第2話

翌年

 

「おーい、坊主!この本、取り置きしといてくれ!」


 日もだいぶ柔らかくなってきた初春。1人の男性が古書店にやってきた。


「はいはーい。おや、お久しぶりです島田さん。奥へどうぞ。」


 やってきた男性は島田一徹さん。情報提供している組の一員であり、現在は敵対する組にスパイとして潜り込んでいる。自分や店主との繋がりも長く、最近は情報提供の後、少しばかりの談笑をするようになった。


「おう、邪魔するぜ」


彼はカウンターの前に座ると、早速といった様子で用件を切り出してきた。


「なぁ、坊主。最近変わった事は無かったか?」


彼の言う"変わったこと"というのはつまり、敵対組織の動きについてだ。


「そうですね……。特にこれといってありませんが……」

「……そうか」


何かあると踏んで聞いてきたようだったが、予想に反して何も無かったことに落胆の色を見せる彼を見て、僕は苦笑いを浮かべることしかできなかった。

「まぁいいや。んじゃあコレを頼むわ」

「はい、確かに受け取りました」


「ところでよ、坊主。お前さん最近一色グループの娘さんとつるんでるらしいじゃねぇか」

「……えっ?」


思いがけない一言につい声が漏れてしまった。


「ははは!やっぱり図星か!俺の情報網を甘く見ないでもらおうか!……それで、どうなんだ?上手くやってんのか?」


彼はそう言いながらニヤついた顔でこちらを見つめている。

彼女とは基本、この古書店でしか会うことはなく、元々の人通りも少ないにも関わらず、どこから情報を得てきたのか、この手の人達の情報収集力は本当に面倒なものだ……と、内心溜息を吐いた。


「……はい、それなりに楽しくやらせてもらっていますよ。毎週逢いに来て下さっているんです。」

「ほぅ。あの一色グループのご令嬢がねぇ……、あぁいや、あそこの社長とは協力関係ではあるがガードが固くてよ、俺も娘にはほとんどあった事がないんだよ。」


そう呟きながら何やら考え込む素振りを見せた後、「わかった。ありがとよ」と言い残し、店を後にした。

その後ろ姿を見送った後、ふと店内に目を向けると、いつもと違う雰囲気違和感を覚えた。

店内の雰囲気自体は何一つ変わっていないはずなのに、どこかざわついているような、そんな感覚。

何だろうと辺りを見渡しても、普段と変わらない景色が広がっているだけだった。

気のせいだろうかと思い、作業を再開することにした。

ーーーーー


それからまた数週間経ったある日のこと。

今日もまた彼女は訪れるだろうと思っていた。

しかし、いつまで経っても彼女は訪れず、次第に不安が募っていった。


その時、

「はぁ…はぁ……あの!!」


勢いよく扉を開く音と、焦りを含んだ声が聞こえてきた。

振り返るとそこには、一色桜ではなく、普段は顔を見せない原田さんの部下が立っていた。


「あの、すいません!一色グループのご令嬢が……、桜様が……誘拐されてしまいまして……!!お願いします!!助けてください!!どうか……どうか……!!」


一瞬何を言っているかわからなかった。


「どういう……ことですか……?」


絞り出した声で問うと、彼は堰を切ったように話し始めた。


「裏切ったんですよ!うちの原田が!今回の件で一色グループと敵対していた会社の二重スパイだったらしいんです!今朝から消息が……」

「…どういうことですか」

「ご存知だと思いますが一色グループは表向きでは金融業を中心に手広く事業を営んでおりますが、その実態はマフィアのようなもので、我々と協力関係の組織とも繋がっていまして……。今回の原田の裏切りはその組織への報復の為で、敵対する組織へ寝返り彼女を狙ったのだと思われます。」

「どうして……彼女が狙われたのですか……?」

「それは……、あなたですよ」

「え……?僕……?」

「はい。原田は以前からあなたのことを調べていました。そして今回、彼女のことを色々と知った事で、彼女の想い人が貴方であるということを知ったのでしょう。」

「そ、それが……、なんの関係が……?」

「これはあくまで私の憶測ですが、情報屋との繋がりのある彼女を人質に取れば優位に事を進めてると踏んだのでしょう…ん?あの鴉鳥さん、これは…?」


彼が手に取ったものは、以前島田さんから預かった本であった。


「それは原田さんのです。以前島田さんから頼まれまして…」

「いや、そこじゃなくて!」


そう言って彼が取り出したのは、本に取り付けられていた小さな機会のようなもの。


(これは…盗聴器!?)


そういえば、あの時原田さんは何か考え事をしていた、その後の店の雰囲気も何処か違和感を感じた。恐らくあの時に仕掛けたんだ…。


普段なら絶対気づくのに、彼女の事を聞かれて気が緩んでいたんだ……そんな生易しい世界でないことを十二分に理解していたつもりだったのに、彼女という日常で自分自身が普通になったのだと錯覚してしまっていたんだ…


「……なるほど、そういうことですか。」


彼は全てを察したようで、独り言のように呟くと、すぐに僕の方へ向き直った。


「落ち着いて聞いてください。先程言ったように、原田は彼女を人質にする事で優位に取引を進めようとしている。でも、なぜそこまでリスクのある行動を取るのか不思議でした。ですがこれで分かった…、盗聴器からあなた方の会話を聞いて、あなた方がかなり深い関係性だと言うこと、そしてあなたの持つ情報がかなりの物で、組織を寝返り彼女を拉致するリスクを負っても欲しいものだったのだと思われます…」


彼は淡々と話し続ける。


「つまり、彼女は今、危険な状況にあるということです。でも私達にはもうどうすることもできない…どうすれば……」


彼は悔しそうな表情を浮かべながら俯いている。

僕は彼の話をただ呆然と聞いていた。

僕はどうしたらいいのだろう。

どうするのが正解なのだろう。

頭の中でぐるぐると考え続けるが、何も浮かんでこない。

その時、古書店内に電話の着信音が鳴り響いた。

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