第2話 登場人物の生態に関する説明
「別にさ、分からないことは、放っておけばいいんじゃない?」コーヒーを一口飲んで、リ・ドゥは言った。「考えても分からないものだよ。ふとした瞬間に思いつくものだよ、人間って」
「僕は人間じゃない」ドルスが応える。
「じゃあ、何なの?」
「分からない」
リ・ドゥは両手を打ち付けて大笑いし、それから真顔に戻ると、持っていたグラスをドルスに突き出した。ドルスは、少々身を引いたものの、最終的には彼女が差し出したそれを受け取って、液体を少量口に含んだ。
「毒が入っているかもしれないよ」リ・ドゥは告げる。
「入っていたら、君も飲めない」
「貴方にしか利かない毒なんだから」
「それでは、毒と言えないんじゃないかな」
「意味が分からないし」
「分からないし、何?」
「面白くもない」
ドルスは図書館から借りてきた本を開く。開いて、開いて、開いた。そうすると、最終的には閉じることになる。彼は何度かその動作を繰り返した。
リ・ドゥは彼の様子を眺める。彼がそうして何度も本を開くのは、何かを考えている証拠だ。ほかにも、手近にある色々なものを弄くり回して、彼は物事を考える性質がある。そうしていないと落ち着かないらしい。たしかに、椅子に真っ直ぐ座って物事を考えるというのは至難の技だ。人間はそんなにきちんとはできていない。学校では依然としてそのような教育が行われているらしいが。
考えているドルスの横顔を、リ・ドゥは見つめる。目だけでそっと見るのではなく、カウンターに片方の肘をつき、ついた方の手で頬を支えて、如何にもな姿勢で彼を見つめた。見つめられても、ドルスはまったく動じない。彼女の存在など意識の外だからに違いない。彼は幽体離脱の自由度が比較的高い。それは自分も同じかもしれないとリ・ドゥは考えたが、そうであることを証明するのはなかなか難しそうだ。
難しいそうだ、ではない。
難しそうなのだ。
席を立ち、リ・ドゥはカウンターの向こうに消える。彼女はこの談話室の管理人だから、ここにあるありとあらゆるものの位置を把握している。しかし、こうした説明をした場合、もの、というのが、どの程度の範囲を示すのかが曖昧になる。たとえば、グラスは硝子から成り立ち、その硝子は炭素から成り立っているわけだが、この場合の、もの、とは、グラスを指すのか、硝子を指すのか、それとも炭素を指すのかが明確ではない。
あえて、もの、と抽象的に表現するところが、味噌かもしれない。
この場合の味噌を、醤油と置き換えられない理由を説明するのは、なかなか難しい。
チョコチップクッキーを平皿に盛りつけ、それを持ってリ・ドゥはこちら側に戻ってきた。ついでに、長すぎる金髪を後ろでよわいて、ポニーテールを形成した。そちらの方がドルスの好みに合うだろうと考えたからだ。いや、すでに考える段階は飛ばされているといって良い。彼の好みに合わせるということが、彼女にはごく自然にできる。そして、ドルスはといえば、彼女のそんな些細な心遣いには気づいていない様子だった。それでも良い、所詮自己満足にすぎないというのが、現段階におけるリ・ドゥの精神的処理の仕方だった。
ドルスは、眠っているように見える。
目を閉じている。
目を閉じたまま、本を開いたり閉じたりを繰り返している。
まるで声帯のような動きだった。
リ・ドゥは、声帯を直に見たことなどないが。
「何か分かった?」聞こえないだろう、という予想を五十パーセントほど立ててから、リ・ドゥはドルスに尋ねた。
ドルスは、首を一度右に傾け、次に左に傾け、そうして今度は傾けたのと反対側の肩を持ち上げ、その動きを何度か繰り返す。
これは、まだ、という合図だ。少なくとも、リ・ドゥはそう解釈している。
つまらないから、彼女は一人でチョコチップクッキーを食べた。チョコチップクッキーというのは、チョコチップが含まれたクッキーのことであって、チョコチップから形成されたクッキーとか、チョコチップとクッキーのセットなどではない。
普通に、美味しい、と感じる。
彼女の感想は、普通それ以上には踏み込まない。踏み込んでも仕方がないといえる。というよりも、「美味しい」という最もシンプルな感想に、ありとあらゆる詳細を含めることができて、どちらかといえば、彼女はそうした意味で美味しいと言っている。
コーヒーは苦い。
チョコチップクッキーは甘い。
けれど、どちらも美味しい。
こんな簡単な表現を比べるだけでも、今彼女が考えたことの妥当性は確認できる。
それなのに、作文を書くときに、「美味しかったです」と書いてはいけないらしい。何がどう美味しかったのか、美味しくて、それによってどう感じたのかを書かなければならないらしい。
馬鹿か、とリ・ドゥは思う。
阿呆か、とリ・ドゥは思う。
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