部室にて

一河 吉人

部室にて

 傾きかけた陽の光はカーテンの締め切られた部室の中に届かず、運動部の掛け声もどこか遠くに聞こえていた。パソコンのアクセスランプが思い出したようにチラチラと点滅し、自分の頑張りを主張した。部屋の中で動いているのは、中央の椅子に深く腰掛けた少女の白い指だけだった。いつもの、気怠い放課後だった。


 理科準備室の扉が開かれたのは、放課後も一時間を過ぎてからのことだった。


「……やあ、今日は遅かったね」

「お疲れ様です、ちょっとホームルームが伸びてしまって……どうしたんですか先輩、こんなにマイクやヘッドホンを用意して」


 少女はスマートフォンに這わせていた指を止めると、遅れてきた男子生徒に向き直った。少年が部屋の電気を付けると、机の上に山と積まれた機器が明かりを反射して鈍く光った。大量のイヤホン、ヘッドホン、マイクに加え、ミキサー、制御用のノートパソコン、タブレット。他にも見慣れないデバイスやケーブル類に、中には見るからに高価なデバイスもあった。


「ふっふっふ、何だと思う?」

「ふむ……伊達に先輩の一番弟子を名乗ってはいませんからね、これくらいは当然分かりますよ」

「へえ? 聞こうじゃないか」


 少年は鞄を部屋の隅へ投げると、机の周囲を回った。


おびただしいただしい数の録音機材に再生機器」

「ふむふむ」

「マイクは小型が多く、スピーカーではなくヘッドホンやイヤホンばかり」

「うんうん」

「そして謎の頭部模型……これらより導かれる結論は、1つ――」

「ほうほう」

「今日のテーマはずばり、『盗聴』ですね!」

「違うよ! 全然違うよ!!」


 少女が机を叩いて立ち上がり、ヘッドホンの山が揺れた。


「いいんですいいんです、全部分かってますから」

「全然分かってないよ! そのしたり顔は止めたまえよ!!」

「僕には先輩の気持ちが手に取るように理解できますからね」


 少年は目を閉じてうんうんと頷く。


「言わば、心の盗聴」

「ただのストーカー予備軍だよ!!」

「ふふ、感じます。いい子だって言われてるけど、ほんとはちょっと危ない冒険もしてみたい……そんな揺れ動く乙女心」

「揺れてもないし動いてもないよ!!」

「あっ、いま蹴った♡」

「蹴ってもないよ! 蹴ってはやりたいよ!!」

「この子には逞しく育ってほしいですね」

「満ち足りた顔でお腹を撫でるのは止めたまえよ!!」

「果ては世界に轟く大悪人……」

「育ち過ぎだよ!」

「盗聴系の犯罪者……多重国際スパイとかでしょうか?」

「まず盗聴から離れなよ……」


 少女は疲れ果てた顔で椅子に腰を下ろした。


「はて、これは異な事をおっしゃいますね。これだけのマイクやヘッドホン、他に使い道がないのでは?」

「真っ先にその発想が出てくる君が恐ろしいよ!」

「ごく一般的な感覚でしょう? 例えばこの部屋、やけに電源タップの数が多いし、見たこともない機材もそこかしこにある。普通に盗聴を警戒しますよね」

「ここが科学部の部室だからだよ!」

「先輩も女の子なんですから、もっと用心したほうがいいと思います。そんなことだから僕にも簡単に盗聴されるんですよ」

「されてないよ! 全く伝わってないよ!!」

「なるほど、あえてノーガードを装い敵へ流れる情報をコントロールする――攻撃的セキュリティ対策ということですか」

「心の声じゃなく人の話を聞きなよ!!」

「先輩のほうが一枚上手だったと。いやあ、これは一本取られました」

「もうそれでいいよ!!!!」


 運動部の掛け声が窓の外を通り過ぎた。


「で、今日は一体どういった活動を装うんです?」

「……今日の部活のテーマは『ASMR』だよ」

「ASMR? ああ、あのエッチなやつですね?」

「違うよ! なんですぐそういう方向に持っていくんだよ!!」

「それは勿論、先輩が大変魅力的な女性だからですよ」

「んぐっ……」

「と言うのは冗談ですが」

「冗談なのかよ!!」

「WikipediaにもASMRのMは絶頂の暗喩だって書いてあります。これをエッチな実験と言わないのは嘘でしょう?」

「ちっ、違う! 誤解だよ!!」

「そんなもの僕に聞かせてどうしようと言うんですか! セクハラですよ!」

「君のほうがセクラハラだよ!! ASMRは視覚や聴覚によって脳が受けるゾワゾワしたり心地よくなったりと言った反応や感覚のこと! けっしていかがわしいなにがしかでは無いよ!!」

「なるほど! 木を隠すなら森、裸を隠すなら肌色、盗聴というエッチな実験を隠蔽するならASMRというスケベ実験で……そういうことですね!?」

「ですね、じゃないよ!!」

「先輩がそこまで僕とエッチ実験をしたいというなら……」

「したくないよ!!」

「ふふ、事ここに至ってはお話してしまいますが、実は僕も以前から興味を持っていましてね。いくつかの器具を購入してはいろいろ試しているんです」

「な、なんの話をしてるんだよ!」

「ですが安心してください。実際コトに至るのは今日が初めてです」

「こっ、こと……」

「やはり盗聴器を仕掛けるのに、対象の部屋に侵入しなければいけないというのはハードルが高いですよね。なかなか勇気が出なくて」

「高低の問題じゃないよ! そんな勇気いらないよ!!」

「今は部室に仕掛けるのが精一杯」

「普通に犯罪だよ!!!!」

「……まあ、先輩がそうおっしゃるならいいでしょう」

「僕が言ってるんじゃないよ!! 法律がだよ!!!!」


 少女の拒絶具合に、少年は肩を落とした。


「そうですか、今日の実験は盗聴ではないのですか」

「そ、そうだよ! 納得したかい」

「盗聴はあくまで表向き、先輩がそれを装って僕とエッチななにがしかをしたいとおっしゃるなら受けて立ちましょう」

「言ってない! 言ってないよ!!」

「なんですか、ここへ来て日和るだなんて意気地無しですね。僕の期待に膨らんだ胸をどう慰めればいいんですか。責任をとってエッチな実験をして下さい」

「断固拒否するよ!」

「じゃあ実験はいいですから責任のほうは取って下さい」

「そんな総会屋みたいな謎理論を通そうとしてもダメだよ!!」

「……おかしいですね、大抵のネットバトルはこれで押し切れるんですが」

「世間の風紀を悪化させるような言論活動は慎みたまえよ……」


 少年はまだ納得がいかないのか、スマホを取り出してネットの治安に挑戦を始めた。


「しかしですね。虚心坦懐に実験をしたとしても、エッチでないASMRなんて本末転倒、麺抜きのラーメンみたいなものです。ASRですよ。ラーですよ」

「ASMRのMは麺のMじゃ無いよ!」

「脂、スープ、麺、ラード、これがラーメンのASMRと言われる四大要素です」

「言われてないよ! 油分多すぎだしラードはLだよ!!」

「じゃあ、ライス?」

「定食だよ!!」

「麺抜きの脂、スープ、ライス……つまりスープカレーですね」

「麺類ですらなくなったよ!!」

「ほら見てください。Mを抜いてしまえばもはやASMRもラーメンも成り立たちません。M、つまり絶頂こそが本質なのです」

「……はあ、もうそれでいいよ……」

「先輩、さすがに押しに弱すぎです。もっと抵抗したほうがいいですよ」

「分かってるなら止めなよ!!!!」

「しかし、僕はASMR界隈には詳しくないのですが、実際のところ肉欲と結びつかない気持ち良さなんてあるんですか?」

「ふっふっふ、君もまだまだ考えが甘いね。これを聞き給え」


 少女が少年にイヤホンを手渡す。


「……? この軽い金属音は……」

「そう、硬貨の山をひっくり返した音だよ!」

「しかも……全部500円玉!?」

「どうだい、気持ちよくなってきただろう……な、なんだいその目は!?」

「いえ、先輩のあまりのさもしさに心の退部届を提出しそうになっていただけです」

「なっ!?」

「肉体に頼らない快楽、と言われていの一番に出てくるのがお金とは……そうやってすぐ俗情と結託して、科学者としての矜持は無いんですか!!」

「んぐっ!」

「新たなる知識に出会えた喜びとか、真理に一歩近づいた達成感とか、もっと科学部にふさわしい感情の動きがあるでしょう!」

「そ、そう言われると反論できない……」

「具体的には電球が閃く『ピコーン』という音とか」

「それ実際聞こえてたら病気のやつだよ!!」

「まあ定義上ASMRは俗情と結託する技術なので仕方ない部分もありますが、いくらなんでもこれは……」


 少年はヤレヤレと肩をすくめる。


「確かにお金は大事ですし、百歩譲ってそこはよしとしましょう。しかし、これは先輩のお金ですよね?」

「……そうだけど?」

「そこがまた、考えの足りないところです」

「?」

「いいですか? 他人の金で食べる焼肉は美味く、他人の金で食べる寿司は美味い。札束で頬を叩かれたって、それが自分のお金なら何の嬉しさも無いんですよ!!」

「あ、はい」


 少年は財布からお札を取り出して扇状に広げ、ぴしゃりぴしゃりと机に打ち付けた。


「どうです? これは親の財布から抜いてきた札です、音のキレが違うでしょう?」

「それはただのクズだよ!!!!」

「同じ札束でも、燃やす音ならより興奮するかもしれません」

「ただの下衆な資本家だよ!!」

「他人の金を燃やして取るマウント、想像しただけで震えますね……」

「教科書に乗るレベルの悪行だよ!!」

「む、つまり他人の金でするエッチASMRが最適解ということに……?」

「中止中止!! AMSR実験は中止!!!!」


 少女は両手を振り回して計画の中止を宣言した。


「ええ、何ですか急に……」

「このまま強行してもろくなオチにはならないからだよ!」

「大変科学的な推論ですね」

「残念ながら経験的な事実でもあるよ!」

「中止は構いませんが、暇になってしまいましたね。準備した機材も無駄になってしまいますし、いつも通り運動部でも盗聴してみます?」

「普段からやってるみたいに言わないでくれたまえよ! それに、機材の使い道は別にあるからね」

「へえ」


 少女が箱から人間の頭部模型を取り出す。


「当初の予定を変更し、これよりバイノーラル録音の実験を行う!!」

「……バイノーラル? また新手のエッチテクノロジーですか?」

「違うよ!!!!」

「じゃあ頭部切断系のやつですか」

「違うよ! どんな系だよ!!」

「でもバイノーラルって響きからしてもう性的っぽいじゃないですか。これでエッチ用語じゃなかったら逆にびっくりですよ」

「バイノーラルのBiは『2つの』、auralは『耳、聴覚』だよ! モノラルと同じだよ!!」

「なるほど、びっくりしました」

「そうだろう!!」

「まさか耳をエッチ用語と思わない人がいるとは……」

「君の脳内のほうがびっくりだよ!!!!」

「しかし2つの耳、ってステレオとは違うんですかね」

「ふっふっふ。バイノーラルとはだね、ステレオに比べてより実際に耳で聞いたかのような立体感を再現するための録音技術なのさ」

「はい」

「いいかい? 一般的なステレオ録音というのは、こう音源に対してマイクを向けてレコーディングするわけだ。まあカラオケみたい感じだね」

「ふむ」

「対してバイノーラルはだね、こういった人の頭部や耳の形をした模型にマイクをセットして録音するんだ」

「へえ」

「人間というのは、耳の穴や耳たぶ、その他自分の人体パーツに反響した音を聞いている。逆に言えば、頭部のモデルを作り鼓膜の位置にマイクを設置すれば、現実の人間が聞くのと同じような音が録音されるわけさ」

「ほい」

「だんだん相槌が適当になってきたね……。そしてそれをイヤホンやヘッドホンで聞く。耳の奥で録音された音を耳の奥で再生するわけだね。するとあたかも現実の音を聞いてるかのような立体感が得られる、という寸法さ」


 少女は解説を終えると、ドヤ顔で胸を張った。


「なるほど。言われてみればシンプルな理屈ですね」

「技術自体は100年以上前からあったそうだからね」

「記録位置と再生位置を一致させる、考え方としてはヘッドマウントディスプレイの3D表示みたいなものでしょうか」

「原理的には五感全部に適用できそうだね。と言っても人間の嗅覚じゃ位置までは分らないだろうし、触覚も味覚も位置情報は含まないだろう? 実質的には視覚と聴覚くらいだろうね」

「つまり、眼鏡部分以外をぼやかすことによってメガネっ娘の気分になれる、そういう技術というわけですか」

「またしょうもないことを……」

「つまり猫耳の位置にマイクを置いて録音すると、猫耳の感覚が体験できるってことですか!!??」

「猫耳……? んん、まあ理論的にはいけないこともないのか……? しかしまた、くだらない発想にだけは無駄に知恵が回ると言うか……」

「これは革命ですよ!! 作り物ではない、本物の獣耳を体験できる、これこそが正しい意味でのASMRと言えますよ!!!!」

「お、おう」

「猫耳の模型で録音すれば猫耳の気持ちが味わえるし、うさ耳の模型で録音すればうさ耳の気持ちが味わえるんですよ!!!!!!!!!!!!!!!!」

「興奮しすぎだよ……」

「カエルのケツの穴の模型で録音すると、ストローで空気を吹き込まれるカエルの気持ちが体験できるんですよ!!!!」

「カエルの尻に聴覚は無いよ!!」

「いや、分かりませんよ。有るかもしれないじゃないですか、鼓膜の代わりになんらかの膜が」

「多分無いよ!!」

「カエルASMR界隈では『やはりステンレスのストローはエアに切れが出る』とか語られてるかもしれないじゃないですか」

「どんな界隈だよ!」

「ASMR(Anura Straw Makes Revolution)」

「後半雑になってるよ! もうちょっと頑張りたまえよ!!」

「じゃあ妊婦さんのお腹に耳マイクを当てて録音すると、『あっ、いま蹴った……!』って初めての子供に喜ぶお父さんの気持ちになれるって事ですか!?」

「理論上はそうなるが、しかしさっきから脳がゾワゾワするような発想ばかりだな君は……」

「人間ASMRと呼んでくだい」

「あ、はい」

「誰がエッチ人間ですか! 温厚な僕でも怒りますよ!!」

「言ってないよ!! でもエッチ人間なのは間違いないよ!!!!」

「ケツの穴から手を突っ込んで奥歯ガタガタ言わせられたときの音とか聞かせますよ!!」

「それはちょっと聞いてみたいよ!!」

「それにはまずこの模型の下顎が動くように改造しないと……ふむ、しかしなかなか精巧にできてますね。やはり職人が耳の穴の模型を作り、マイクをセッティングしているんでしょうか」

「ん? まあ、そういうことになるのかねえ?」

「『バカヤロウ! 思春期の女子の対耳輪上脚はもっとまろやかさを持った特有のカーブだって言ってんだろ!!』って親方がどやかしてるってことでしょうか」

「変な想像は止めたまえよ!!」

「耳たぶが垂れ気味だと馬鹿にされたり、耳輪が大きい方がいいか小さいほうがいいかで殴り合いに発展したりするんでしょうね……」

「何の話をしてるんだよ……」

「しかし、こんなところで耳のおっさんの実在が証明されてしまうとは」

「耳のおっさん?」

「あれ、ご存知ないですか? 『耳の、おっさんが』」

「?」

「『照れました「イヤ~」』」

「……く、下らな……」


 少女が呆れ果てた顔で少年を見た。


「『尻の穴の、おっさんが』」

「どんなおっさんだよ!!」

「『頷きました「あ、なるほど」』」

「なるほどじゃないよ! 全然意味がわからないよ!!」

「『目の穴の』」

「節穴だよ!!!!」

「『おっさんが、言いました「目に見えない物が一番大切。それが、愛」』」

「自己否定だよ!!」

「『尿道の』」

「結石だよ!!!!」

「『おっさんが、おっさんが……尿道って英語で何ていうんですかね?」

「知らないよ!」

「ええと、尿道尿道……ふむ。『尿道の、おっさんが言いました。「尿道は英語でurethra(ユリスラ)、勉強になったな」』」

「やかましいよ!!」

「やはり大貴族にもなるとケツの穴の型を取る専門のおっさんがいて、『坊っちゃん、おめでとうございます。シワの数が2つ増えてますぜ』とか成長に合わせて定期的に作り直してるんですかね」

「どんな上流階級だよ!!」

「これがほんとの門閥貴族……」

「やかましいよ!!!!」

「なるほど、名門とはそいういう……」

「違うよ!!!!」

「名門貴族がいるように、耳の形を称されて貴族に叙された『名耳貴族』もいるわけですよ」

「門を特定の部位みたいに言うのは止めたまえよ!!」

「流行りの耳になるために、耳の穴を拡張したり重いピアスで伸ばしてみたりしたわけですよ」

「そんなものは……まあ、後者は普通にあったかもねえ」

「古代文明なんかでは、王様の耳型を直接取るのは失礼だからそっくりの耳を持つ人間がモデルを担当してたりするんですよ」

「まあ、無くはないかも……?」

「『王の耳』って呼ばれてたりするんですよ」

「それっぽく言ってるけど全然違う役職だよ!」

「全国の子供の中から選抜されて、丁重に扱われるんですけど、成長によって形が合わなくなってきたら情報拡散防止のために消される、悲しい運命の役職なんですよ」

「そうだね、悲しいね!」

「そこで一人の『王の耳』が、死から逃れるため王を殺して成り変わるんです。耳の形は個人によってまちまちといいますからね、耳が似ていることを理由に王に成りすますんですよ」

「それは大変だね!」

「まあ耳以外は王の外見と似ても似つかないんですが」

「普通に別人だよ!! 耳の形なんて誰も見てないよ!!!!」

「そこで『王の目』や『王の鼻』と争い、パーツを次々と奪っては取り替えて真の王に近づいていくんです」

「ずいぶんとバイオレンスな話だね……」

「『よし、「王の脳」を手に入れた。これでまた一歩王座に近づいたぞ……!!』」

「乗っ取られてるよ!!!!」

「人気が出ればどんどんパーツを増やして引き伸ばせばいいわけです。『王の瞼』、『王の中足骨』、『王の肝鎌状間膜』――」

「マニアックすぎるよ!!」

「逆に不評ならまとめて入手の形をとる、こういったアンケート結果に対するスピード感と柔軟な対応力が『王(部)位継承編』の魅力です」

「継承してないよ! ただの簒奪だよ!!」

「『王の右目』が『王の左目』をだまし討ちで滅ぼし、代わりに『王の左玉』が眼窩に収まる、そんなバトルロワイヤル要素も」

「大惨事だよ!!!!」

「そして現れる謎の存在、『王の石』――」

「結石だよ!!!!」

「主人公が人間を止める『悪魔超人編』や機械の体を手に入れる『銀河帝国編』もあります」

「妄想が行き過ぎだよ。全く何の話だよ……」

「会話だけで1万字はきつすぎるので、伸ばせるところは引き伸ばしておこうかと」

「何の話だよ!!??」

「僕もよくわからなくなってきましたし、いいかげんエッチテクノロジーの話に戻りますか」

「そうだよ、エッチテクノロジーだよ。違うよ!! バイノーラルだよ!!!!」

「そんな名前だったことが、あったかもしれませんね」

「現役だよ! せっかく機材を用意したんだから実験しようよ!!」

「……まあ構いませんが」

「何だい? あまり乗り気じゃ無いみたいだね」

「先程ロジックを聞いてしまいましたからね。もう後は手を動かすだけじゃないですか、普通に実験してもおもしろくないでしょう」

「しかし音響系は初めてだ、最初はスタンダードでいいんじゃないかい?」

「そういった向上心の欠如は科学者にとって死と同意ですよ。常に新しいフロンティアを目指してこそじゃないですか!」

「……君はあれだね、料理とか超下手そうだね……」

「当然キッチン出禁ですよ」

「胸を張って言うことじゃないよ……」

「出キッチンですよ」

「全然上手くないよ!」

「そういう先輩はどうなんですか」

「僕? 一般的な料理なら大体作れるよ。掃除も洗濯もOKさ」

「なるほど、『マッドサイエンティストだと思われてるけど、ほんとは可愛いお嫁さんにも憧れてる、揺れる乙女心』ということですね」

「だれがマッドサイエンティストだよ!! 普通に失礼だよ!!」

「『牛豚鶏と捌いてみせるけど、ほんとに捌いてみたいのは人間、そんな探究心オトメゴコロ♡』」

「ハートをつけてもダメだよ!!!!」

「でも、したいでしょう? 普通じゃない実験」

「そっ、それは……」

「しかし初めは手堅く、その気持もわかります。つまり必要なのは折衷案、そこそこに冒険でそこそこ安定、そんなラインです」

「い、いい案があるのかい?」

「まず、この頭部模型を水槽に沈めます」

「ふん?」

「そして先輩が優しく話しかけるのを録音するわけです」

「ほう」

「するとどうでしょう、『試験管で培養された殺人マシーン』の気持ちが手にとるように!!」

「そんな気持ちは分かりたくないよ!!!!」

「そして施設が襲撃され先輩はマシーンを逃がそうとするんですがタッチの差で失敗して培養槽の前でミンチとなり、あまりのショックに『コレガ、ココロ……』とリスナーに感情が芽生える場面がハイライトです」

「僕死んでるじゃないか!!!!」

「感動とは俗情との結託と見つけたり」

「見たいものだけ見つけてるだけだよ!!」

「全くワガママな先輩ですね……では、こういうのはどうでしょう? 片方をバイノーラル録音して、もう片方を一般的なステレオで録音するわけです」

「……続けたまえ」

「片方はデジタル的な音声、もう片方は生身の人間の聴覚。これを合わせることで機械化によって命を永らえた半サイボーグの気分が味わえるわけですよ」

「君、なんでそんなに人間以外のなにがしかになりたいんだよ……?」

「……いえ、発想を逆転させましょう。片耳に普通のステレオで音楽を流し、もう片耳にはバイノーラルで環境音を流す」

「? さっきと同じじゃないかい?」

「いえ、音楽と環境音というのがポイントなんです。これで、両方イヤホンをしているにも関わらず、あたかもイヤホンを片方だけつけていることになるわけです」

「ん、んん??」

「片方のイヤホンだけで音楽を聞く、これは一体どういうシチュエーションか分かりますか?」

「?」

「つまり、一つのイヤホンを誰かと共有している状況を再現しているわけですよ」

「なっ……!!??」

「片思いのあの子と肩を寄せ合って一つの曲を聞く、そんな妄想が形になるんですよ!」

「そ、それは……」

「『コードが短いから、もうちょっと近づこ?』とか、曲を聞いてる逆の耳からバイノーラルで聴こえてくるわけですよ!」

「金の匂いがするよ!!!!」

「言ってないよ! 連続で喋って発言者を偽装するような真似は止めたまえよ!!」

「まだ若かった頃の流行歌を流せば、あったかもしれない青春を追体験できるんですよ!」

「急に悲しい想定になったよ!!」

「『僕の考えた最強のベスト盤』をB面の最後まで楽しく聞いてくれるんですよ!!」

「止めたまえよ!!」

「懐かしい80's、人がまだ優しさの時代……」

「生まれてもないよ!」

「夏休みに帰った実家の縁側で聞いた蝉の声、氷が麦茶に溶けてグラスを鳴らす音、風鈴の音色……」

「田舎のおばあちゃん家なんてないのに、なぜだか懐かしい気持ちになるよ!」

「よし、特許取りましょう、特許」

「さすがにこれでは無理じゃないかなあ、前例もありそうだし」

「じゃあそれっぽい名前でもつけて、発案者を主張しましょう。こいうのは事実のいかんに関わらずやったもん勝ちですからね」

「普通に邪悪だよ……まあそうだねえ、バイノーラルなのに片耳ずつ別々の音源だから、Para-Binauralとか?」

「Mも入れましょう」

「Mは要らないよ!!!!」

「Hでもいいですよ」

「そっちも必要ないよ!!」

「さて、そうと決まれば善は急げです。実際に録音して実験してみましょう」

「そうだね、よし、これを着けたまえ!」

「この小型マイクを耳に入れればいいんですよね。はい、じゃあLは先輩が着けてください」

「あ~、テステス。よし、調子は良好みたいだ」

「で、このイヤホンのRは先輩が」

「……へっ?」

「うーん、コードが短いですね、もっと近づきましょう」

「な、なっ……」

「こんなものですかね?じゃあ音楽聞きながら適当に話しますか。先輩、何かかけてください」

「えっ、えっ……あ……うん……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「先輩?」

「ふ、ふぁい!!」

「どうしたんですか? 黙りこくって。何か話してくださいよ」

「……」

「まあ環境音だけでもいいと言えばいいんですけど」

「……」

「……」

「そ、その……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……でも、先輩の気持ちも分かりますよ」

「えっ?」

「これ、結構ドキドキしますよね」

「!?」

「こんなに効果があるなんて自分でもびっくりです」

「……き、君も、ドキドキしてるのかい……?」

「……はい」

「…………」

「一つのイヤホンを分け合い、知らない曲を聞く。これは自分のものではないデバイスで、自分のものではない曲を聞いているわけです」

「うん……」

「つまり、他人が購入した曲を聞いてるわけです。他人の金で聞く音楽が、こんなに素晴らしいなんて!!」

「君に期待した僕が馬鹿だったよ!!!!」

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