第6話 龍の遣い魔

 サーペントが通った道は、地面に体を引きずった跡が残る。ヘルガの走る道の状況から、サーペントはアンリのいる牢屋へは行っていないようだった。


「アンリ! アンリはどこだ!」

 地下聖堂のさらに深く、地下牢のある部屋に入るなり、ヘルガは大声で叫んだ。

 その部屋には既に兵士が何人か集まっていた。部屋は鉄格子で仕切られており、その一つに兵士が群がっている。その他の檻は、すべて空っぽのようだ。


「答えろ! お前の仕業か!」

 とある兵士が、牢の中のアンリに詰め寄っていた。

「分からない! ほんとに分からないんだ!」

 憔悴仕切ったアンリから、か細い叫び声が発せられる。

「僕は知らない! 知らないから⋯⋯!」

 おびえた様子のアンリは、岩肌を削って出来た地べたに座り込んでいる。その光景は、まるで弱い者いじめにしか見えなかった。


 ヘルガは兵士たちの剣幕に圧倒され、部屋の入口に立ちすくんだ。

 すると、兵士の一人がヘルガに気がついたようだ。大柄で筋骨隆々としたその兵士は、ヘルガの方へ歩み寄ってきた。


「お前⋯⋯、ヘルガというやつか?」

 低く掠れた声で、強面の兵士はヘルガの顔を覗き込む。その眼差しは、酷く冷たいものだった。

「は、はい⋯⋯」

 ヘルガは途端に縮こまると、その兵士から目を逸らして返事をした。

 その兵士の表情はどこか、オーレンにいる全ての人々を代表しているように思えた。言葉には出さないものの、その兵士の冷たい目は語っていたのだ。ヘルガが救った命のせいで、オーレンが襲われているのだと。


「ご覧の有様だ⋯⋯」

 強面の兵士は呟くように言った。そしてその言葉に、ヘルガの抑えていた感情は限界に達してしまった。ヘルガの目から、堰が切れたように涙が溢れ出る。

 ヘルガは涙の溢れ出る顔を両手で覆うと、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 自分のせいだ。自分の浅はかな行動のせいで、この村は今、大量の命を落としている⋯⋯。


「エドガール! 何をやってる!」


 アンリに詰め寄っている兵士の一人が、ヘルガの様子に気が付いたようだ。急いで駆け寄ると、エドガールと呼ばれた強面の兵士を押しのける。


「彼女は悪くないだろう、やめろ!」

 若いその兵士が熱の入った声で怒鳴ると、エドガールは口篭りながら部屋を後にした。


「うちの部下がすまない、エドガールは少々気が荒くてな。立てるか?」

エドガールと呼ばれた兵士とは真逆の、優しい声だった。

「私は王都の兵士、エミリオだ。君を責める人間はもうここにはいないから安心してくれ。君は悪くない」


 エミリオと名乗った男は、優しい声で語りかけながらヘルガに手を差し伸べた。

 青い瞳と茶色の髪を持つその兵士は、背丈はそこまではないものの、端正な顔立ちをしている。そして、他の兵士とは違う、豪勢な防具で身を包んでいた。

「私もアンリを生かすほうに賛成だった。今はこの状況だが、彼のあの反応を見るに彼がサーペントを呼び寄せたとは断定出来ない。それにこれは龍の使い魔とやらを深く知るチャンスでもあるんだ。君がくれたチャンスだ」


 エミリオは、ヘルガを優しく宥めるようにしながら立たせると、他の兵士たちやアンリの元へと連れていった。

 その場にいた兵士たちは表情は硬いものの、ヘルガを責めるような態度をとるものはいなかった。

 オーレンがサーペントに襲われている中、泣いている場合では無いというのに、ヘルガの涙は止まらなかった。

 クラムや大勢の仲間を亡くした悲しみでいっぱいいっぱいなのに、これ以上の困難、苦しみは御免だった。周囲の兵士は、その様子を見て心を痛めているようだった。大丈夫だと声をかける者もいれば、黙って見つめる者もいた。


「……すまない」


 ふと、アンリが小さな声でそうつぶやいた。

 その場の全員が、一斉にアンリの方を向く。


「僕のせいで悲しんでいるのなら、ごめんなさい⋯⋯」


 弱々しく、儚い声だった。


 その反応は意外だった。王都の兵士達は皆、驚いた表情でアンリを見つめた。

 ヘルガも、涙を啜りながらアンリに目をくべる。


 アンリは一度ヘルガの顔を見た。しかし、すぐに申し訳なさそうに顔を逸らす。そして、何とも悲しそうな表情で俯くと、再び申し訳ないと弱々しく呟いたのだった。


 力なく幽閉される少年は俯きがちに謝罪をし、罪のない少女は自責の念に苛まれ泣き崩れている。

 そんな二人に挟まれた兵士エミリオも、堰が切れたように感情を吐き出した。


「あー! なんでこんなことになった! これからどうする! なにか可能性があってこいつを生かしたんだ。まさか被害だけを残して王都まで連れていく訳には行かないだろ!」


 突然、場違いな大声でそう言うと、頭を掻きむしって牢の中をうろつき始めた。


「王都の兵士がドラゴンと戦えるわけないだろ! 普段は泥棒と追いかけっこくらいしかしてないんだぞ! サーペントなんて初めて見るわけだし! よりによって、酒を飲んだ後だ!」

「隊長、落ち着いてください!」

 エミリオの部下らしき、優しい顔をした兵士がエミリオを宥める。事情に事情が重なり、てんやわんやの状況のようだ。

「どうする! 明日は大親方の護送だというのに、どうしてこんなにもことが上手く運ばないんだ! 俺の出世を拒むのか! まだ若いから天罰なのか!」

「それは知らないです! 上手くいかないのはどうしようも無いことです!」

「大体罪の無い若い人が二人も悲しむなんて! 俺はなんて罪な男なんだ!」

「隊長は関係ないです! とりあえず黙ってください!」

 エミリオとその優しい顔をした部下は、抱えきれない状況に頭がパンクしていた。



「もし僕が――」


 また、アンリが口を開いた。

 エミリオ、ヘルガ、そして兵士全員が、アンリのほうを見る。


「もし僕があなたたちの言う使い魔という存在なら、ドラゴンを操れるのですか⋯⋯?」

 弱々しく、そうエミリオに問いかける。


 アンリ本人から発せられた使い魔という言葉、その問いかけに、エミリオは一瞬にして真剣な面持ちになる。


「――どうした」

 先ほどとは打って変わった真剣な声色で、エミリオはアンリに問いかけた。

 アンリは、弱々しい体を持ち上げながら、不安そうに言った。


「出来るか分からないけど、もし出来るのだとしたら、僕は龍を操る。僕は、ここの人達を救いたい」


 アンリは今度は真っ直ぐヘルガを見つめた。


「彼女や貴方たちに救って貰った命だ。何が出来るかわからないけど、ドラゴンに食べられてでもいいからとにかく動きたいんだ」


 その様子は、とてもと呼べる物では無かった。

 少しだけ勇気を出した、ただのか弱い人間そのものだった。

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