第12話 闇夜に紛れて

 店を出ると、空はもうすっかり暗くなっていた。

 夕食はジェロマッカにある王都軍基地の食堂で食べる予定なのだが、この様子だと約束の時間を大きく過ぎてしまっているに違いなかった。


 ――遅いと言われたら今の店に戻って飯を食わせてもらおう。


 チコはぼんやりそう考えながら、やや小走りに食堂へと向かう。チコが王都軍基地でわざわざ食事を摂るのは、明日のエミリオ隊の旅程を確認するためだった。


 エミリオ率いる中隊の隊員達が集う食堂には、もう既にほとんどの兵士が集まって食事を始めていた。

「遅いぞ、隊員だったら減給だ」

 点呼の係をする強面の兵士が、怖い顔でチコを睨んだ。チコはすいませんと言いながらも、無愛想にその目を睨み返した。


「やあやあ、ジェロマッカの街を楽しんだかい?」

 そう朗らかに声をかけてきたのは、エミリオ隊長だった。いつも場違いな明るさを持つエミリオを前に、点呼係の兵士は軽く頭を下げるとどこかへ行ってしまった。

「すいません、たまたま入った飲み屋に時間を取られまして」

 アンリがこの街に来ていることが知られている件について、チコはエミリオに言おうとしなかった。今思えば、兵士がばらしたという言葉自体が嘘、鎌をかけられただけの気もしているのだ。なにしろ、チコが店に入るより前に兵士が飲み屋に行くなど、忙しい兵士たちには考えられない事なのだ。

「この街を楽しめたなら何よりだ」

 エミリオは相変わらず朗らかに笑っていて、何だかチコは後ろめたく思うのだった。


「やぁヘルガ、キミも到着したか」

 チコの後ろにエミリオが視線を送ったかと思うと、皮の防具を身につけたままのヘルガが立っていた。

「あれ、ベルさんはいないんですか?食堂で会おうって約束してたんですけど」

 ヘルガが周囲を見渡しながらそう尋ねる。チコのことを気に留めていないのか、敢えて無視しているのかは分からなかった。

「彼女は少しお取り込み中でね。すまないが早めに食事を済ませてくれ、明日は早くに出発するからね」

 それからエミリオは二人に明日の出発時刻と集合場所を伝えると、食堂の隅にある誰も座っていない小さなテーブルを指さした。

「悪いが席が混みあっていてね、あそこの席で食事をとってくれないか」

 その言葉にチコは思わず苦い表情をしてしまったが、それはヘルガも同じだった。


 テーブルに着くや否やウェイターが料理を運んできた。

 オーレンでは見覚えのない料理だった。二つに割られた丸いパンに黒々とした肉とスライスされた根菜の漬物が挟まっており、不思議な匂いのするソースがかけられている。周囲の兵士に尋ねたところ、どうやら貿易によって集められた品で出来たバーガーという物らしい。

 北方から運ばれた白毛鹿タク・ディパカの肉と、王都付近で栽培している根菜類、北西の小麦と大麦で作られたバンズ。それは交易の街であるジェロマッカでしか味わえない逸品だった。

 食べ方がよく分からなかったチコは、周囲の兵士を真似て豪快にかぶりついた。

 口に入った瞬間、温かい肉の旨みが口の中に広がった。鼻を抜けるバンズの芳醇な香り、それを追って根菜類の酸味と香辛料の辛味が味蕾を刺激する。今までに食べたことない複雑な味に、チコは思わず身を震わせた。


白毛鹿タク・ディパカ、昔狩りをしたことがあるわ」

 ふいに、ヘルガが口を開いた。

「へぇ、北に住んでいたのか?」

 チコは夢中でバーガーに喰らい付きながら、もごもごと言葉を発した。チコの酒臭い吐息と無作法な食事姿にヘルガは露骨に顔を顰めたが、何か文句をつけてくる様子はなかった。

「昔、旅をしていたことがあったの。南西からずっと北上して、北の雪原を渡ってオーレンまで歩いたわ」

「北は雪が酷いんじゃないか? なんでそんな所を」

「ドラゴンのいるエリアを迂回してオーレン地方に向かっていたのよ。確かに過酷だったけど、ドラゴンがいないぶん命が危険にさらされることは少なかったわ」

「となると、君は移民か。南西ならエルドーの部族か?」

「まあ移民みたいなものね。でもエルドーの部族じゃないわ」

「みたいってなんだよ」

「何でもいいでしょ」

 ヘルガは興味が無さそうな冷たい表情をしていた。

「貴方のことも教えてよ。私ばっかり、フェアじゃないわ」

 ヘルガは大人そうに振舞っていた。こんな美味しい物を前になぜ冷静でいられるのかチコは不思議でならなかったが、きっと嫌いな男の前だから余裕ぶっているのだろうとチコは解釈することにした。彼女の落ち着き切れていない態度からするに、どうせそうに違いなかった。

「教えるって言ったって、何を言えばいいんだ。オーレンの大親方の息子だから、みんな俺のことは知ってるもんだろ」

「何よそれ、傲慢ね」

「事実だ。オーレンの地区に住んでいたなら知ってない方が変だぞ」

 あまり喜ばしくない理由ではあるが、知られていることは事実だった。

「私は狩り一辺倒だからさっぱりだわ。そうね……、あなたは狩りをしたことはある?」

「狩りはしたことがない。生まれてからほとんど工房にいた」

「よくそれでサーペントに挑んだわね」

「凄いだろ。勇気だけは英雄ものだ」

 チコは適当に相槌を打ちながら、バーガーの最後の一切れを口に押し込んだ。

「貴方ってただふざけてる人なのか、性格が悪いだけなのかよく分かんないわ」

「酔ってるからふざけてる。普段は性格最悪の武具職人、というかただの鍛冶オタクだよ」

 チコは追加で頼んだビールをまた喉に流し込んだ。この食堂のビールはすこぶる不味かったので、あの名前の無い店のビールが恋しくなった。

「その鍛冶オタクさんは何年鍛冶をやっているの? 職人を名乗るには早いんじゃない?」

「八歳から工房で働き始めて、十歳から鉄を叩いてる。自分の工房を開いたのは十五の頃。それからもう九年も経つんだからベテランを名乗ってもいいだろ?」

 意外だったのか、ヘルガは少し感心したように頷いた。

「クラムのナイフはいつ作ったの? あんまりあんたに言いたくないけど、彼がいっつもナイフのことを褒めてたから気になって」

「あれはたしか工房を開いて二年目の頃だ。職人が居なくなった村の端の工房を、取引先や従業員をそのままに引き継いで始めた工房だ。すぐに作業に入れたし、もともと手伝いで散々やってたから、二年目にしてはまあ悪くない出来だったな。持ち手や鞘に拘り始めたのが二十歳くらいからだから、刀身以外は正直イマイチだけど」

「そう、クラムが持ち手を何度も補強していたのはそのせいね。すぐにへたれて鬱陶しかったのを覚えているわ」

 チコは自分の作品に文句をつけられたことに苛立ちを覚えたが、ビールを流し込むことで感情を誤魔化した。

「でも、同年代の人が作っているし、他にはない繊細な作りとバランス感で使いやすいって言って手放さなかった」

 ヘルガが付け加えたその言葉は、チコの気分を途端に良くさせた。嬉しく思ったチコは柄にもなくにっこりと笑ってしまい、ヘルガは奇妙な物を見る目付きでその顔を見つめた。

「同年代か。その、クラムって人は何歳だ?」

「二十五よ」

「俺が二十四歳だから、ほとんど同じだな」

「ええ、あなたと違って紳士的でとっても素敵な人だった」

「そうかい、惜しい人を亡くしたな」

 チコは嫌味を込めてそう言った。しかし、途端に顔を曇らせたヘルガを見て、チコは自分がやらかしてしまったことに気が付いた。人の死を茶化すような発言は、性格の悪いチコにとっても当然ご法度だった。

「悪かった。今のは無いな。彼の生前のことは知らないがとても残念に思ってる。この国は本当に惜しい人を亡くした。そんな彼が俺のナイフを気に入ってくれたと知ってとても光栄だよ」

 チコは急いで弁明の言葉を並べた。あまり慌てたので嘘くさくなってしまったが、思っていることは本当の事だった。

「咄嗟に誤れるなんて、まだそこまで性根が腐ったわけでは無いのね」

 幸いなことにヘルガはあまり気にしていない様子で、意地が悪そうにニヤリと笑っていた。


 それから二人は、意外なことに随分と長い時間談笑に耽った。チコは自慢の鍛冶の話を嫌という程したし、ヘルガは自分の狩猟体験やクラムの話をたんまりと話した。

 チコは今まで同年代の話し相手が(パウロを除いて)居なかったので、こうやって歳の近い人と話をすることが新鮮だった。ヘルガは狩猟団の人とばかり話をしてきたので、鍛冶場で育った人の話はとても興味深かった。互いにちょくちょく嫌味を言い合うものだから、傍から見れば喧嘩をしているようにも思えただろうが、それはそれでチコたちにとっては有意義な時間だったのだ。

 一息ついた頃には、食堂から殆どの兵士が姿を消していた。そろそろ帰ろうかと二人は腰を上げ、周囲をぐるりと見回した。

「結局ベルさん来なかったけど、どうしたのかな」

「あの編書士の人か? あの人も歳が近いよな」

「ベルさんは二十六よ。私は十九だから近くないわ」

 チコは少し驚いて目を丸くした。ヘルガは野性的な見た目をしており、てっきり自分と同じくらいの歳だと勘違いしていた。ベルと呼ばれる人とは話したことが無いが、てっきり歳下とばかり思っていたので二つ上であることが意外だったのだ。

「何よその顔」

 ヘルガはチコを睨んだ。

「何でもない。宿は近いのか?」

 チコは話を逸らして誤魔化した。

「私はここよ、部屋を一室貸してもらった。あなたは違うの?」

「隣の宿屋を抑えてある。軍のベッドってなんかこう、質素すぎて寝にく……肌に合わないと思ってね」

 チコは一生懸命失礼のない言い方を試みたが、ヘルガと近くにいた兵士が顔を顰めたのを見て、そそくさと食堂の出口へと向かった。

 入り口の番をしている兵士に扉を開けるよう頼むと、最後に挨拶でもと振り返る。すると、ヘルガが怪訝そうな表情をしながら窓の外をじっと見つめていることに気がついた。


「⋯⋯なんか、焦げ臭い。」


 ヘルガのその発言が終わらないうちに、チコの嗅覚もその異変を感じ取っていた。開けた扉からぬるく乾いた外気に混ざって、煙の臭いが侵入する。

 チコは酒の回った頭を外にのぞかせて辺りを見回した。

 臭いの元は、酔った頭でもすぐに見つけることが出来た。街の遠くが夜とは思えぬほどの明るさを放っている。たちのぼる煙と揺らめく炎――。


「何だ? 家が燃えてるのか?」


 その直後だった。

「山賊だ! 民家が焼かれている!」

 突然の大声とともに、目の前の通りをランタンを持ったジェロマッカの兵士が走ってきた。

「エミリオ隊はここか! 助けてくれ、山賊が……!」

 青ざめたその兵士は、チコを見つけるなり息を切らしてそう言った。


 チコは咄嗟に状況を理解することが出来なかった。

「山賊が家を燃やしているのか……?! 一体なんで――」

「理由なんて知らん! とりあえず増援が必要だ!」

「お、俺は兵士じゃない。なぁ門番さん……」

 扉を開けてくれた兵士に助けを乞おうとしたが、すでにその兵士はその場にいなかった。チコが焦って振り返ると、既に続々と兵士たちが集合している最中だった。チコが困惑して立ち止まっている間に、エミリオ隊はもう動き出していたようだ。


「状況は私が伝える。キミは住民の避難を助けに回れ」

 続いて現れたのは、位の高そうな兵士だった。身につけた防具の紋様から察するに、エミリオよりもずっと位の高い兵士のようだった。

 山賊の襲撃を知らせに来た兵士は、素早く敬礼をすると火元の方へと戻っていく。位の高い兵士はチコをチラリと一瞥すると、チコの背後に整列を始めた兵士の方へと歩いていった。チコは自分が悪目立ちしていることに気がつき、兵士たちの集団の後ろへ急いで向かった。

 兵士たちがおおよそ集まるのに、たったの五分もかからなかった。位の高そうな兵士はエミリオ隊の整列が終わらぬうちに、後ろ手に腕を組みながら大きな声で話を始めた。

「ジェロマッカを統括している、サルコリだ。先程、複数の民家から同時に火の手が上がり、消火に駆けつけた兵士が山賊の存在を確認した。火災発見が十五分前、山賊の確認もほぼ同時刻だ。山賊の人数は現時点で十数人を確認しているが、火災の発生範囲から五十近くは居ると推定している。目的は一切不明。ただし既に複数の兵士が山賊の攻撃により負傷した。山賊の対応と住民の避難誘導は既に我がジェロマッカの兵士たちが当たっているが、諸君らには消火用水の運搬と怪我人救護の増援、及びジェロマッカ外縁の警備補強をお願いしたい。無論、前線に出たいものが居れば歓迎する。おい、エミリオはどこにいる?」

 早口だが芯の通った声で、サルコリと名乗った兵士は喋った。

「エミリオ隊長は既に現場に向かっています。隊の指揮は私、ブロルに一任されております」

 エミリオよりも一回りほど歳をとった、体格の良い兵士が落ち着いた声で言った。

「どういうことだ。指揮官が先に前線に行くなど馬鹿らしい……!」

 サルコリは訝しげに眉をひそめた。集まった兵士たちからは、僅かに動揺の声があがった。火災が知らされてほんの数分だが、いつの間にそんな指示があったのだろうか、皆が不思議がっている様子だった。

「まあ良い。それではブロル、指揮を頼む。私は街の兵の指揮に戻る。何かあれば本部まで来い」

 そう言うと、サルコリは颯爽と火の方へ戻って行った。間髪入れずにブロルによる指揮命令が始まり、その場は再び慌ただしくなった。


 チコはその時やっと我に返った。

 兵士に紛れてただ立っている訳にはいかない、早く助太刀にでも行かなければ。


 チコは酔った頭を振り回して、ヘルガを探した。だが、その場にはもうヘルガは居ないようだった。

 防具を身につけていたヘルガは、山賊の元へ向かったに違いない。

 チコは昼間に買ったナイフを手に握ると、騒然とした夜の街へと駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

龍の巣喰う惑星 悠之介 @Mitchan21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ