第5話 鍵はあらゆる対象には使用不可であることに関する説明

 宅配便は、比較的厳重に梱包が成されていた。段ボールの箱にガムテームが張り巡らされ、浦島太郎が持ち帰った玉手箱を想起させるような気がしないでもない。ガムテープを丁寧に剥がすと、中から小さな箱が姿を現した。しかし、こちらは紙製ではなく、プラスチックでできている。だから中身が見えた。


 リ・ドゥは箱の蓋を開ける。開ける前から分かっていたが、中には小さな鍵が一つ入っていた。箱の中に敷き詰められたクッションの上に置かれている。鍵は金属製で、金色に光っていたが、金製ではなさそうだ。持ってみるとそれなりに重く、何らかの合金であることが分かった。形状は、鍵と言われて誰もが想像するような形で、上方にリングが付いており、そのまま下方へと真っ直ぐ続いている。先端には複雑な溝が形成されていて、そこが特定の鍵穴とリンクするみたいだった。


「キーだ」リ・ドゥが持つ鍵を見つめて、ドルスが言った。


「さっき、貴方が言っていたのは、これのこと?」


「そうかもしれない」


「はっきりしなさいよ」


「僕ははっきりしているよ。はっきりしないのは、この鍵の方じゃないか」


 リ・ドゥは鍵をドルスに渡す。彼はそれを受け取ると、梟のような眼差しで、梟のように首を動かして、その表面を観察した。観察したところで、特に目立った特徴は見つからなさそうだ。


「どこで使うんだろう」リ・ドゥは呟いた。「ここには、鍵穴なんてないけど……」


 ここは誰でも使える談話室だから、建物のドアが施錠されることはない。室内には常にリ・ドゥがいる。そのため、ドアにはもともと鍵が付いていなかった。


「じゃあ、出かけよう」ドルスが言った。


「どこへ?」リ・ドゥは尋ねる。


「どこへでも」ドルスは答えた。「とにかく、このキーが使えそうな場所まで」


「私はここから出られない」


「まあ、そうだね」


「一人で行くの?」


「そういうことになる」


「心配」


「失礼だね」ドルスは言った。「まあ、でも、たしかに、不安だなあ……」


 突然、壁際に置かれていたジュークボックスが立ち上がり、歩いてこちらに近づいてきた。体内に取り込んだコインをじゃらじゃらと鳴らしながら移動する。二人の前まで来ると、それは両サイドから腕を出し、小さくお辞儀をした。片方の腕を背後に回し、もう片方は自分の胸に添える。


「そうだね、彼についていってもらうことにしよう」ドルスはリ・ドゥを見る。「いいよね?」


「使う人もいないし、勝手にすれば?」


「じゃあ、そうしよう」


 リ・ドゥに礼をして、ドルスはジュークボックスと一緒に談話室を出ていった。


 ドアに付けられた鐘が鳴り、その余韻だけが残る。


 静寂。


 椅子に座ったまま椅子に座り直すと、その音が微かに室内に響く。


 ドルスが来てから、どれほどの時間が経過しただろう、とリ・ドゥは思う。


 談話室にいると、時間の流れ方が異なるように感じられるらしい。もっとも、リ・ドゥは外に出たことがないから分からないが、ドルスがそう言っていた。


 外では、一日、あるいは、もっと時間が経っているかもしれない。


「私って、駄目ね」


 お得意のよそ行きの声で、リ・ドゥは一人呟く。


 本当は、無理をしてでも、彼についていくべきだったかもしれない、と思ったのだ。


 でも、自分はここの管理人だ。


 だから離れるわけにいかないという理屈が、彼女の内部に居座っている。


 ドルスがいなくなると、嘘のように室内がしんと静まり返った。聴覚だけではなく、触覚を通してもそれが分かる。彼が傍にいると温かいように思えるのだ。その温かさは、きっと直接的な熱によって得られるものではない。けれど、温かさを感じるのは触覚でしかありえないから、結局のところ、それで彼女の身体は温まったようになる。


 自分は温かさを求めているのだろうか?


 世界征服を実行したあとの世界は、温かかっただろうか、冷たかっただろうか?


 どちらかといえば、冷たいイメージ。


 ドルスに温められたのかもしれない、と考える。


 一人でくよくよ考えていても仕方がないので、リ・ドゥは立ち上がって伸びをした。もうアルコールは抜けているように思えた。実際にはそんなことはないだろうが、少なくとも、その支配からは脱しつつある。


 急に頭が回り始める。


 カウンターの前、談話室の多くの床面積を占めるように置かれた机の上を、ダスターで拭いて掃除する。最近は使う場面が少なかったから、多少埃で汚れていた。


 机の上に、テレビのリモコンが置かれたままになっていた。誰かが放っておいたのだろう。


 なんとなくそれを手に取り、上方の壁に掲げられた小型のテレビに向けてスイッチを押す。ぶうんという重たい音を立てて、厚みのあるテレビの画面が鈍く光った。


 ノイズ。


 ニュース。


 画面の向こう側で、アナウンサーが悲壮な顔をしている。


「隕石衝突……まで、残り……三十分を切り……ました。皆さん、避難は……完了しましたか? ……私も、この……辺で放送を……中止して、そろ……そろ……避難に……移りたい……と思います。……それでは、皆さん……、検討を……祈ります……」


 アナウンサーが立ち上がり、その場から退場する。


 誰もいなくなったスタジオだけが、映り続ける。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る