂きたいのですが?』


 と、男の作業着の胸ポケットの辺りにある無線機から、小うるさい従者の声が聞こえてきた。


「わかっている、ちょうど終わりだ。

 待ってろ、俺の持っている最高級の車で帰るからな」



 男────現インペリアル皇帝、ミハエルインペリアル2世は、田植え機をあぜ道に止めた、免許をとって初めて買った愛車の軽トラに乗せ、同じく朝から精の出る別の畑帰りの領民にお辞儀をされながら、片手を上げて応えつつ帰路についた。








「そういえば、農作業補助用のソレイユモデルが出たそうですよ。

 今は朝から畑に出ずとも、作業を効率化できる様です」



 朝から要するに『一勢力の頭が何畑仕事してるんだ』と遠回しに言う、ミハエル曰く『いけすかない美男の顔』の従者兼護衛、と言う名のお目付役の男『カスパル』に、シャワーを浴びつつウンザリするミハエル。


 毎朝、とりあえずこの打首上等な事を言ってくる相手には最早敬意があるほどだった。


「そう言うと思って、東の3つ目の畑用に昨日から使っている。

 AI社め、オレ達がまだ借金できる程度には開発力があるらしい」


「左様ですか」


 とりあえず体を拭き、同じくAI社の護衛用も出来るメイド型ソレイユモデルから服を受け取り、着る。


 上等な生地と仕立ての服を着ると、ようやくミハエルは皇帝らしい雰囲気になる。


「馬子にも衣装ですね。正直いっていつもの作業用のツナギの方がお似合いですよ、陛下」


 早速、二人はそのまま城の広間へ歩き始める。


「お前もたまには分かっているな。

 さて朝飯か。今日はなんだ?」


「ハーバード侯爵様が良い卵とソーセージ送っていただいたので、王道にソーセージエッグを。

 それと、我が勢力下の小麦の出来がよかったのでバターロールパンに。サラダはいつも通りですが、今日は和風の胡麻ドレッシングに」


「で、毒味の結果は?」


「これを食べて死ねるなら本望でしたよ。

 客人方にも好評です」


 広間の扉を開くと、すでにテーブルに二人の人物がいた。



 片方、赤肌複腕でパンを掴んでバターを塗っていた3つ目の異形美人‪……‬

 赤鋼帝国の皇帝、ムルロア・ゼノバシア。

 色々あって、このインペリアルへ『国賓』‪……‬まぁ捕虜と言い張ってだがそういう事でここへきている。


 もう片方、パンを頬張っていた小さくまだ幼くも見える銀髪の美少女、

 しかし、その正体はこの火星の環境を生み出した存在であるデータ化人類『クラウド・ビーイング』の事実上代表である、グートルーン・オーグリス‪……‬その生体端末の一人だった。



 しかし、中々無礼な状態である。

 この城の主人でもある、ミハエルより先に朝食を取っていることがバレるとは。

 明らかに二人とも、やってしまった顔である。

 場合によっては自分の首どころか、その後ろの勢力との開戦もあり得る『しでかし』なのだ。



「‪……‬すまん、腹が減っていた‪……‬」


 ここで、ゼノバシアは、実際申し訳ないとも思っていたが故に、頭を下げた。


 無言のグートルーンも、顔を伏せてしまう。


「‪……‬」


 そこで、難しい顔をしたままテーブルに近づいたミハエルは、パンを一つ掴んで、口に運んだ。


 一口噛み、咀嚼し味わう。



「!」


 そして驚いた顔で言った。




「このパンは美味すぎるな!

 部屋に入ってきた時から、俺も匂いでコイツは傑作だと感じていたが‪……‬これほどとは!」


 はっはっは、と笑うミハエルは、呆気に取られた二人の前で自分の席に座り、そして頭を下げた。



「すまん、こんな美味いパンを出しておいて、遅くなった俺が悪いんだ。


 俺でも、こんな美味い物を目の前において我慢するのは無理だ‪……‬何せ俺の住む自慢のインペリアルのパンだしな。

 さ、遠慮なく食おう!俺も腹が減ってるところだ」



 と、挨拶もそこそこに、ミハエル本人も早速もう一個のパンを小さくちぎり、バターを塗る。



「‪……‬‪……‬流石は、一国の主人か。


 オレのが年上だが、田舎者丸出しだった‪……‬許してくれインペリアル皇帝殿」


「いやいや、頭を下げるのは辞めてくれゼノバシア殿!

 まぁ、俺の国の飯が美味いのは事実だがな!

 この星で1番の小麦に、材料だ。

 惜しいのは、俺の育てた米は今日じゃない事だな‪……‬あれは美味いぞ!!」


「ああ、あれは美味かった!

 アレを出されていたら、すでに完食していた自信があるぞ!!」


 だははは、とミハエルとゼノバシアが笑う中、ふと静かだったグートルーンを見ると、どこか遠い目でパンを見ている。


「‪……‬おかわりならあるが、グートルーン殿?」


「あ‪……‬ごめんなさい。

 その‪……‬つい、昔のことを思い出してしまって」


「昔の事?」


 ミハエルの質問に、一度だけゼノバシアを見て、再びパンに視線を戻すグートルーン。



「‪……‬‪……‬昨日、条約締結交渉の場でも話したことなのだけど‪……‬‪……‬

 そもそも、火星のテラフォーミングは事故同然の出来事からの、奇跡的な結果で緑が生まれた」


「オレ達という余計な結果を生んだ上でか、創造主気取り?」


「ゼノバシア殿、」


「いえ。そちらのレプリケイターの皇帝さんの言葉通り。

 ‪……‬‪……‬結局、『創造主気取りどまり』だったんじゃ無いかって、今は私達も思ってしまっている」


 そう言って、パンを小さくして、口に含んで咀嚼し、飲み込む。



「‪……‬‪……‬300年前と、全然味が違う。

 知らない味になるほど美味しくなった」


「‪……‬‪……‬小麦は、先祖代々、インペリアルの始まりの頃から、いや俺たちがまだ一つだった頃からずっと品種改良をし続けてきたからな」


「それでもたった300年。

 こうも命は、形も味もが変わるのね」


「‪……‬ああ、当たり前だ。

 変わらない命なんてない」


「‪……‬‪……‬それが今でも少し怖い‪……‬」


 軽く俯く、グートルーン。

 ‪……‬冷めないうちに、たとえパンが相方でも変えない習慣、目玉焼きに醤油をかけて半熟な黄身を一口食うミハエル。



「‪……‬あなたは、全人類をデータ化したいらしいな。

 不老不死か。俺でも老後になったら考えてしまいそうだな」


 そして、視線を彼女に外さないままグートルーンに言葉をかけた。


「‪……‬私も、幾人かのデータ化した仲間も、ぞれが本当に良い結果だったのかは、今となっては迷う時もあるのです。

 ただ‪……‬‪……‬変化が全て良いものなのか、それがどんな結果を産んできたのかを見てきたのも事実です」


 グートルーンの脳裏には、電子の中にあるあまりに正確な記録と、人の感情の入り混じったあらゆる負の記憶が浮かぶ。


 それは、表情を見る人間にすら、何か碌でもないことがあった事を理解させるには十分な実感があるものだった。



「‪……‬‪……‬それを言われると俺は弱い。

 この自然を相手にして、あらゆる作物を作る国であるインペリアルは、変化との戦いだった。

 気温、水質、日照時間‪……‬戦局、勢力図の変化‪……‬


 俺たちの軍拡を悪という奴らがいる。

 だが、その糾弾を生む口に入れる食物は誰が作ったのか。

 それを守るための血生臭い力を、その力で守られた物で命を養い否定するのか?

 ‪……‬俺は、他の勢力と全面戦争を起こさない程度の短気さで良かったと常に思う様なことがある。


 あなたの嫌がる『変化』とは、そういう物なのか?」


 ‪……‬グートルーンも、目玉焼きの黄身を食べ、そしてパンも一口食べて飲み込む。



「ええ‪……‬まさにそういう物です。

 ‪……‬‪……‬知性と思い込みは不可分なのか?

 無知は恐怖を生み、恐怖は無理解を生み、思い込みという偽りの安心を得る。

 ならいっそ、思い込みではない正確なデータを脳に、その魂にインストールできれば‪……‬」



「それで争いが無くなると言うか?

 お前が、オレ達を滅ぼそうとしたお前がそれを言うか?」


 パリッと、ソーセージを半ばほどで噛みちぎり、咀嚼しながらゼノバシアは空いている後ろの右腕で頬を支えて、グートルーンに対して鋭い視線と共に言う。


「‪……‬‪……‬そうね。

 私達が‪……‬私達の思い込みも強かった」


「‪……‬‪……‬俺は、一つの国を背負える兄とみているものが違ったが故に、まぁ他にも色々と理由はあるが、まだ兄と慕う相手と袂を分ち、一つの国を作った。


 兄弟ですら、共に育った物ですら、違う物があるのだ‪……‬譲れない違いがな。


 お前の言う理想郷は、オレは個人的に好きになれん」


「‪……‬‪……‬」



 横で聞くミハエルは、ゼノバシアのこの正直さにはきっとその別の国の王たる兄は苦労したのだとは理解しているが、

 自分もどちらかといえば正直な側であるので尊敬があった。



「だがな‪……‬それはそれだ。

 お前のせいだが、その兄とも一応の国としての和解を終えた。

 ‪……‬お前にその気があるなら、いやむしろこの星を作るほどの力を持つ相手だ。


 話が通じると言うのなら、交渉の席に付くべく怒りを抑えてやる」


 ある意味でかなり無礼だが、嘘偽りない事をこの場で言い放てる。

 やはり、彼女‪……‬いやレプリケイターは見た目こそ全員異形とはいえ割と美人だが、性自認で言えば彼は一国の主人らしい豪胆さがある。


「‪……‬正直意外だったぞ。あっさりと、例の条約に調印したのがな。

 昨日は聞けなかったが、お前の望んだ命の人間ではない、滅ぼそうとしたオレ達と何故だ?」


 それもただの無鉄砲でもない。

 的確な事を言う‪……‬それにそれは昨日聞けなかった話だ。

 ミハエルは静かに、グートルーンの言葉の続きを聞くことにする。



「‪……‬‪……‬個人的な理由から話すのなら、

 私の身勝手で捨てたはずの、ある意味で子供同然の存在に許されてしまったから。


 ‪……‬‪……‬もう一つは、我々クラウド・ビーイングの迂闊な見逃しを、見つけたから」



 流石のミハエルも、食事の手を止める。


 グートルーンは、落ち着くためか、一度貰ったコップの水を飲み、ゆっくり息を吐いて二人の皇帝へ言う。



「あなた達以上に、私達クラウド・ビーイングに敵対的な『人類』がいた」



 やはりか、とミハエルは身構える。

 こちらが掴んだ情報通り、旧火星統一政府軍の残党、そしてそれらが集まった『財団』が、と。



 だから、次のセリフには、流石に驚いた。





「そして、今も彼らは国家として残っていたの。

 見つけにくい場所で」






「‪……‬何?」


 グートルーンの意を決した顔に、ミハエルはこの話の信憑性と、そして本来は秘匿するはずだった情報なんだと言う事を瞬時に察した。



「‪……‬‪……‬条約を結んだからこそ、情報の開示ができたと言う顔‪……‬

 の割には、最後までいうべき迷う顔だった様だな?」


「私はあなた達インペリアルをはじめとした人類をを、彼らと同一と思い込んでいた。

 だから、いくつかの生体サンプル、私たちのサーバーの拉致作戦もあなた方だと思っていた」



「‪……‬確かにあなた方のことは隠していたが、その情報は初耳だ。

 トラストのクオン女史はなんと?」


「情報無し。初耳と。

 ‪……‬そちらのレプリケイターの皇帝さん達を絶滅させようとしたのも、あなた方が人類の将来的な競合相手になる可能性以上に‪……‬てっきりすでに先行して接触し、生体サンプルを集めていたんじゃないかって思っていたから。


 でも違った‪……‬そうなるともっとややこしい事態になると思っているの」



「待て!生体サンプルだと!?

 まさか、蒼鉄の奴らが襲われた一件、狙いは政治的理由ではないのか!?」




 と、いつの間にか用意したのか、分厚い紙と、小さな旧型記録媒体を取り出すグートルーン。



「今、私たちが観測した範囲で分かる敵の情報と位置、あらゆる前提も含めての情報をまとめておきました。

 これを、まずはあなた方軍事国家であり、小競り合いではなく『戦争』ができる相手に渡したいの」



「「‪……‬‪……‬」」



 ミハエルは、記録媒体を掴み、自らの仕事のための旧型タブレットに差し込む。


「‪……‬‪……‬こんぴゅーたー、だったか?

 オレも早く面白くもない長編の駄文を見る作業から解放されたいな」


「安心していただきたい、ゼノバシア殿。

 どんなの小さくなっても、長編の駄文の量は変わりがない‪……‬」


 数枚めくり、飛ばし飛ばしで読み、スクロールを高速で行う。


 ────それだけで、この情報は有益であり、


 そして、巷の流行りの三文小説以下の酷い内容なのは分かった。



「‪……‬ごめんなさいね、朝食が冷めてしまって」


 そう言って、グートルーンは小さな口で、残りの朝食を手早く食べて行く。


「‪……‬‪……‬飲み込まざるを得まい、というヤツだ。

 うん、冷めても美味いじゃないかコレは」


「ああ、むしろ礼を言う。

 この分厚い三文小説を読むのは大変癪だが、教えなければオレがこの手でお前を殺すところだ‪った。

 そうなるとそこの若い皇帝の顔にも赤い泥を塗る羽目になった‪……‬ここの皇帝はオレが好きな輩だ。

 成長を見てやりたい」



 やりかねないな、と苦笑するミハエル。

 ‪……‬そしてふと、今朝植えたばかりの苗達を思い出す。




「‪……‬‪……‬早めに動かないといけないな。

 我がインペリアルの畑が踏み荒らされないように‪……‬」




 思ったほど軽くはなかった朝食を腹に収め、火星人類唯一の皇帝という肩書きの男は覚悟を決めた。




          ***

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