第7話 龍を遣う

 サーペントの襲撃は突然の事だった。

 凄まじい轟音と共にホールの扉が弾けたかと思うと、数人がホールの端から端まで吹き飛ばされた。土と血の混じった臭いがホールに漂い、サーペントの低い唸り声がホールに響く。そして、人々の悲鳴怒声阿鼻叫喚。

 チコは咄嗟にサーペントが現れた方とは反対側への扉からホールを飛び出した。逃げたわけでは無く、武器を取るためだった。

「お前ら、今ある在庫を全部持ってこい。失敗作もだ!」

 作業場に戻るなり、チコは従業員に怒鳴るように指示した。酔いはもうすでに醒めていた。

 従業員たちはまだ何が何だか分からないと言った表情で、作業場を引っ掻き回し始める。

「チコ、あんたは!」

 失敗作の狩猟ナイフをかき集めながら、従業員が言った。

「これで闘う」

 チコは自信作の大ナイフを手に言った。自慢の大ナイフはとくに大型の獣を狩猟するために作った武器で、小型のドラゴンなら切り殺せる能力がある。サーペント相手に通用するかは分からないが、この村で最も適した武器には間違いなかった。だが、チコは狩猟具専門の鍛冶師ではあるが、狩猟の経験はほぼ無かった。

「無理はするな。お前は腐っても大親方の子だ、俺らの村の子だ」

 従業員が珍しく真剣な顔でチコに語りかけた。チコは何も言わず部屋を後にする。


 ――こんな時だけ坊ちゃん扱いするな、気持ち悪い。


 チコは喉に溜まった痰を床に吐き捨てた。その一瞬だけは、サーペントのことよりも大親方たちへのいらつきで頭が満たされていた。




 サーペントの通った跡は、大親方の部屋の方角へ伸びていた。てっきりアンリのいる地下牢に向かっていると思い込んでいたため、この痕跡を見つけるのに少し時間がかかってしまった。


 ――なぜだ、アンリを救いに来たのでは無いのか?


 チコは疑問を抱きながら、サーペントの進んだ跡を追う。サーペントは、この土地の中枢人物である大親方を狙っているのだろうか。大親方が殺られればオーレンの混乱は必至だ。もしそれを狙っているのだとすれば、やはりドラゴンは相当賢い頭脳を持っているということになる。


「うあああ!!!」

 大親方の作業場のすぐ手前まで来ると、すぐ近くで悲鳴が聞こえた。

 かと思った直後、巨大なサーペントの頭がチコの目の前を物凄いスピードで横切る。


 ドゴオオオオオオン!!!


 地面へと何かが叩きつく音、そして体をズルズルとする音が、爆音となってその部屋に響き渡った。


 大親方の作業場は百人もの人数で活動することが出来る、とてつもなく大きな部屋だった。

 そしてその部屋がまるで狭いとでもいうように、巨大なサーペントがとぐろを巻いていた。


 ――嘘だろ、こんなにでかいのか⋯⋯!


 真っ黒の鱗に身を包んだそのサーペントは、直径二メートル、長さは五十メートルはありそうだ。

 頭には二本の巨大な牙がむき出しになっており、目玉は真っ赤に充血している。大ナイフなんかでは到底殺せない、そう言わんばかりの巨体だった。


「進路を塞げ! これ以上進ませるな!」

 オーレンの兵士が大声でそう指示を出す。大親方の部屋に向かう通路では、樽や鍛冶道具でバリケードを形成している最中だった。


「頭側は寄るな! 常に背後を取れ!」

 王都の兵士も、オーレンの兵士も入り交じっている。


 ビュッ!!!


 ドゴンッ!!!!


 サーペントが尻尾を一振りすると、数人もの兵士が一気に壁に叩きつけられた。


「後ろもダメだ!! 尻尾が危ない!!」

「じゃあどこを狙えってんだ馬鹿野郎!!!」


 様々な人の叫び声が飛び交う中、チコは、通路から様子を見守ることしか出来なかった。


「弓兵!!! 放て!!!」


 号令と共に、王都の兵士たちの放つ矢がサーペントに降り注いだ。そして、着弾と同時に爆発した。

 サーペントは大きな悲鳴をあげたかと思うと、すぐさま頭から弓兵の列に突っ込んだ。その間、僅か一秒にも満たないスピードだった。


 ドゴォン!!!


 爆音とともに地面が大きく揺れる。

 サーペントの口には、数人の弓兵の残骸が残されていた。


 チコが人の死を直接見るのはこれが初めてだった。その死に様はあまりにむごかった。サーペントが動けば動いた分だけ、血飛沫が宙を舞い、断末魔が空間にこだまする。


「こいつの足を止めろ! 身動きを取れなくさせるんだ!」

 気がつくと、チコは叫んでいた。足元に落ちていた弓を広い、震える足で部屋の中へと入っていく。

 突然の大声に、兵士たちが皆チコの方を向いた。そしてそれが、大親方に捨てられた仮の息子だと分かると、兵士たちは戸惑いの表情を見せた。普段から態度が悪くオーレンの要人として何もして来なかった青年が、大して使えもしない武具を手に危険地帯へ入っていく様は、彼をよく知っている人からすれば奇妙でならなかったのだろう。


「どうやって!!!」

 少し遅れて、どこかで兵士が応えた。


「ネットをもってこい! 野獣の捕獲用ネットを大量に使え! ありったけだ!」


 チコは咄嗟に答える。ただの思いつきで、そんなものが通用するとは思っていなかった。

 それでも、苦肉の策でも何が何でも、どうにかしてサーペントを止めなければという思いが先行していた。


「俺の作った武器をここに運んでる。足を止めて四方から切り刻む!」

 チコの提案に頷いたのは、オーレンの兵士でなく王都の兵士だった。

「捕獲ネットを頼む! ネットが来るまで我々王都の兵はここで奴を可能な限り弱らせる! ああまた来るぞ……、弓兵、放てぇ!」


 大親方の部屋へ続く扉に再び突進しようとしていたサーペントに対して、再び弓兵の矢による攻撃が行われた。その隙に、何人かの兵士がネットを取りに部屋を離れる姿が見えた。

 弓兵の攻撃は止まらなかった。何度も爆発音が巻き起こり、その度にサーペントは叫び声を上げる。チコも手にした弓で攻撃に加わった。どれくらいのダメージがあるのかは分からないが、サーペントが苦しんでいるのは確かだった。


 サーペントも、休まず攻撃をしかける。尻尾を振り回せば何人もの人が吹き飛び、頭から突っ込まれた人は次々と死んでいった。


 ――これじゃあ全然もたない⋯⋯!!


 その時だった。


 ドスっと鈍い音をたてて、ボウガンの矢がサーペントの目を突き刺した。


 グアアアアアアア!!!


 耳がはち切れんばかりの音量で、サーペントがもがき苦しんだ。

 矢の飛んできた方向を見ると、そこにはヘルガがいた。

「うおおお!!! やった!!! 女、すげぇぞ!!!」

 一瞬、歓喜の声がわき起こる。

 しかし、サーペントはもう片方の目で、確実にヘルガを捉えていた。次の瞬間、サーペントはヘルガに向かって突進をする。


 それからの出来事は驚きだった。


 ヘルガは、ボウガンを足元に捨てると、近くの瓦礫を足場にして大きく飛び上がった。

 背中を地面に向けながら体をしなやかに反らせ、綺麗な弧を描くよう背面跳びをしてサーペントの突進を交わす。


 ドゴオオオオ!!!


 爆音とともに、サーペントが壁に突っ込んだ。

 ヘルガは、軽々と着地をすると今度は弓矢を取り出し、その場で矢を引きはじめる。

 サーペントが振り向くと同時に、矢を放つ。

 放たれた矢は空を切る音をたて、サーペントの目のギリギリを掠めた。

「くそおっ!!!」

 ヘルガは大声で叫ぶと、サーペントに向かって走り出す。

 サーペントはまた突進をする。

 ヘルガはその懐に入り込むように、華麗に突進をかわした。そして、取り出した小刀をサーペントの腹の鱗にあて、突進の勢いを利用してガリガリと削るように大きな傷を付けた。


 周囲の人々は、唖然とその様子を観察する。チコもまた、ヘルガの妙技を前に体が止まっていた。


 ドゴン!!!!


 また爆音がした。かと思うと、ヘルガは吹き飛ばされていた。尻尾で弾かれたのだ。

 部屋の中央に、ヘルガは投げ出される。ヘルガが現れてからここまで、たった二十秒程の出来事だった。

 そしてこれを機に、また戦場は動き出した。


「危ない!!!」

「彼女を守れ!!」


 全員が、我に返ったかのように口々に声を上げ、何人かはヘルガのもとへ駆け寄っていった。

 ヘルガは意識はあるものの、落下の衝撃に耐えかねて苦しんでいるようだった。


 ――馬鹿だ、一箇所に固まったら狙われる!


 チコがそう思う間にも、ヘルガの元へと人が集まっていく。そのほとんどが、狩猟団のメンバーだった。そして各々が武器を構え、ヘルガを取り囲むようにサーペントに立ち塞がった。


 サーペントは、その集団を残った片目で睨みつける。今度は飛び越えられないようにと、そう言わんばかりの大口をあけた。

 ヘルガに駆け寄った、いったい何人が死ぬのだろう。

 その場にいる大勢が目を背けようとした時だった。



 突如、叫び声が聞こえた。

 甲高い、だけど力強い、サーペントとは違う叫び声だった。

 その声は空間をこだまし、共鳴して爆音となる。体の芯まで震えさせる、雄叫び。


 皆が声の主を探した。さっきヘルガが入ってきた入口に立つその声の主は、アンリだった。


 まるで目の前のサーペントを威嚇するかのように、敵を鋭く睨みつけながら叫んでいた。

 ボロ切れを1枚羽織ったような格好の、武器も防具もない瀕死の少年だ。そんな彼が、サーペントの餌場と化した部屋の中を悠々と歩いてゆく。不思議と、その姿には力が感じられた。


 すると、サーペントは突進をやめてズルズルとアンリに近づいていくではないか。


 ピタリ。


 サーペントが、アンリの目の前で動きを止めた。


 痩せこけた、弱々しいその少年は、サーペントの目をしっかりと見据える。

 そして、何やら言葉を発した。それは人ではない、なにやら獣の言葉のようだった。


 さっきまでうるさかった空間は、一瞬にして静まり返っていた。アンリはサーペントと会話をしたのだろうか。ただ、アンリの静かな声だけが響き渡り、周囲はそれを呆然と見守る。


 サーペントは、残った片目でアンリの目を睨み続ける。アンリはサーペントに語りかけながら、さらにゆっくりと近づいていった。


 サーペントは小さく喉を鳴らすと、高い位置にある顔をアンリの目の前に下ろしてくる。

 アンリはそれに触れた。優しく撫でるようにサーペントの鼻先を触る。そしてそのまま、手を目元へと移動させた。


 アンリはヘルガの突き刺した矢を引き抜いた。サーペントはその間もじっと大人しくしていた。


 アンリはサーペントを助けるのか。皆がそう思案したとき、なんとサーペントが体の向きを変え、来た道を戻り始めたではないか。周囲の兵士には目もくれずチコのすぐ横を通り過ぎ、チコの通ってきた外へと続く道へと差し掛かる。


 周囲の兵士達はざわめき始めた。目の前の奇妙な出来事にチコも動揺が隠せない。


 ――どうゆう事だ⋯⋯?! アンリはやっぱり⋯⋯。


 チコがそう思案したその時。



 ――ダン!



 鈍い音と共に、巨大な刃物が振り下ろされた。

 衝撃音。そして飛び散る血飛沫。


 気が付かなかった。こちらからは見えないが、部屋の出口に、あの巨大ギロチンが仕掛けられていたのだ。悲鳴を出す間もなく、そのギロチンはサーペントの首をすっぱりと切り落とした。とてもとても綺麗に、サーペントを二分してしまった。


 通路の入口に仕掛けられたそのギロチンはキラキラと光を反射させている。オーレンの村名物、巨大ギロチン。オーレンの武具精製技術の粋を集めた至高の逸品は、鮮血を浴びて活き活きとしていた。


「アンリの処刑に使用する予定だったものだ。少し改造させてもらったけどね」


 ギロチンの脇から顔を出したエミリオが、場違いな笑顔でそう言った。

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