第5話 弔いと祝福と、

 祝宴が行われるホールは、ここオーレンの中で最も大きな部屋だった。

 人の手で掘られたその大穴には無数のランプが壁に埋め込まれ、あたりはランプオイルの匂いで充満している。壁や天井を支える柱には様々な装飾が施され、部屋の正面には鉄と金で作られた、大きな玉座が設けられていた。この地の産物を代表する鉄製品がふんだんに使われているのが、このホールの特徴だった。


「大親方の護送の前日というのに、大変な騒ぎですね。我々があと一日早くここに到着していればと思うと、大変悔しい限りです」

 チコがホールへ入ると、王都からきた兵士がオーレンの役人にそう声をかけているのが聞こえた。


 大親方はいま、ドラゴン討伐の件とアンリの処遇について対応に追われている。明日には王都ビットリアに向けて出発する予定だったが、おそらく数日ほど延期することになるだろう。もちろん、護衛のために王都から来た兵士たちも、出発の準備が整うまでオーレンに留まることになるはずだ。王都の兵士とグストラフ狩猟団、普段見慣れない人々がひしめく様は、チコに不思議な高揚感を与えた。産まれてこの方オーレンの煤くさい工房しか知らないチコにとって、外の世界が垣間見える珍しい出来事だったのだ。


「狩猟団には、小型だと伝えられていたらしいぞ。落ち度は狩猟ギルドにあるとはいえ、かなりの大問題だ」

 オーレンの役人は険しい顔をしていた。狩猟団が常駐するキースの集落はオーレンの管理下にある。ギルドの不手際に対して、ギルドと関係の深い王都の兵士に腹を立ててみせるのはごく自然の事だった。

「きっとギルドの中では犯人探し中でしょう。裁判にかかったら追放は免れませんから」

 王都の兵士は盛大な宴の気分を害さないよう、それとなく王都の兵士には関係の無いことだと主張した。

「聞きましたか? 早馬で狩猟団に伝えに行った男がまだオーレンに戻っていないって。私はそいつがクロだと思いますよ。正直に言えば受けてくれる依頼じゃない、早く仕事を終えたいがために嘘をついたんです」

「定かじゃない噂話をアテにするのか。夜道の移動で遭難した可能性もあるだろう?」

「遭難する可能性を主張するなら、等しく裏切った可能性も主張できるとは思いませんか。何にせよ、真相解明には時間がかかりそうですね――」


 チコは静かな口論を続ける役人達から離れると、役人達の席とは真逆に位置する薄暗い隅っこの席へと腰をかけた。

 ホールはすでに多くの人々でひしめいていた。テーブルにはすでに宴用の料理が並べられており、後は参加者が揃うのを待つだけのようだ。

 チコはどうせもうすぐ宴は始まるだろうからと、目の前に用意されている料理をこっそり手に取った。普段食べることのない、かなり豪勢な料理だった。パウロは普段からこんなものを食べているのかと思うと苛立ちの感情が湧き上がったが、手にしたソーセージを一口頬張るとそんなものはどこかへすっ飛んでいってしまった。


「卑しいなぁチコ。育ちが見えますぞ」

 突如聞こえた嫌味な声に顔を上げると、チコの工房の従業員達がいた。

「なんでお前らがここにいる」

 チコはソーセージを頬張ったまま、チコの周りに勝手に腰をかける従業員達をぐるりと睨んだ。オーレンに住む者で宴に参加出来るのは、オーレンの役人と一部の兵士、聖職者、それと有力な鍛冶師や医師など選ばれた人間だけのはずだった。

「パウロ様に呼ばれたんだ。チコの部下なら良いとのことで」

「お、海老のグリルがあるぞ。チコもたまには役に立つんだな。こりゃ今までのボーナスの中でも飛び抜けて嬉しい褒美だ」

「素晴らしい上司を持って我々は幸せだなあ。なぁ、ワインを取ってくれないか。喉が乾いているんだ」

「おい、酒は流石に宴が始まってからだろう? チコ様に倣ってつまみ食いは飯だけにしておくべきだ」

 普段は文句ばかり垂れて思うように働かない従業員たちだったが、チコを冷やかす態度だけは一人前だった。

「どうせパウロに直談判したんだろ。普段ろくに働きもしないくせき、こんな時だけ部下面しやがって」

 その言葉に従業員たちは少しも悪びれる様子はなく、へへっと笑っただけだった。


 宴はその後すぐに始まった。

 大親方による演説は、まずドラゴンを倒した英雄クラムを称えるところから始まった。続いて生き残った狩猟団の功績を讃え、戦死者へ弔いの言葉を述べ、それからやっと杯を交わした。皆、始めは厳かに礼儀正しくしていたが、ほんの少し宴が進むと礼儀などは何処へやら、歌って踊ってのどんちゃん騒ぎが始まった。

 チコは宴の料理を腹いっぱいまで押し込んだ。エビのグリルがとびきり美味しかったので、チコは従業員に他のテーブルから盗ってくるよう指示を出した。ホールからかき集めたエビをツマミに、酒をガンガンと流し込む。

「いい飲みっぷりだ。その若さでその飲みっぷりなら、将来は大親方だな!!」

 チコを冷やかす声が誰のものか分からなかったが、チコが腹を立てることはなかった。


 トイレに席を立ち、用を足した後の帰り道。チコは中央付近の席にヘルガと呼ばれた女性を見つけた。

 先程は酷く憔悴した様子の彼女だったが、今は少し元気を取り戻したようで、周りの人と笑顔で会話をしていた。


 ――どうか、これ以上人を殺さないでください。人が人を殺めるなどあってはなりません。


 ふと彼女の言葉が脳裏に蘇る。彼女の涙ながらの訴えは、印象的でどこか求心力のあるものだった。彼女の発言の後、すぐさま世論はアンリを生かす方向へと傾いた。大親方が一度した決断を覆すことなど滅多にないというのに、それを覆させた彼女は意外とやり手の政治家なのかも知れない。チコはぼんやりとそんなことを考えながら、ヘルガの顔を見つめ続けていた。

「どうした? 恋にでも落ちたか」

 そう耳打ちしてきたのは、両手に酒の入った盃を持ったトニオだった。

「馬鹿いうな。俺はすぐ泣くような奴が一番嫌いなんだ」

「おいおい嫌いとまで言うこた無いだろ。よく見ろよ、かなりイケてると思うぞ」

 そう言うと、トニオは盃を抱えたままヘルガのところへ向かっていった。ヘルガの肩を叩き、何やら声をかけている。周りが煩くて聞こえないが、どうせしょうもないジョークでも言って一緒に飲まないか誘ってるに違いなかった。

 しかし、言葉を幾つか交わすと、ヘルガは立ち上がって何処かへと言ってしまった。

「失敗してるじゃないか。情けない」

 顔を顰めて戻ってしたトニオに、チコは呆れ顔で言った。

「酒が得意じゃないから要らないとさ。疲れたから寝ると言って帰っちまった。彼女、あんなに楽しそうに飲んでたのに、俺、そんなに駄目な男だったか?」

「はなから帰りたくてしょうが無かったんだろ。彼女に帰るきっかけを作ってあげれたなら良いじゃないか。ただ振られるよりは好印象、駄目男にしちゃあ上出来だ」

 トニオはそれじゃ納得いかないと顔をしかめながら、去ってゆくヘルガを目で追った。

「彼女、師匠を亡くしてるんだぞ。そんなすぐ男に色目なんか使うわけないだろ」

 今は楽しそうにしている彼女も、きっと心の中では深い悲しみに苛まれているはずだった。

「彼女の師匠って、若かったんか?」

「知るか、少なくとも禿げ始めのお前よりは若いだろうな」

「おいチコ! 世の中には絶対に言っちゃあいけない事があるって知らないのか」

 トニオは手にした鉄製の盃でチコを小突くと、他の女性を探しにふらふらと去っていった。





 祝宴は夜遅くまで続いた。きっと朝まで飲む人もいるのだろう。

 酒があまり得意でないヘルガは早めに宴の席を離れると、宿のベッドにくるまりながらぼーっとしていた。

 オーレンの宿に泊まるのは三度目ほどだろうか。洞窟の中の宿は空気が悪く、あまり好きではなかった。ヘルガの住むキースの村は森の中にある小さな集落で、四方を防壁で囲んではいたが上空は木々の葉意外に遮るものは無い。透き通った空気に様々な植物の香りが漂う、常に葉の擦れる音や生き物の息遣いが聞こえる環境で暮らしてきたヘルガにとって、オーレンは酷く殺風景で息苦しい町だった。

 それでも、オーレンは安全度で言ったら折り紙付きだ。ドラゴンに襲われることはまず無いし、獣の侵入は洞窟の入口を固めれば容易く防げる。森の中に防壁を築くより、洞窟の中で暮らしてしまう方が安全なのは明白だ。

 前回オーレンに来た時は、狩猟した獲物を届けに来た時だった。その時はすぐにキースが恋しく、帰りたくなったヘルガだったが、今回はどうもそんな気になれなかった。大人になったからだろうか。クラムという唯一の友と家族を亡くした失望感によるものだろうか。


 クラムの死体は、結局のところ見つからなかった。しかし、何者かの左腕と思われる部位が、少し離れた所に落ちていたのが発見されたのだった。そしてその手首には、クラムの愛用するブレスレットが着けられていたという。

 恐らく、身体の他の部分はドラゴンか獣に持っていかれたのだろうと、ヘルガは王都の兵士に伝えられた。例えドラゴンを倒したあの瞬間にクラムが生きていたとしても、腕が一本無ければすぐに倒れてしまう。先ほどの大親方の演説では、ドラゴンを倒した英雄はもう死んだことになっていた――。


 帰る場所はあれど、迎える人は居なくなってしまった。ヘルガは毛布をきつく握りしめると、ベッドの中で小さく小さく丸くなる。宴では元気に振舞っていたヘルガだったが、悲しみは少しも癒えてなどいない。そして悲しみの他に、新たな心配事もヘルガのことを苦しめていた。


 ――アンリは……、彼は一体何物なの⋯⋯?


 勢いで助けたはいいものの、果たしてそれが正解だったのか、ヘルガは悩んでいた。彼が一体何者なのか、ヘルガはこれっぽっちも分からない。そんな奴のために自然と身体が動いたのは、いったいどうしてだろうか。


 ――もしアンリがドラゴンを呼び寄せてしまったらどうしよう。


 ヘルガはもやもやとした気持ちを抱えながら、更に丸く丸くベッドへと潜り込んだ。




 アルコールがだいぶ抜けてきた頃、ヘルガは部屋の外が少し騒がしいことに気がついた。

 喧嘩騒ぎでもあったのだろうか、そうぼんやり考えているうちに、騒ぎの声はどんどんと大きくなっていく。物をなぎ倒す音、何かが割れる音。女性の悲鳴も聞こえる。


 ――何かがおかしい。


 ヘルガははっとしてまだ疲れている体をたたき起こすと、素早く武器と防具を身につけ宿の部屋を飛び出した。

 騒動は宴があった部屋のほうだろうか。ただならぬ雰囲気を感じて、ヘルガは足を早める。


「ヘルガ! 大変だ!」

 大広間に行くと、そこには、荒れ果てた椅子と机、そして、血溜まりがあった。

「何があった!」

 声をかけてきた狩猟団の仲間に問いかける。

「サーペントだ! 大型のサーペントが入ってきたんだ!」


 ――サーペント?!


 サーペントは、ドラゴンの中でも手足の殆どない、蛇の様な形をしたドラゴンのことだ。


 ――馬鹿な⋯⋯、この地域には生息していないはず!


「どっちに行った!?」

 ヘルガは叫んだ。戦う気持ちはもう出来ていた。

「馬鹿! 戦うのはやめろ! ドラゴンを殺すなんて二度は無理だ、あれは倒せない! みんなに知らせるほうが先だ!」

 そう言うと、男はどこかへと走っていった。


 やってしまった。アンリを生かしたせいで、サーペントを呼び寄せさせてしまったに違いない。よりにもよってサーペントだ。この洞窟型の町という地形に合わせて選んだんだ、やはりアンリは生かしておいてはいけなかったのだ……。


 もし、ほんとうにアンリが呼び寄せたなら、それは処刑を拒んだヘルガの責任でもあった。

 ヘルガは罪悪感と恐怖を抱えながら、アンリのいるであろう牢屋へと走っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る