5.斎良園
6月の終りに、ボクは玲奈が暮らす児童養護施設を訪れた。
そこで何を聞いたとしても、学校での取り組みを変えるつもりは無かったが、彼女の置かれた背景や学校外での生活状況を理解しておきたかった。
それに、彼女の医学的診断についても聞いておきたかった。
誤解されていることが多いが、自閉症は、先天性の脳機能障害の一種で、知的障害を伴っていることが多い。
しかし、玲奈に関しては、三船先生も野々村先生も、知能は申し分ないと言っていたし、ボクがやらせたペーパーテストでも、ほとんどの科目で非常に高い得点だった。恐ろしい程の速さで読む本も、内容を認識していることは確認済みだ。
その点を考えると、玲奈は、一般的なカナータイプと呼ばれる自閉症では決して無いはずだった。少なくとも、アスペルガー障害と呼ばれるべき症例のはずだったし、むしろボクは、先天的な障害ではなく、家庭環境などが影響した人格障害ではないかと疑っていた。
だから、彼女が施設に来るようになったいきさつが気になっていたのだ。
実は、ボクが児童養護施設を訪れるのは。初めての機会だった。
斎良園は、仏教系の法人が運営する児童養護施設で、市内で最も大きなお寺の敷地内に設置されていた。場所は、小学校から坂を上った先にある山門を左に折れ、200メートルほど行った先のつきあたりにあった。
なるほど仏教系と思わせる木造平屋の建物が、竹林の中に、まるで檻に囲われるようにして建っている。落ちかけた夕日の中、子供達の歓声が響いていた。昔見た、くすんだ色のアニメ映画を思い出した。
ボクは、少し怖い場所に足を踏み入れたような気がした。
表向きは、児童のプライバシーを尊重してのことなのだろうが、児童養護施設の内情が分かる情報は少ない。それだけに、長期に渡って施設内での虐待が行なわれていた恩寵園事件のイメージが強かったのかもしれない。
ボクの来訪は、電話で伝えてあったので、職員室に向かうと、直ぐに園長室に通された。校長室に入る時のような気がして、掌に汗が滲んだ。
細田園長は、恰幅の良い腹回りに、血色の良い顔をしていた。だが、声色は、そこから想像した陽気なものとは違い、不機嫌を絵に描いたようなものだった。「おかけ下さい」と言った声は、平板で、冷たい感じがした。少なくとも、歓迎はされていない。後から考えると、ボクを警戒していたのかも知れなかった。
彼の横には、スーツ姿の児童福祉司が座った。田久保と名乗った彼は、30に届くかどうかという年齢に見える。ボクを歓迎してくれていないという点では、細田園長と同じだった。
「貴重なお時間を頂き、ありがとうございます」
ボクは、改まって挨拶すると、二人の顔を見上げた。
ボクは、玲奈のここでの暮らしぶりや、家庭状況も聞きたいと考えていた。だが、ボクが、招かれざる客であることは間違いなさそうだった。順を追って話すよりも、要点を先に聞いておかないと、聞きたい事を聞く間もなく、追い出されそうに思えた。
一通りの挨拶を済ますと、ボクは、さっそく本題を切り出した。
「突然で申し訳ないのですが、赤羽さんの家庭環境と、ここに来た経緯を教えて頂けないでしょうか」
「あまり外部の方にお話すべき事ではないのですが」と断りながら、田久保さんは、園長の表情を横目で伺いながら話し始めた。
それによると、母親が失踪したため、彼女は、小学校入学前から、継父の赤羽雄一氏と二人暮らしで、児童相談所のケースワーカーは、障害を把握したこともあって、その頃から児童養護施設への入所を勧めていたという。3月に赤羽氏の傷害未遂事件が発生し、表向きは養育が不可能になったとして、施設への入所をさせたとのことだった。
「ただし、玲奈さん本人が傷害未遂事件に関与している可能性もありますから、当方でも慎重に対処させてもらってます」
田久保さんは、なおも何か話を続けようとしていたが、細田園長に制止された。
ボクは、まるで玲奈が犯人であるかのような物言いに、反感を持った。
その後は、彼女の施設での暮らしぶりについても聞いてみた。彼女が子供しかいない環境では、以外に落ち着いているという話は興味深かったが、職員が彼女に関わらないようにしている言い訳のようにも聞えた。
「玲奈さんは、他の入園者とコミュニケーションは取りませんが、周囲の状況は把握して、共同生活は送れていますよ。入園当初に、ちょっとした衝突はあった見たいですけどね」
「衝突と言いますと、何があったんでしょうか?」
ボクは、気になって聞いてみた。
「ケンカですよ。子供のケンカ。学校からの帰り道で、ケンカをしたんです」
「玲奈が、いじめにあったんじゃないんですか」
「とんでもない。怪我をしたのは相手の子の方です。言語でコミュニケーションできない分、手が出たんじゃないですかね」
玲奈がいじめにあっている訳ではなさそうだったので、ボクは話題を変えて、玲奈の診断結果について話した。
自閉症ではなく、行動障害ではないかと疑問をぶつけたのだ。
田久保さんは、これにはあまり興味を持っていない様子だった。だが、細田園長は、そのつもりで見てみるとは言ってくれた。
率直に言って、この訪問は、あまり実り多いものとは言えなかった。職員が、熱心でないことも気になった。
それでも、彼女の学校外での環境が、多少なりとも把握はできた。ボクは、明日からまた頑張ろうと、呑気に考えていた。
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