2.発覚
2.発覚
ボクは、斎良園があるお寺の山門に面した河原に腰掛け、一人で川面を眺めていた。何をどう間違ったのか、玲奈からは、何一つ期待した反応を得ることが出来なかった。しかも、彼女を酷く傷付けた。
足下に転がっていた小石を拾い上げ、川に投げ込んだ。それは、空中にゆっくりと弧を描いて、川面に波紋を立てた。
「言ったとおりだったろ」
不意に、背後から声をかけられた。足音は聞えなかったが、驚かなかった。声をかけられることは予想していたし、それ以前に、心が麻痺していた。
「良くここが分かったね」
「先生の居場所が分かった訳じゃないよ。でも玲奈のことは分かる。双子にはテレパシーがあるんだ。玲奈の近くに来たら、先生が見えたんだ」
嘘かもしれない。もうそう考えていた。
「玲奈のためなのに、どうして分かってくれないんだろう」
ボクは、振り返ることなく、独りごちるように言った。
「言ったろ。玲奈は覚えてないかも知れないって」
「そんなことが、本当に在るんだろうか。強烈な体験だったろうに」
「ショックが大きすぎて、思い出せないのかもしれないよ」
「自分の事のように言うんだな」
この言葉を聞いて、彼女がどんな顔をしているか、確認したかった。ボクは、力ない苦笑を浮かべて振り返った。
そこには、ボクを慰めるかのように、優しい目をした明日奈がいた。その目は、少し腫れぼったい。
彼女は、いつものように長袖の白いブラウスを着込んでいた。そして、初めて見るスカートを穿いていた。それは、先ほど会った玲奈が穿いていた物と同じだった。
ボクの頭の中で、それは確信に近づいていた。あり得ないことと思いながら、それしか考えられないと思うようになっていた。
覚えていない。
自分の事のように。
同じスカート。
いつも長袖。
腫れぼったい目。
もしかして、虐待を受けていたのは玲奈ではなく明日奈なのではないか、そんな思いは、幾度も頭をよぎっていた。だが同時に、事実として、玲奈には身体的な虐待の証拠が見られた。
ボクは、混乱した頭のまま、自分でも意識することなく、腕を伸ばした。そして、明日奈の左の手首を掴んだ。
「ちょっと。何?」
明日奈は、突然の事に、驚きの声を上げた。ボクは、構わず腕を引いた。体重の軽い明日奈は、簡単によろめいた。そして、ボクは明日奈の袖を捲りあげた。
明日奈が「あっ」と小さな声を上げる。そこには、いくつもの傷跡があった。
「あ、あたしも自傷なんだ」
ボクは、明日奈の言葉を聞いていなかった。自傷の傷なら見慣れている。玲奈の傷だ。だから、ボクにははっきりと分かった。それは、全く同じ傷跡だった。
ボクは、明日奈の手首を掴んだまま視線をあげた。明日奈は、今まで見せたことのない脅えた顔をしていた。
ボクは、静かに首を振った。明日奈に自傷癖があるんじゃない。
「明日奈は、玲奈の中にいるんだね?」
ボクは、静かに問いかけた。
明日奈は、途端に目尻を釣り上げて、腕を振りほどいた。そして、そのまま駆け出した。
ボクは、追いかけなかった。呼び掛けなかった。
ただじっと、明日奈の後ろ姿を見送った。山門に奥に駆け込み、左に折れて行く後ろ姿を見送った。
ボクは、明日奈を見送った後、随分長いこと、そのまま座っていた。汗が目にしみなければ、ずっと座っていたかもしれない。ボクは、のろのろと立ち上がると、ジーンズについた草を払い落とした。そして、明日奈と同じ道を通って、斎良園に向かった。
「あ。室田先生」
職員室に入ると、パソコンに向かっていた渡辺さんは、少し困ったような顔をした。
「あの、今日はもう御遠慮して貰えませんか」
「すみません。玲奈に会いに来たんじゃないんです」
「では、どんなご用件で?」
「玲奈の家族の事を教えて欲しいんです」
渡辺さんは、こめかみを掻きながら、呟くように言った。
「家族の事、ですか?」
「ええ」
ボクは、極力具体的に聞かないように気をつけた。回答を誘導したくはなかったからだ。
「それなら、先生もよくご存じのはずじゃないですか?」
「はい。でも確認したいんです。できれば、何か記録を見せて頂けないかと思いまして」
「先生でも、それはちょっと。でも、お話するだけなら構いません。誰のことをお聞きになりたいんでしょうか?」
「いえ。誰かの事ではなくて、玲奈の家族として、誰が居るかを聞きたいんです」
渡辺さんは、更に怪訝な顔をした。それでも、ボクが真顔を崩さずに突っ立っているのを見て、椅子を示してから話し始めた。
「継父として、赤羽雄一さん。母親の赤羽俊子さんは、3年半ほど前に失踪されてます。父方の祖父母は、共に亡くなられてます。母方の祖父母は、山形県にご健在だそうです」
「兄弟は?」
「兄弟ですか?」
渡辺さんは、キャビネットの中から、ファイルを取り出すとページを繰り始めた。
「ええと、雄一さんのご兄弟は……」
「いえ、玲奈の兄弟、というより姉妹について聞きたいんです」
「玲奈さんに兄弟、姉妹はいませんよ」
そう言いながら、渡辺さんは、改めてファイルに目を落とした。
「記録を見る限りでは、死産や堕胎を含めて、玲奈さんに兄弟はいません。一人っ子です。どうして、今更そんなことをお尋ねになるんですか? 玲奈さんが、何かおかしな事を言ってましたか?」
「いえ。そういう訳ではないんです。ただ一応確認しておきたくて。どうも、お手数をおかけしてすいません」
ボクは、そう言い置くと、そそくさと斎良園を後にした。そしてそのままバスに乗り、図書館に向かった。玲奈に読ませる本を借りるため、毎日のように通っている市立図書館だ。
そして、そこで多重人格障害(今では解離性同一性障害と呼ばれている)について調べた。もしやと思ったことはあった。だが同時に、ありえないとも思ったのだ。玲奈はもちろん、明日奈とも何度も言葉を交わした。完全に別人だと思っていた。
図書館から自分のアパートに戻ると、ボクは、久々に酒を飲んだ。缶ビールを2本飲んだだけだが、それでも久しぶりだったこともあって、直ぐにアルコールが回ってきた。
玲奈は、恐らく多重人格障害だ。玲奈自身が元々の主人格で、明日奈が副人格なのだ。玲奈の中に、玲奈本人と、トラウマ(恐らく性的虐待)から玲奈の心を守るために作り出された別人格、明日奈が居るのだ。
ボクは、アルコールで酩酊した頭で、これからどうすべきなのか、夜が更けるまで考えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます