6.ダレン・シャン

 6月は、大過なく過ぎていった代わりに、大きな進歩もなかった。7月に入っても、やっていることは大して変りがない。

 それでも、本を渡す時や選別した本を付き返される時など、玲奈と目が会う瞬間は、少しずつ増えてきたような気がした。相変わらず、瞳の色は深く、心の内は窺い知れない。伏し目がちで、気弱そうだった。とても人を傷付けるようには見えなかった。

 読み終わった本を受け取る時、ボクは、必ず本の感想を問いかけるようにしていた。

「面白かった?」

「どう思った?」

 自分で読んだことのある本なら、記憶を辿り、ボクの感想を話してみることもあった。

 彼女のリアクションは、首を振るだけというお定まりのものだったが、ボクは笑顔を絶やさず、語りかけを続けた。

 今のところ、彼女との接点は、本しかない。幸いなことに、彼女の本を読む速度は異様に速い。本の感想を問いかけるだけでも、一日二回は積極的な接触が図れた。

 何百冊も本を読んでいれば、彼女の心に響く本も、必ず見つかるはずだ。ボクは、そう信じていた。

 そしてそれは、外れていなかった。下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言う格言は、間違っていなかった。

 その本、ダレン・シャンは、児童向けのダークファンタジーで、残酷描写や差別的な表現もあるため、児童に読ませるには危険な本だと考える人もいる。主人公ダレン・シャンの行動も、なるほど問題がある。他人が飼っている蜘蛛を盗み出したり、友人が意識不明になった時に、原因が自分にあることを言い出せなかったりと、お世辞にも誉められない点は少なくない。だが、だからこそ子供が共感を持つのかも知れない。

 子供は、大人からすれば、自己中心的で、身勝手なものだ。その点からすれば、ダレン・シャンは、非常に子供目線で書かれているとも言えた。

 玲奈が、その点に引かれたのかどうかは分からない。

 はっきりしていることは、一度読み終えたはずの本を、彼女が読み返しているところを、ボクが、初めて見たということだ。他の先生や明から聞いている話でも、彼女は再読はしないということだったから、それこそ本当に初めての事だったのかもしれない。

 声をかけてみるべきか迷った。彼女は、初めてお気に入りの本に出会ったのかも知れない。じゃまをせず、好きなようにさせる方が良いのかも知れない。

 しかし、情緒面の発達を促し、心を開かせるためには、本に没入するだけでは駄目なのだ。人とふれあう必要があるはずだった。どだい、今までが完全無視だったのだから、また声をかけて無視されたとしても、事態が後退する訳ではなかった。

 ボクは、あたって砕けるつもりで、彼女の机に近づいた。片膝をついて、視点を下げ、机の上に右手の先をちょっとだけかけた。

「その本、続きがあるんだよ。続きを読みたい?」

 彼女が読んでいたダレン・シャンは、副題に「奇怪なサーカス」と付けられたシリーズ物の第1巻だった。

 彼女の視線が、ゆっくりと動き、ボクらは見つめ合うことになった。彼女の瞳は躊躇いに揺れ、ボクは、彼女の反応をただただ待った。

 そしてボクが、諦めかけた頃、彼女はほんの微かに肯いた。押えるつもりも無かったが、自然と笑みがこぼれた。

「よし。じゃあ、明日続きを借りてくるよ」

 既に、視線を本に戻した玲奈が、再び小さく肯いた。細いあごの線が、緊張のためか、わずかに震えているように見えた。

 ボクは、明の後に回りながら、玲奈に見えないように小さくガッツポーズを決めた。


 翌日、ダレン・シャンの第2巻「若きバンパイア」を手渡す時、彼女は何の反応も見せなかった。まだ抵抗が強いのだろう。

 だが、読み終えた時、「面白かった?」、「3巻を借りてこようか?」と問いかけると、視線を向けてはくれなかったものの、昨日よりはしっかりと肯いた。

 反応を示すことには、まだまだ内心の葛藤があるように見える。それでも、続きを読みたいという彼女の欲求が、彼女の心の壁に小さな穴を穿ってくれた。それは、まだ蟻の穴程度の小さな小さな穴だった。それでも、千丈の堤も蟻の一穴から崩れるという。ここから、少しずつ突き崩して行くつもりだった。

 そして、その目論見は、少しずつ成功を収めた。

 この時から、本に関すること以外でも、ボクの問いかけに、徐々に反応を見せてくれるようになったのだ。わずかに、首を振る方向が、縦なのか横なのかという違いだけではあったが……


 更なる反応を引き出すため、ボクは策を講じた。首を振る以外の反応を引き出すため、玲奈に、好きな本の感想を書くという課題を与えたのだ。

 もともと、彼女は、口を開かないだけで、算数の計算や国語の書き取りは出来ていた。だから書くという方法なら、抵抗が少ないだろうと思ったのだ。

 結果、かなりたどたどしいものの、彼女はダレン・シャン第1巻「奇怪なサーカス」の感想を書いてくれた。

 それは、文章とは言い難く、一文一文が独立した箇条書きのようなものだった。それでも、首の振る方向だけでは表しきれない、彼女の複雑な内心の発露だった。

 この本は、本の紹介やレビューでは、友人を助けるため、主人公ダレン・シャンがハーフバンパイアとなる選択をするところに心を打たれる人が多いようだ。

 だが、玲奈の場合は、ダレン・シャンが、家族との別れを、苦しみながら、自ら選んだところに惹かれたらしい。母親が失踪したことか、あるいは父親との関係で、何か思うところがあるのかも知れない。

 実を言うと、ボクは、彼女の感想を見ることに不安も感じていた。ダレン・シャンは、グロテスクな表現も多い。もしそんな世界に惹かれているなら、父親を刺したり、三船先生を突き落としたことに関して、彼女に病的な面がある可能性も、疑わなければならないと思っていたからだ。

 だが、ボクの心配は、感想文を見る限りは杞憂だった。彼女は、グロテスクな表現世界に対しては、普通に不安や恐怖を感じていたようだった。


 自閉症治療に読書療法という方法が採られることもある。ボクが玲奈に行っていたアプローチは、それに近いものだった。

 本の感想を書いてもらい、それを見て語りかける。

 7月も中旬に入る頃には、ボクの問いかけに、首を振るだけでなく、筆談で答えてくれるまでになっていた。もっとも、それはまだたどたどしく、話題も本に関するものに限られていた。

 それに、「おはよう」とかけた声にも肯くようになっていたし、「さよなら」には手を振ってくれるようにさえなっていた。

 そんな時、残念ながら、彼女は、まだ笑顔を見せることは無かった。その代り、彼女は、何だか困ったような顔を見せていた。笑いたいのか、笑うべきなのか、そして、どうやったら笑えるのか、戸惑っている顔だった。

 まだつるっとした眉根に、わずかに皺を寄せている顔を見ていると、思わず「こうやって笑うんだよ」と、手で頬をこねくり回したくなったが、実際に手は出さない。

 まだ辛うじてコミュニケーションが取れるというだけで、スキンシップができるような十分な信頼関係には程遠かったからだ。


 この頃になると、ボクは、当初に記録を見て睨んだとおり、玲奈は自閉症ではないと考えていた。

 言葉を発することは無かったが、学習能力には問題がなかったし、筆談でのコミュニケーションはたどたどしいものの、正常な心的反応を示しているように見えた。それに、与えた本に関しては、ほとんど乱読と言っていい状態で、一般的な自閉症児のように、興味が偏っている様子もみられなかった。

 大きな不安を抱えている様子は、やはり人格障害を疑わせた。彼女は、トラウマやストレスと言った心的原因から、あらゆる場面において言葉を発することが出来ない全緘黙か、さもなければ、特定の人となら話せる場面緘黙症だろうと思われたのだ。

 その考えは、夏休み前の2週間で、確信に変っていった。しかし、真実は、そんな生ぬるいものではなかった。

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