第161話 忌々しきブートキャンプ
これは、とある男の昔話。今から2世紀以上昔の話である……。
-統一暦518年12月1日
@連合軍士官学校 モルデミール校
「気を〜つけッ! 総員、傾注ッ!」
──ザッ!
厳つい男の号令が響き、皆自然と直立不動の体勢を取る。
ここは、連合軍の士官学校だ。セルディアをはじめ、周辺国からも士官候補生を集めて訓練を行っているらしい。明らかにこの土地の顔立ちではない者も、チラホラ見える。
何故俺がこんな所にいるかというと、大学の教授に騙されて、無理やり志願させられたからだ。……あの
そんなことを考えていると、整列した俺達候補生の前に、数名の下士官が並ぶ。その中の一人……俺を研究室から、この基地まで連行してきたあのゲイ野郎と目が合い……というか、奴が合わせてきて、俺にウィンクしてきた。吐きそうだ……。
そして、帽子を被ったいかにも厳しそうな顔立ちの男が、俺達の前に立った。
「今日から貴様らを担当する、スペードマン先任軍曹であるッ! いいか、貴様らは今日から人間ではない、ウジ虫だッ! そして俺の役割は、ウジ虫を潰すことだッ! 連合軍に、役立たずは要らん。軍のレベルを下げる奴が士官になって、上に立てるなぞ思うなよ!? そんな奴は、辞めるまで一生便所掃除をさせてやるッ! それが嫌なら、せいぜい足掻く事だ! 分かったかッ!?」
「「「 …… 」」」
「分かったかッッ!!?」
「「「 サー、イェッサー! 」」」
「ふざけてるのかッ!? もっと死ぬ気で声を出せッ!」
「「「 サーッ! イェッサーッッ!! 」」」
「ふん、では次に移るッ! ……うっ、そ、曹長、お願いします……」
「は〜い♥ 男子の皆、こ〜んに〜ちは〜! ゲイル・タートルヘッド曹長よ〜♥」
「「「 …… 」」」
「ち・な・み・に、彼氏募集中よ〜♥」
「「「 …… 」」」
こうして、俺の人生におけるトラウマの半年間がスタートした……。
* * *
-数日後 早朝
@練兵場
「同盟軍は〜ろくでなし♪」
「「「 同盟軍は〜ろくでなし! 」」」
「女を放って酒浸り♪」
「「「 女を放って酒浸り! 」」」
「ローレンシア人痴女揃い♪」
「「「 ローレンシア人痴女揃い! 」」」
「いつでも●●●はビッチョビチョ♪」
「「「 いつでも●●●はビッチョビチョ! 」」」
「来てよ♪」
「「「 来てよ! 」」」
「欲しいの♪」
「「「 欲しいの! 」」」
「俺達行ったらやり放題♪」
「「「 俺達行ったらやり放題! 」」」
士官学校の朝は早い。ラッパの音で叩き起こされ、すぐに身支度を整えたら、こうして練兵場で走り込む。
ミリタリーケイデンス(ランニングの際に歌われる行進曲)が汚いのはお約束だが、士官候補生には女性もいるのだ。少しは歌詞を考えた方が良いのではないか?
「よ〜し、今日はこれまでだッ! 15分後に、食堂で朝食ッ! その後戦術の実技の後に、戦闘訓練だッ!」
「「「 サーッ! イェッサーッ!! 」」」
士官学校でする事と言えば、ひたすら訓練と体力作りである。電脳化が一般化した現在では、知識を詰めるだけなら簡単にできてしまう。もちろん、電脳の適正による個人差はあるが……。
そのせいで、毎日筋肉痛の日々を送っている。
「ふ〜、慣れましたかヴィクターさん?」
「やめろ。“さん”はいらないって、何度も言ってるだろイーライ」
「まあまあ、俺達より年上なんだし……」
「4つ位しか変わらんだろ?」
「一回りも上じゃないですか……」
練兵場を歩いていると、同期のイーライが話しかけてきた。
コイツの言う通り、俺は候補生の中では最年長だ。軍には、成人した16歳から志願する事ができる。なので、周りにはその位の年代が多い。俺は20になっているので、何となく出遅れ感がある。
「まあ、俺の場合はお前らと違って、軍に骨を埋める気は無いからな。別に年齢は気にする事じゃ無いな」
「そういえばヴィクターさん、大学で何か研究してたって言ってましたよね?」
「ああ。このブートキャンプが終わり次第、俺は研究の日々に戻る予定だ」
「あら、そんなこと言わないで、本当に軍に入って来てもいいのよヴィクターちゃん♥」
「「 げぇっ……! 」」
俺達の背後に、いつの間にか例のゲイ教官……ゲイル曹長が立っていた。コイツは、事あるごとに俺を追い回し、自分のケツを掘らせようとしてくる変態だ。こんな奴、今すぐに消えた方が世界は平和になるだろう。
「ゲイ教……げ、ゲイル曹長どの……こんな朝から何の用で?」
「二人が目に入ったから声かけちゃった♥ でも、勿体ないわよヴィクターちゃん。【電脳適正】も高いし、訓練にもちゃんとついて来れてるし……。そうだ、上層部にかけあって……」
「せ、せっかくのお話ですが、自分にはやりたい事が……」
「あら〜、夢を追う男ってス・テ・キ……♥」
「オエッ……そ、そういうのはイーライの方がいいんじゃないですかね? 彼、出世したいみたいですし」
「イーライちゃん? あら、あの子ならもういないわよ? トイレかしら」
「なっ、クソ……あいつ、俺に押し付けやがったな!」
いつの間にか、俺の横にいた筈のイーライがいない。俺にゲイ教官を押し付けて逃げたのだ! 許せん……絶対に許さないぞッ!!
「じゃあ、二人きりになったし……ヒ・ミ・ツ♥の、個人レッスンでもしましょうか!」
「結構ですッ! 俺には、食堂で朝食が待ってるんだよぉッ!!」
「いやん、怒鳴るなんて怖いッ! ……でも、男らしくて素敵よヴィクターちゃん♥」
「ぬぐぐぐぐぐッッ!!」
話が通じない事に対し、急激にストレスが溜まるのを感じる。爆発しそうになるのを必死で抑え、耐える。
俺には宇宙開発機構への入構という、輝かしい未来があるのだ。こんな下らないことで暴れて、俺の経歴に傷がつくのは許せん。上官への暴力で軍法会議の後、入構拒否など目も当てられない。
そんな時だ、俺に女神様が舞い降りた……。
「教官殿、おはようございますッ!」
「……」
「え、あれ? きょ、教官殿、どこ行くでありますか!?」
「……ふぅ〜、助かった。ありがとな、レイナ!」
「ま、また無視されたでありますぅ……」
「あんなゲイ、放っておけよ。気にすんな」
「でも、自分はまだ教官と言葉を交わしていないであります……。自分、嫌われているでありますか?」
「嫌われてるっていうか、どっちかっていうと無関心だろうな」
女神様こと、俺と同じ士官候補生のレイナ……彼女が話しかけてくれたおかげで、ゲイ教官は無言でその場から立ち去ってくれた。
ゲイ教官は、普段から男性候補生達に粘着しているが、女性候補生達には、まるでその場に存在していないかのように振る舞う。好きの反対は無関心と言うが、幸いなことにゲイ教官は女性が近くにいると、それを無視すべく何処かへ行ってしまうのだ。
「うう……これが、軍の縦割り社会って奴でありますね……勉強になるであります!」
「いや、多分違うと思うぞ……」
「えっ、そうなんでありますか? ……おおっ! そ、それはつまり、古来より軍人に伝わる男色の……」
「概ねそうだが、誤解するなよ? 俺はマトモな人間だからな?」
レイナは、小説家を目指しているそうで、そのネタ集めの為に軍に入ったという、独特な価値観を持った娘だ。話し方も、どこから
「教官って独特なキャラですので、今後の小説のいいネタになりそうだったでありますが……。そういう事なら、仕方ないでありますね」
「……ん? いや、それは困る! 今後も俺が絡まれてたら、是非何としても話しかけてくれッ!」
「え……でも、人が嫌がることはするなと父が……」
「いい親父さんだな、ちくしょう! なら、人が嫌がってることを止めてくれよッ!」
今後も、彼女には俺が絡まれている時に助けてもらいたい。でなければ、俺の貞操が危ない!
「……とにかく、俺も協力する! お前はネタが欲しい、俺はそのパイプ役をやる。期間はあと半年しかないんだ、諦めずチャレンジあるのみだ!」
「おおっ、なんだか燃えてきたでありますね!」
何とか、レイナを言いくるめて、俺の教官撃退に協力してもらうことに成功した。
「よし、そろそろ飯に行こうぜ! 早くしないと、席が埋まっちまう!」
「あっ、待つでありますよヴィクター殿〜!」
* * *
-統一暦519年5月28日
@兵舎
俺達がこのブートキャンプに来てから、既に半年が経つ。もうすぐ、最後の演習を終えれば、俺達は晴れて士官の仲間入り……まあ、俺の場合はノア6とかいう産廃施設で研究の続きをする予定だがな。
これまでの日々を振り返れば、酷い毎日だった……。ゲイ教官に追いかけ回されたり、ゲイ教官に追いかけ回されたり、ゲイ教官に追いかけ回されたり……マズい、止めよう。奴の顔しか出てこない、吐きそうだ……。
「そういえば聞きました、ヴィクターさん?」
「なんだ?」
「また、脱落者が出たらしいです。今度はC班で……」
「C班……誰だ?」
「それが、あのスタンリーらしいです……」
「なんだって!? クソ、いい奴だったのにッ!」
兵舎のベッドで新聞を読んでいると、イーライが話しかけてきた。どうも、他の班でまた脱落者が出たらしい。
ブートキャンプでは、その厳しさについて来れずに、軍を辞めてしまう者がいる。別に珍しい事ではない……が、辞めていった者達は、皆とても辞めそうにないような連中が多かった。ハッキリ言って異常だ。
「また、奴なのか?」
「ええ……。聞いた話では、スタンリーが居なくなったその日、奴の顔はツヤツヤしてたらしい……」
「てことは、スタンリーの奴……掘らされたのか……」
その異常の原因は、判明している。……いや、確たる証拠は無いので、あくまでも憶測の域を出ないが、間違いない。
原因は、奴……ゲイ教官だ。奴は男性候補生に目をつけると、ありとあらゆる手段を講じて、自分のケツを掘らせようとするのだ。スタンリーの奴もきっと……いや、考えるのはよそう……。
それにしても、明日には最後の演習だったというのに、運がなかったというか、理不尽というか……。
軍の上層部に訴えようにも、軍の縦割り社会では難しいし、たかだか候補生の訴えで、憲兵や軍法会議が動くとも思えない。
社会的に見ても、ブートキャンプを脱落するような軟弱な元候補生に対して、同情は得られないだろう。そんな環境だからこそ、あのようなモンスターが生まれてしまったのだろうか……。
「ヴィクターさん、明日の演習……」
「やめろ、考えるな! とにかく、今は明日に備えて体力を蓄えるんだ」
「そう……ですね。そうします! 明日は生き残りましょう!」
「おう!」
明日は、このブートキャンプ最後の試練……夜間の山越え演習だ。この演習をクリアしてはじめて、俺達は士官になれる。
いわば、俺の……いや、皆の人生がかかっているのだ。必ず、突破してみせる!
ただ、唯一の心配は、その演習に奴が参加するという事だ……。
* * *
-翌日 夕方
@連合軍演習場 モルデミール森林地帯
「よし! この分だと、日の出には山頂に着きそうだな……って、おいイーライ遅れてるぞ!」
「はぁ、はぁ……俺の方が若い筈なのに……」
「はっ、テメェはいつも俺にゲイ教官を押し付けて逃げてたからな! 俺は奴から逃げてたから、お前と違って鍛えられてんだよ!」
「も、もしかして怒ってます?」
「当たり前だろ! 逆に、どういう神経してたら怒ってないと思えるんだ?」
「ハハハ……」
ブートキャンプ最後の試練……それは、夜間に山越えをするという危険極まりないものだ。暗くて視界の悪い中、夜間の森を抜け、足場の悪い山を登る。
陽が落ちる中、まだかろうじて太陽の恩恵を受けられるうちに、少しでも移動しておく必要がある。
「……まあ、行こうぜ。そういうのは後回しだ」
「さすが、大人ですね!」
「……お前、やっぱ喧嘩売ってるだろ?」
「いやいや、誤解ですよ!」
「チッ、後で覚悟しとけよ? ほら、行くぞ!」
俺達は、森を抜けようと歩みを進めた……。
「ふふっ、そろそろ忌々しい紫外線も弱まった事だし……。ヴィクターちゃん、待っててねぇん♥」
その後を追うように、何者かの影が近づいている事も知らずに……。
* * *
-翌日 夜
@連合軍演習場 モルデミール山岳地帯
《嫌だぁ、嫌だぁぁぁぁッ!!》
《挿れたくないッ! ヤメロォォォォッ!!》
《誰かぁ、助けてぇぇッ!!》
──アーッッ!!
──やめてくれェェッ!
遠くから、男達の呻き声が聞こえてくる……。ついでに、電脳にも断末魔の通信が入ってくる。遂に、奴が動き出したのだ!
ゲイ教官……奴はサバイバル教官であり、この演習のいわば監督者だ。奴は、その立場を利用して、男性候補生達を次々と襲っているらしい……。
俺達にとって運の悪い事に、この演習は男性限定だ。レイナのような、奴にとっての邪魔がいない今、この山は奴の狩場だ。
しかも、この演習はただの山越えではない。敵地からの逃走を想定しているのだ。当然、監督者からの邪魔が入るし、戦場では何が起こるか分からない。自分を襲った敵が、貞操を脅かす事も──
「……いや、やっぱ無いだろそんな事! ドSで、ナイスバディの姉ちゃんが
「何か言いました、ヴィクターさん?」
「いや、何でもない。とにかく、声は遠い……俺達は今のうちに……」
「そ、そうですね……。皆んな、すまない!」
仲間達の尊い犠牲に目を瞑りつつ、俺とイーライは山を登る。もちろん、助けに行こうなどとは考えはしない。戦場は非情なのだ……。
*
*
*
「よし、そろそろ森林限界だな。お月様が綺麗だぜ」
「あとは、稜線に沿って山脈を進むだけですね」
陽が落ちて、僅かな灯りを頼りに山を登っていると、次第に満天の星空と、月が見えてくる。だんだんと高木が少なくなり、森林限界に来た事を体感する。ここまで来れば、残りの道のりはあと半分と言ったところか。
「よし、あと半分だ。この調子ならいけるぞ、イーライ!」
「そ、そうですね! 思えば、なんだかんだ言って俺達って良いコンビでしたよね」
「そうだな。ゲイ教官を押し付けられたり、ゲイ教官を押し付けられたり、ゲイ教官を押し付けられたりしたけどな!」
「……やっぱり、根に持ってるじゃないですか」
イーライとは、なんだかんだでこの半年間でかなり仲良くなれた。いつまでも「さん」付けはとれなかったが、これは渾名のようなもので、別に変な意味は無かった。
今後、俺は軍を辞めて、別の機関で働く身となるかもしれないが、彼とはいつまでも友人でいられる……そんな気がする。とりあえず、この演習が終わったら、二人で飲みに行こう。
ここまで来て、俺達はいつの間にか油断していた。森を抜けつつあり、後半分という事で浮かれていたのかもしれない……。
「……そういえばヴィクターさん、さっきから周りがやけに静かですよね?」
「言われてみればそうだな。流石に、候補生全員喰えるはずは無いから、もう満足したんじゃないのか?」
「そ、そうですよね……アハハ」
そんな事を駄弁っていると、森の中に不気味な声が響く……。
『オホホホホ、みぃ〜つけた♪』
「「 ……ッ!? 」」
その声はまさしくゲイ教官の声であった。暗闇のせいか、その姿を捉える事はできないが、奴には俺達の事を捉えられている。これは非常にマズい状況だ……。
近くの木に背を預けて、周りを警戒する。
「ヒィィ〜、もうダメだ! お終いだ〜ッ!!」
「おい、イーライ大丈夫か!? クソッ、どこにいやがるゲイ教官ッ!」
「あら、呼んだ? ヴィクターちゃん♥」
「「 ギョワーッ!! 」」
俺が声をかけると、ゲイ教官は俺達の背にある木の上から、逆さ向きになって俺達の目の前に現れたのだ!
恐らく、木の上からロープか何かで吊り下がっているのだろうが、その姿はホラーそのものだ。月明かりが奴の逆さまのニヤけ顔を照らし、非常に不気味だった。
「もう、ヴィクターちゃんったら、いっつもつれないんだから♥ でも今夜は特別……この神聖な山には今、男しかいないわ♥ いつもみたいに、逃げられないわよ?」
「く、クソッ!」
「いくわよ、メンズUFOキャッチャーッ!! ヴィクターちゃんゲッチュ♥」
「おっと……」
「は? うわぁぁぁッ!」
ゲイ教官が腕を広げて、ブランコの容量で近づいてきたので、無意識に避けて、腕で軌道を逸らす。すると教官は、俺の隣にいたイーライの腰をがっしりと掴んだ。
「クンカクンカ……ん〜、このメンズスメルは、イーライちゃん♪ 」
「ヒィィィィィッ!!」
「まあ、ヴィクターちゃんはメインディッシュだし、先に前菜を頂こうかしら♥」
そう言うと、ゲイ教官はどういう原理か知らないが、イーライを抱いたそのままの姿勢で、さながら蜘蛛のようにスルスルと木の上へと登っていく……。
「さっきいっぱい絞ってきたから、まだヌルヌルよ〜♪ 良かったわね、イーライちゃん♥」
「うわぁぁぁッ! ヴィクターさん、助けて!」
「悪いな、イーライ! 達者でなッ!」
「なっ、待てッ! ヴィクタァァァァァッ!!」
さっき、彼とはいつまでも友人でいられる気がするとか思ってたが、やっぱり気がするだけだったわ。全ては誤解、不幸な勘違いというやつだ。
イーライには悪いが、今まで俺にゲイ教官を押し付けてきた報いを受けてもらう。せいぜい、俺が逃げるために役立ってもらうとしよう……。
酷い? いやいや、これはイーライの自業自得だ。俺は悪くない!
「ヴィクターちゃん、待っててね〜♥ じゃあ、イーライちゃん……いくわよ?」
「ぎょわぁぁぁぁぁぁッッ!!」
背後からイーライの断末魔と、木の揺れる音が聞こえてくるが、俺は振り返ることなく、その場から走り去った……。
* * *
-数十分後
@モルデミール山岳地帯 尾根
「はぁ、はぁ……こ、ここまで来れば……」
「ヴィクターちゅわぁん♥ 待ってぇぇ!!」
「うんぎゃぁぁあッ!!」
あれから、少しでも奴から離れるべく、全力で山を駆け上がってきたが、奴は執念深く追ってきた。振り返ると、奴の姿を捉える事ができた。
「クソッ! 捕まってたまるかよッ!!」
「もう、素直じゃないんだから♥」
「うるせぇッ!」
「ほらほら、そんなんじゃすぐに捕まえちゃうわよ♥」
「くっ……これでも喰らえッ!」
「あっ……いや〜ん、ひっど〜いッ!!」
俺は、至近に来た教官めがけて、背負っていた背嚢を投げつけた。狭い尾根道で避けられなかったのか、教官はそのままバランスを崩して、滑落していった。
暗くて見えないが、多分生きてるだろう。奴がこんな事でくたばるとは思えない。
「やり過ぎたか? ……いや、ここは戦場だ。何があっても問題ない筈だ。それにあんな奴を野放しにしている、上層部が悪い」
そう自分に言い聞かせながら、俺は先を急ぐ。
* * *
-明け方
@山頂付近
もうすぐ山頂だ……。後は、下るだけだ。足場に気をつける必要はあるが、登りよりは気分が楽だ。
空もだんだん白んできて、朝の訪れを告げる。
「よし、あと少し……」
(……クタ〜ちゅわぁん!)
「な、なんだ……!?」
「ヴィ〜クタ〜ちゃ〜んッ♥」
「はっ、まさか……いや、そんなはずはない、そんなはずは……」
背後から聞こえてくる声に、恐る恐る振り返ると、そこには滑落したはずのゲイ教官が、手を振りながら尾根を駆け上がって来ていたのだ!
「ヴィクターちゅわぁん♥ 待ってぇぇ!!」
「うんぎゃぁぁあッ!! 生きてるとは思ったが、ピンピンしてんじゃねぇよッ!」
「オホホホホ、この私を倒したいなら、巡航ミサイルでも持って来なさ〜い♥」
「クソ、捕まってたまるかよッ! 俺には夢があるんだよッ!!」
「夢に向かって頑張る男はステキよ〜♪ 」
「うるせぇッ!」
俺は、今まで生きてきた中で、一番の全力を出して尾根を駆け上がる。今までの生活で、走り込みの時などにゲイ教官がよく俺のことを追っかけて来たりしていたので、自然と鍛えられて、遂にはゲイ教官を振り切るくらい逃げ足は早くなっていた。
「ヴィクターちゅわぁん♥ 待ってぇぇ!!」
「ついてくるなッ! うぉぉぉぉッ!!」
「あらん、意外と速いわね……」
「はぁ、はぁ、もっと速く、限界を超えろぉぉッ!」
「ちょ、ちょっと! 待ってよ〜ッ!」
一時は、奴を振り切れそうな状態になった。だが、ここは山道だ……限界がある。対する奴はサバイバル教官だ、経験は奴の方が勝る。
俺は山の薄い空気と傾斜で疲労し、ペースが落ちた。一方の奴は、ペースが落ちる事は無かった。次第に離した距離を縮められ、遂に山頂に到達したまさにその時、俺達は対峙する事になってしまった……。
「ヴィクターちゃん、諦めなさい♥」
「く、クソ! ここまでなのかッ!?」
「さあ、ズボンを脱ぎなさい♪ あ、もしかして脱がされる派かしら?」
「俺の夢が……あの研究が認められなくなったら、俺は今まで一体何の為に……」
「さあ、ご開帳よッ♥」
「やめろ、触るなッ!」
「痛ッ! もう、酷いじゃ……ッ!?」
手を伸ばして来た教官を突き飛ばしたその時、東の山脈から陽の光が差し込み、朝の到来を告げる。その様子はとても幻想的で、俺の人生の最期を迎えるにはもったいない光景だった。
同時に、どこか諦めのような感情が芽生え、ゲイ教官を見据える。もう、どうにでもなれと、そんなことを考えていると、奴の様子が変なことに気がつく。
「い……いや〜ん紫外線よッ! 山の上は強いのにぃぃッ!」
「……は?」
「よりにもよって、こんな時に日焼け止めが無いッ! どこいったのかしら!? ……あっ、さっきヴィクターちゃんに落とされた時! きっとあの時だわ!」
「……」
「いや〜ん、もういや! おうち帰るッ!」
そうのたまうと、ゲイ教官はものすごいスピードで、来た道を引き返していった。
何がどうなってるかは分からないが、とにかく今のうちにゴールを目指して進むべきだろう……。
俺は山頂を超えると、山を下るのだった。
* * *
-数時間後
@マンゴラ-セルディア国境 山岳地帯
俺はゴールである北の隣国、マンゴラとの国境地帯に到達した。そこは、野外パーティー会場と化しており、山越えを終えた俺を出迎えてくれた。
「おめでとう、ライスフィールド少尉ッ!」
「スペードマン軍曹!? これは一体……それに、少尉って……」
「ハッハッハッ、決まっとるだろ! 貴様は今日でウジ虫卒業だッ! 晴れて俺達軍人の仲間入りって訳よ! ほら、とりあえず食えッ!」
「ムガッ!? モゴゴゴッ!?」
「ほら、美味いか少尉!? ハッハッハッ!」
鬼教官のスペードマン軍曹に、ケーキを無理やり食わされる。この人は、最後までこうなのか……。
周りを見ると、他の候補生達がお互いに抱き合ったり、テーブルで食事をしたりと、ブートキャンプを終えた喜びを分かち合っていた。
パッと見るとめでたい光景だが、ただ一つ気になることがあるとすれば、この場にいたのが女性候補生だけだったという事だ……。
「お〜い、ヴィクターどのー!」
「ん、おおレイナ! 演習はどうだったんだ?」
「もちろん通過したでありますよ! ……まあ、内容は男性より軽いものだったので、そう誇れるものではありませんが」
「いやいや、そんなことないって! それより、いいネタが集まったんじゃないか?」
「それは勿論であります! 当分は、勤務しながら小説を書くつもりであります!」
「応援してるぞ! そうだ、他の連中はどうしたんだ?」
「はて、他の連中……とは?」
「男子だよ。まさか、ここにいるの俺だけなのか?」
「そうでありますね……おそらく、ヴィクター殿が一番乗りなのでは?」
「そうなのか? まあ、待ってればそのうち誰か来るか」
「あ、ヴィクター殿、あそこのケーキ美味しかったでありますよ! やはり、地獄の訓練を終えた兵士は、ケーキを食べるものであります!」
レイナに連れられ、女の子達とケーキを食べる。一番乗りの特権だろう。他の奴らが来たら、羨ましがるように、せいぜい楽しんでおこう。
俺はそんな事を考えていたが、この事が完全に裏目に出るなど、この時の俺は知る由もなかった……。
* * *
-1時間後
@野外卒業パーティー会場
「なあレイナ、さすがに遅過ぎだよな?」
「そうでありますね……。他の教官達も騒ついてるみたいであります……」
俺がゴールしてから、既に1時間が経過するが、他の奴らがゴールすることは無かった。流石に異常だと判断したのか、スペードマン軍曹をはじめとした教官達が、何やら話し合っている。
だが、噂をすれば何とやらとは言ったもので、皆の心配は杞憂に終わる事となる。
──ザッザッザッ……
「ん? ヴィクター殿、何か聞こえるであります」
「なんだ?」
──ザッザッザッ……
何かが行進するような、そんな音が山の方から聞こえてくる……。そして、それは段々と近づいて来て、遂にその姿が森の中から現れた。
その正体は、ゲイ教官を先頭に、二列で行進する男性候補生達であった。その姿は燃え尽きたような、疲労困憊の様子であり、皆の顔からは生気が抜け、さながら幽鬼の群れであった……。
「こ、これは一体どういう事だ!?」
「あら、スペードマンちゃん! 出迎えありがとうね♥」
「タートルヘッド曹長、説明しろ!」
「皆が、山の中で倒れちゃったから、私が喝を挿れてあげたのよ♥ ホントなら私は受けなのに、困っちゃうわ〜」
「ま、まさかこの全員を……!? この変態がッ! これでは何人が残ってくれるか……」
「まあ、また若い子連れてくればいいじゃない! 若い子は好きよ♥」
「貴様ァァッ! 今、軍が人手不足なのは知っとるだろうがッ!」
軍曹が、上官であるはずの曹長に説教するという不思議な光景に、皆呆然とする。……レイナは、何やらメモ帳に書き込んでいるが、触れない方がいいだろう。
俺は、幽鬼の群れ……じゃなかった。仲間達の元へ行くと、イーライがいるのに気がつき、話しかけた。
「お、おい……イーライ?」
「……あ、ああ……ヴィクターさんじゃないですか。女の子達に囲まれて、羨ましいですね……」
「何言ってるんだよ、お前も混ざれよ! ほら、あの美人だけど堅物のカタリナちゃんいるだろ? あの娘、話してみたら意外と面白いぞ。多分、イベントではっちゃけるタイプなんだな」
「……いや、興味ない」
「お、おい……大丈夫かイーライ? 何だか、顔色悪いぞ?」
「……ヴィクターさん」
「はい」
「……俺達、もう女は抱けない身体になっちまった」
「はぁ!? ど、どういう意味だよそれ?」
「……聞きたいか?」
その時、俺は気づいてしまった。イーライを始め、他の男達の死んだ目が、俺を見つめている事に……。そこには、絶望が映っているように感じられた。
「いや……遠慮しとく……」
「……じゃあな」
そう言うと、イーライ達はそれぞれ男達だけでテーブルにつき、無言で座り始めた。座ってから彼らは微動だにせず、無言の圧力が会場を包む……。
その後女子達も、無言の圧力に耐えられなかったのか、自然と口数が減り、俺達のブートキャンプの卒業式は散々なものとなってしまった。
そんな状況にも関わらず、ゲイ教官は俺を見つけるや、話しかけて来た。
「もう、私から逃げられた男はヴィクターちゃんだけよ!」
「……」
「これでお別れなんて嫌よ! ヴィクターちゃん、今度の休日デートしましょう♥」
「……」
「ちょっとヴィクターちゃん、黙ってないで何か言ってよ! ……まあ、黙ってるヴィクターちゃんもス・テ・キ♥」
「……」
「ヴィクターちゃん? ヴィクターちゃん!?」
「……」
ここまできて、俺はようやく気がついた。無関心、無視、それが一番効果的だという事に……。
後に知った事だが、今年の男性候補生は、その実に4分の3がその場で入隊拒否して、去っていったそうだ。もう、この辺りの連合軍はダメだろう。いつか破綻するに違いない……。
* * *
-数週間後
@セルディア連合軍病院 電脳精神科診察室
「──てな事があって。もう、毎日悪夢でうなされてて……」
「う〜ん、典型的なPTSDだね。……それより、色々とまずいでしょその教官!? 憲兵とか、上層部は把握してるのかい!?」
「さぁ? してても、対応してくれるとは思いませんけどね。マスコミとかヤバイでしょ?」
「そ、そうかな? でも、一軍医の力じゃどうしようもないかな……」
「そんな事より先生、記憶は消してくれるんですよね?」
「あ、ああ……処置はするよ」
ブートキャンプを終えてからはや数週間……。俺は、あの時の出来事がすっかりトラウマになり、毎晩悪夢を見るようになってしまった……。
もう我慢の限界だったので、こうして病院を受診して、記憶を消してもらう事にした。
昔は、精神科の治療といえば薬漬けだったらしいが、電脳化が普及した今では、原因となっている記憶や思い出を消したり、伝達物質の分泌を整えたりする事で治療できるようになった。
まあ、「記憶を消す」とは言うが、厳密には記憶にロックをかけて封印するようなもので、思い出そうとすれば思い出せる。何かの拍子に思い出したりもするし、完全なものではない。だが、日常生活で気にしなくなる程には効果がある。そんな代物だ。
「どれどれ……んん? ヴィクターさん、記憶を消すのは初めてじゃないね?」
「え、えぇ……一度処置してもらった事があります」
「しかも、結構な容量だね……いくら辛いからって、簡単に消すもんでも無いよ? 最近だと、記憶を消し過ぎると自我が崩壊するって論文も出てるんだから。いくら電脳適正が高いからって、油断しちゃダメだよ?」
「はい、気をつけます……」
「まだ若いんだから、辛い事にはちゃんと向き合わなきゃね? ……まあ、今回は処置してあげるけど、次回は止めるからね?」
「お願いします」
* * *
こうしてゲイ教官の記憶を封印して、俺の生活は劇的に改善された。未だに、たまに夢には出てくるが、それでも元どおり研究に打ち込めるようになった。
そして、俺はいつの間にかブートキャンプの日々を思い出さなくなり、遂にコールドスリープ装置を完成させた。まさか、210年後に目覚めるとは思わなかったが、それでも崩壊前よりも楽しんでいると思う。
ハーレムを作ったし、レンジャーランクも高いし社会的信用もある。最近じゃ、グラスレイクという自分の居住地を発展させている真っ最中だ。こんな事は、崩壊前では絶対にできない事だ。
そんな日々を送っていたからこそ、巨人の穴蔵で奴と再会した時は、混乱した。実は、今までの事は全て夢で、俺は今も士官学校の兵舎のベッドの上にいるのではないか……とか、柄にもない事を考えたりした。
だってほら、今でも奴の声が聞こえて来るのだから……。
──ヴィクターちゅわぁん♥ 待ってぇぇ!!
□◆ Tips ◆□
【帝国】
正式な国号は『ナパージュ皇国』という、太平洋に存在する島国。世界大戦時代初頭、領内に隕石が落下するという被害に遭い、それを機にローレンシアが侵攻を開始。陥落は時間の問題と思われていたが、当時の世界の技術水準では製造が不可能なレベルの兵器の投入により、これを撃退。ローレンシアにより3回の艦隊派遣が行われたが、この全てを海の藻屑に変えた。
大戦後に鎖国を宣言し、外交の世界から姿を消す。唯一の例外として、レガル共和国との国交は限定的に維持していたが、他国との交流は基本的に断たれていた。
“敵対識別圏”と呼ばれる、帝国の主張する領域に侵入した航空機、船舶は警告なしに即撃墜、撃沈させられてしまう。民間のものも例外ではなく、かつて侵入した民間機が撃墜され、これに抗議する為の使節団を送り込んだ国もあったが、使節団の乗った飛行機すら撃墜されてしまい、完全に交渉の余地が無い状態となっていた。
そんなある種危険な国ではあるが、島国故に独自の文化体系を持っており、世界中である種の憧れのようなものを抱かせる、魅惑の国として認知されていた。
オカルト信者の中には、大戦当時落下した隕石は、隕石ではなく異星人の宇宙船であり、彼らから得た技術を用いてローレンシアを撃退したのだと主張する者達もいる。
【電脳適正】
文字通り、電脳化に対する個人ごとのマイクロマシンへの適合性を数値化した指標。IQ(知能指数)に代わる、新時代の評価項目であり、この数値が高ければ高い程、学習できる項目が増え、身につく技能も相対的に多くなるなど、電脳化による恩恵を受けやすい。
崩壊前の人間にとってはステータスの一種であり、社会的信用の判断などに用いられていた。
0〜100の数値で表され、崩壊前の人間の平均値は50前後であった。また、あらかじめ電脳化を前提に作られているバイオロイドの電脳適性は、そのほとんどが100に近い。
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