第199話 戦いの準備

-2日後

@ローシュ近郊 デメテル前哨キャンプ


「食糧を運搬中の部隊が攻撃を受けた!?」

「はっ! 運搬中の物資は、食糧や家畜を中心に奪われ、生き残った者達も自我を失ったり、気が触れている者がいるとか」

「な、なぜ……攻めているのはこちらのはずなのにッ!?」


 ヴィクター達による輜重部隊襲撃から2日……その報はようやく、デメテルのゆりかごの侵攻部隊の本隊に届いた。ここまで情報伝達が遅いのは、彼らが機械文明を拒絶しており、自動車や無線などを使用する術が無いからである。

 キャンプにある天幕の一つにて、輜重部隊が攻撃を受けたという報告を受けた巫女、エレナは衝撃を受けた。先日の先遣隊壊滅もそうだが、こちらが攻めているはずなのに背後を突かれるとは。何という失態だろうか。


「では、失礼します!」

「くっ……この無能どもがッ!! 食糧なしに、このままどうしろと言うの!?」

「どうされるのです?」

「どうもこうも……え゛ッ!? は、ハール様!? い、いつの間にッ!? し、失礼致しました! お、大いなる───」

「挨拶は不要……と、以前から皆さんには言ってるのですがね」

「は、はい……。ところで、ハール様は何故こちらに? 御座に帰られたのでは?」

「輜重部隊が壊滅したと聞いて、戻って参りました。貴女がどういう判断を下すのか、興味がありましたので」

「ぐっ……!」

「それで、どうされるおつもりですか、シスター・エレナ?」


 エレナは、胃がキリキリと締め付けられる痛みに襲われ、額からタラタラと汗を流す。自分の思考の奥底まで見通しているかのような赤い瞳に見つめられ、怯えながらも何とか回答を口にする。


「シスター・エレナ、どうかしましたか?」

「あっ……そ、その……さ、幸いにも食糧は奪われましたが、祝福はある程度無事との事。……兵達も多少の粗食には耐えましょう。このまま敵の本拠地に雪崩れ込み、奪われた食糧を奪い返し、悪魔を全て葬り、異教徒を滅ぼす所存でございます!!」

「なるほど、そう来ましたか……。思考パターン:P7Rですか、ありきたりな事例ですね」

「し、しこうぱ? えっ?」

「ああ、お気になさらず。それよりも、敵も我らに対する防御を固めているはずですが、大丈夫ですか?」

「も、もちろんですッ! 我らは死を恐れません! 数も優っております! いくら敵が防御を固めようと、この数の前には無力ですッ! 必ずや、敵を撃ち破って見せます!」

「……期待していますよ、シスター・エレナ」

「は、はいッ! お任せを!!」


 そう言うと、聖女ハールは天幕を後にする。


「……はぁ、はぁ……む、胸が苦しい。ほ、本当に心臓に悪い」

「どこか悪いのですか? お身体は大事にしていただかないと」

「え゛っ……んなっ!?」


 聖女ハールがいなくなり、ため息をついたエレナだったが、突如背後から声をかけられて驚愕した。何故なら、声の主が出て行ったと思っていた聖女ハールだったからだ。


「は、ハール様ッ!? こ、今度は何ですか!?」

「いえ、信託を下すのを忘れていまして」

「し、信託ですか!? 先日も頂いたと思いますが……!」

「状況が少し変わったので、お伝えしますね。明日の12時頃に発生予定の砂嵐ですが、その速度は遅く、14時01分に通過予定です。また、明後日は珍しく曇り、11時25分には雨になるでしょう」

「あ、雨!? い、今は乾季のはずでは!?」

「異常気象でしょうね。これを機に兵達に水を補給しては? 食糧が無い中、辛いでしょうし」

「そ、そうですね!! そうさせて頂きますッ!」

「ああ、それからキャンプの設営場所には気をつけて下さいね」

「は、はい! もちろんです!」


 聖女ハールは、女神のような優しげな微笑をたたえながら、エレナを見つめる。だがエレナは、その微笑がどこか人工的な……何か作られた、貼り付けられたようなものであるように感じながら、ある疑問を抱き、それを聖女ハールにぶつけた。


「あのハール様、一つ聞いてもいいでしょうか?」

「はい、何ですかシスター・エレナ?」

「なぜハール様は信託を……どうして、天気の行方を正確に言う事ができるのでしょうか?」

「……」

「あっ! あの……その……申し訳ございませんッ! 決して信仰を疑ってのことでは無くて、その───」


 ハールの言葉は、いつも正確だった。砂嵐をはじめとした天候の変化を、いつも言い当てる事ができ、外れたことは一度も無かった。さらに近い日であれば、その天候の変化は多少の誤差はあれど、分刻みで言い当てていた。

 とても自分達巫女にはできる芸当ではない。エレナはハールのこの御業に、何か特別な力やそれを与える存在……それこそのようなものを感じざるを得なかった。それらと交信する術を、聖女ハールは待っていると考えたのだ。


 そしてエレナは知らなかった事だが、天気を当てるというのは崩壊前では広く一般的な事だった。“天気予報”と呼ばれたそれは、衛星や各地の気象観測所の気象データさえあれば、天気の行方を知る事が可能だったのだ。


「素晴らしい……」

「へっ!?」

を始めて、200年近く……ようやく、最初のサンプルに出会えたようですね。ふふふ……」

「え、えっと……ッ!?」


 ハールは、先程と同じように微笑をたたえた表情で何かを呟く。エレナは、その表情が先程までの作られたものとは違い、聖女ハールが心から笑っているように感じた。

 だが、同時に背筋が凍りつくような寒気も感じた。まるで、自分達のことを家畜か何かとして見ているような……そんな不気味さを感じたのだ。


「シスター・エレナ」

「は、はいッ!?」

「期待していますよ、貴女には」


 そう聖女ハールは言うと、今度こそ天幕を後にするのだった……。



 * * *



-さらに2日後

@ローシュ


 輜重部隊を襲撃して4日。俺達は、デメテルのゆりかごから大量の食糧を奪取することに成功した。

 これにより、喫緊の問題であった食糧危機は脱したが、新たな問題が起きた。それは───


──ドザァァァァッ!


 そう、この雨である。砂漠で雨と聞けば、「珍しい」「恵みの雨」と言った表現が当てはまるかもしれない。だが、実際はそうはいかない。


 意外かもしれないが、砂漠での死因には“溺死”が多い。というのも、砂漠の草木の無い砂や岩盤は、土と違い保水力に乏しい。バケツの中に砂と水を入れると、下層に砂が、上層が水になるのに近いかもしれない。もっともその場合、バケツには充分に水を入れる必要はあるが。

 だが、砂漠というのは殆どが快晴であり、雨はほぼ無い。しかし、雨季にはまとまった量の雨が一度に降り注ぐものらしい。今は雨季ではないが、これだけの降雨だと先ほどのバケツの例えではないが、充分な量の水が存在する事になる。そうなると、あとは溢れた水が洪水を起こしたり、斜面を伝い鉄砲水となり襲ってくるという訳だ。


「ほ、本当に降ったであります……!」

「今は乾季のはずなんスけど、いったいどうなってるッスか!?」

「し、信じられない……!」

「ほら、ヴィクターの言った通りになったでしょ!」


 ロゼッタにより、降雨があるということを知っていた俺は、ミルダ婆さんやコレットに対策を進言した。今は乾季らしく、本来なら雨は降らないそうで、かなりいぶかしがられたが、ドッグハウス回収時の虜囚救出や食糧調達の功績もあり、結局は俺の話を聞いてくれた。

 その結果、準備をしていたおかげで、こうして急激な降雨に見舞われてもローシュの被害は軽微で済んでいるようだ。


「天気が分かるなんて、アンタ……まるでデメテルの巫女じゃない!」

「は? 何だそりゃ?」

「コレット殿の言う通り、デメテルのゆりかごの巫女には、天気を読む力があると言われているであります。それよりも……」

「あ、アニキが崩壊前の人ってのも本当かもしれないッスね……」


 いい加減、これを機に種明かし……というか、俺の正体をコレットやキエル達に明かす事にした。今後、何かあるたびにいちいち色々説明するのも面倒だしな……。

 もっとも、いまだに半信半疑で完全に信じているという訳では無いようだが。たが、これで多少は無茶も通しやすくなるだろう。


「おーい、大変だ跡取り殿!」

「どうした?」

「向こうで掘った排水溝が崩れちまったらしい! ちょっと、見てもらいたいんだ!」

「向こう……B-2ブロックか。あそこは、空堀と防塁にする予定だったな、すぐ行く!」

「頼んます!」


 今回の降雨は、周辺の地形を大きく変えてしまう事が予想される。その全てを制御する事は不可能だが、多少は誘導する事ができる。

 雨への対策として、ローシュにある重機や人員を総動員させて、集落の周りに簡易的な排水溝や溜池を掘ったり、テントや建物の補強も行った。さらに掘った排水溝は、その後空堀や塹壕などに利用する事を想定している。ただの排水溝だともったいないし、コレット達を納得させる理由にもなる。


 また、コレット主導で今まで準備していた、金網と布でできた大型の土嚢や、有刺鉄線など用いて、さらにローシュの守りを固める予定だ。土嚢は、いくらでも砂のあるローシュにおいて、簡易的に強固な防壁を形成する事ができる。この場合、砂嚢と呼ぶべきか?

 さらに、有刺鉄線などと組み合わせれば、ちょっとした野戦築城ができる。


 一般的に、攻めと守りなら後者の方が有利と言われている。特に、守り側が地形を利用していたり、野戦築城などで要塞化しているとこの傾向は強くなる。残念ながらローシュは砂漠のど真ん中であり、あるのは砂丘程度で天然の要害とは言えない。

 だが、相手は銃火器を持たない生身の人間だ。空堀や有刺鉄線などの前時代的だが効果的な陣地形成を駆使すれば、敵の侵攻を遅らせたり、侵攻ルートを限定したり、火力の集中運用は可能になるはずだ。


《今回も、セラフィムは使わないのですよね?》

《ああ。タイミングが良ければ使ってたかもしれないが、今回は大勢に襲撃を知られちまってる。突然、襲ってきてた筈の軍勢が消えたら大騒動だろ?》

《そうですね》

《しかも、砂漠は見晴らしが良い。ビームやレールガンの攻撃を他の奴らが見て、変な宗教でも生まれたら堪らない》

《なるほど》

《それに、意外と上手くいきそうな気がするんだ》

《コレットさんですか?》

《ああ。列車の中での講義も、かなり熱心だったしな。特に、戦史を話していた時は凄い集中力だった。……カティアも見習って欲しいが》

《現在では、戦術や用兵を知る者は少ないでしょうから、良い指揮官になるかもしれませんね》

《まあ、崩壊前なら尉官以下のレベルだがな。最悪、俺無しでも何とかできるようになってもらわないとな》

《彼女は連れて行かないのですか? 念のため、ノア6の部屋は用意していましたが……》

《いや、必要ないだろう。奴とはここでお別れだな。だが、散々やらせて貰ったんだ……せめてもの礼代わりだな》

《ヴィクター様はお優しいですね》

《いや、流石にあのまま出て行ったら恨まれるだろうしな》


 正直、ローシュを出ようと思えばいつでも出られる。ドッグハウスに拘らず、サンドワームでローシュを離れて、ロゼッタにVTOL機でも飛ばして貰えばいい。

 だが俺を慕うキエルや、友人の子孫のレイネ……そしてコレットをはじめとして、今まで良くしてくれたローシュの皆の危機を無視する事はできない。そもそも今回の旅はギルド本部を目指すものだが、俺としては自由に世界を周る予定だ。今のように寄り道していても、別に問題はない筈だ。


 それにキエルのレースにも興味があるし、調べたい事もできた。

 コレットの言っていた、デメテルの巫女。奴らは天気予報ができるらしい。という事は、衛星にアクセスする手段を持つ奴……つまり電脳化している者がいるという事だ。

 奴らは間違いなく、マトモじゃない。ギルドの使い走りではないが、どの程度の脅威があるか調べておきたい。


「まあ、まずは目の前の事からだな」

「こっちです!」

「ああ、今行く!」



 * * *



-数時間後

@ローシュ北方 デメテルのゆりかご本陣


 雨が降り始めて数時間後、雨はその勢いを弱め、だんだんと降り止んできた。そして薄暗い雲の隙間からは、太陽がその姿を表し、強烈な光と熱を地上へと届けはじめる。

 雨上がりの、どこか喜ばしいような光景ではあるが、デメテルのゆりかごの野営地では、大きな混乱が生じていた。


「大変です巫女様ッ! 鉄砲水が来て、部隊が流されました!」

「こっちは、地面が泥濘ぬかるんで野営地のテントが崩れました!」

「なんでよッ!? 雨が降るって言ったでしょッ!!」

「は、はぁ……」

「言われた通り降りましたが……それが何か?」

「ッ……この無能どもがッ! 流された者の救助と、野営地の移動! 早くやってッ!!」

「「 はっ! 」」

「……ああ、もう本当に使えないッ! 雨が降るって言われたら、ふつう地盤が安定している所を選ぶでしょ!? それに、いちいち指示を出さないと救助も出来ないわけ!? ああ、本当にもうッ!!」


 本陣の天幕の中で、エレナは怒りを露わにする。

 デメテルのゆりかごは、巫女が兵達の上に立ち、指揮を執っている。というのも彼らの教義上、賢さは歓迎されない。つまり、彼らのほとんどは賢くはない。その結果、彼らは無謀な突撃戦術などに従事させられても何の疑問も抱かない、狂戦士となっているのだ。

 そのため、彼女達巫女がある程度の教育を受け、指導者として信者達を率いているのだ。


 だが、流石にこれは酷い。今までエレナは、数千人規模の小部隊の指揮はとった事はあっても、今回のような20万規模の軍団規模の指揮は初めてだった。

 この規模となると、一人では首が回らない。各部隊の指揮や管理などを行う上で、流石に現場指揮官クラスの人間には多少の知恵や能力が欲しいところだが、それも難しい。巫女同士は互いにライバル関係にあり、複数の巫女で戦闘に臨む事などほとんど無い。信者を教育しようにも、長年の教団による被支配関係から彼らに学ぶ意欲は無い上に、祝福による依存により学習能力があるかも疑わしい。それに、信者の教育は教義上望ましいものでは無い。


 そのような歯痒さをエレナは感じながら、また胃がキリキリと痛みを訴える。通常、彼女の年齢ではおよそ体感し得ないストレスに晒されながら、どうしたものかと思案する。


「巫女様! 食糧がありません。どうしたらいいですか?」

「食糧は無いと、先日から言っているはずなのに……空から降って来るとでも思ってるわけ?」

「はい? あの、どうすれば」

「……明日の攻撃が終わるまで、食事は抜き! その代わり、皆に祝福を配るから準備して!」

「祝福!? おお、すぐに準備させます!」

「こういうときだけ、仕事が早いのはどうにかならないわけ?」



 * * *



-同時刻

@ローシュ近郊 砂丘の影


 ローシュ近くにある大きな砂丘の影に、人が一人程入る事のできるタープのような物と、その入り口を砂と同じ色の網でカモフラージュした監視小屋のようなものがいつの間にか出来ていた。タープの周りには砂が盛られており、完全に周りに溶け込んでいた。

 その中で、フードを被った人物がアタッシュケースのような物を開いていた。その中身は通信機器であり、アンテナを伸ばし周波数を合わせると、どこかと通信を取り始めた……。


「クインビーより本部、“V”を捕捉した。繰り返す、“V”の捕捉に成功」

《でかした! では、現在の対象の置かれている環境と動向を報告せよ》

「対象は現在、スカベンジャーズのもとに身を寄せており、その本拠地であるローシュに滞在中」

《スカベンジャーズ……以前は協力関係にあったはずだが、現在は関係が途絶えているな?》

「はい。今のところこちらも接触は避けて、様子を伺うまでに留めています」

《了解。引き続き対象との接触は避けつつ、監視を継続せよ。それで、現在の動向は?》

「現在、敵性集団:デメテルのゆりかごが、ローシュに侵攻中。その数、およそ20万。“V”はローシュの民と協力し、これを迎え撃つようですね」

《20万!? た、確かなのか?》

「はい。ただ、その装備は原始的であり、個々の戦力は微々たるものかと。ローシュ側も、野戦築城を行なって対抗するつもりのようです。おそらく、“V”の入れ知恵では?」

《なるほど……では引き続き監視を続行し、戦闘の経過は逐次報告してくれ》

「はっ、了解しました!」

《では、以上だ。通信終了》


 通信を終えると、フードの人物は通信機器を片付けると独り言を呟く。


「ふぅ……雨のせいでカモフラージュに影響出てないか、もう一度確認しないと。それにしても、彼がウェルタウンに付かなかったのは幸いだったかしら? まあ、お手並み拝見といきましょうか♪」

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