第52話 不可視の侵入者

-街を出て8日目:夜

@死都郊外 旧拘置所:独房


──バシャっ!!


 バケツに入った冷たい水をかけられ、カティアは目を覚ました。


「くっ……!」

「目が覚めた? カティア……」

「……ジュディ!」

「カティア、もう一度聞くわ。仲間になる気は無いの?」

「ッ! なるわけないでしょ! 何度言われたってお断りよッ! ジュディ、あなたこそこんな事辞めたらどうなの?」


 カティアはジュディに敗れた後、狼旅団のアジトとなっている旧拘置所に連行され、独房に閉じ込められていた。捕まってから数日が経つが、特に乱暴されたりすることは無く、こうしてたまにジュディ達が仲間になるように話しに来る位で、後は暇を持て余していた。


「……これが最後。ほんとに仲間になる気は無いのね、カティア?」

「くどいわね! ならないって言ってるでしょ!?」

「……わかった。もうどうなっても知らないからね?」

「ふん、あなた達こそ今に天罰が下るわッ!!」

「神様なんていないって、神父も言ってたじゃないの……」


 ジュディは、独房の鉄の扉を閉めると立ち去って行った。


(……あんたが悪いんだからね、カティア)


 カティアが囚われていたのは、地下の独房だ。元々は死刑囚を収監していたらしく、窓のない独房が何房かあるが、ここにいるのは現在カティアしかいない。というのも、周辺の村々を襲撃した際に捕らえた人間は、地上階の雑居房に収監しているので、現在地下の独房の殆どは倉庫として使われているのだ。

 ジュディが階段を上がり、地下房への入り口に戻る。独房のある地下へは、鉄格子のある出入口を抜けて階段を下りていく必要がある。ジュディは、その出入口の見張り番のシフトに就いており、こうして暇を見つけてはカティアに話し掛けていたのである。


(交代来るの遅いな……)

「おい、そこの女! 捕らえたレンジャーがいるというのはここか!?」

「あ゛!?」


 壁に背を預けて立っていたジュディであったが、声のする方に顔を向けると、ブサイクな二足歩行する豚という表現が似合うデブが、ブヨブヨとした腹を揺らしながら歩いてきた。

 ……確か、スカドール家の長男とか言っていた。ピートとか言っただろうか? 何日か前に、このアジトにコイツら自治防衛隊の連中が来たときは臨戦態勢になったが、すぐにアジトのボスが出てきて、この豚にペコペコし始めた時は驚いた。まさか自治防衛隊がグルになっていたとは……。やっぱり世の中腐ってると思ったものだ。それから、予定されていた集会は延期され、アタシらはアジトの防衛をすることになったのだ。


「チッ……はいはい、そうですよ」

「なぜ、レンジャーを捕まえた事を僕に報告しなかったんだ!? しかも、あの憎きガラルドめの弟子だとかッ!!」

「はぁ……うちのボスには伝えましたけどねぇ」

「クソッ、どいつもこいつも役立たずばかりッ!! どけ、そいつに会わせろ!!」

「いや、ここは誰も通すなってボスが……」

「ここで一番偉いのは僕だぞ!! どけ!」

(チッ、喚くな豚が!)

「い、今なんか言ったか!?」

「ああ゛ん!? っるせーな、さっさと行けばいいだろ」


 ジュディは、地下への鉄格子を開ける。


「ふん、さっさと開ければいいんだ! 憎きガラルドの弟子には、この僕が直々に制裁を下してやるっ! ……ふひひっ」

(この豚野郎ッ!! ……私は警告したからね、カティア)


 ピートは鉄格子をくぐると、階段を下りて行った。男が女にする事なんて決まっている。同じ孤児院出身のよしみで、カティアの事をぼかして報告し、今日までかくまってきたつもりだったが、これまでのようだ。幸い、もう交代の時間だ……カティアの悲鳴は聞かずに済みそうだが……。


(まだ交代が来ない……クソッ、早くしてよね!)


 もう、交代の時間が過ぎてしばらく経つが、交代は来ない。寝ているのだろうか。


(チッ。呼びに行くか………)

 

 ジュディは、交代の人間を呼びに連絡通路を歩いていく。アジトの拘置所は監獄と本部の2つの建物に分かれており、建物は連絡通路で繋がっていた。狼旅団の構成員は主に、本部の建物で寝泊まりしているので、交代を呼びに行くには本部まで行く必要があった。

 ジュディがふと外を見ると、奇妙な事に気が付いた。建物の外で、月明かりに照らされた、白い霧の様な物が発生していたのである。


(霧……? ッ! 何……コレ!?)


 建物に窓は無い。長い年月を経て、割れていたり脱落しているのだ。その窓から入り込んだ霧を少し吸い込んでしまったジュディは、意識が遠のく感覚に陥った。


(……マズい!)


 ジュディは来た道を引き返し、近くの部屋のドアを開けて、部屋の中へと転がり込むと、急いでドアを閉める。


「ぷはぁ……はぁ……な、何!? 何、今の!?」


 あの霧はヤバい……本能でそう悟ったジュディは、霧の及ばない部屋の中へと避難することができたが、その頭はグルグルと重く、身体はフラフラであった。

 しばらく息を整えていると、部屋の外から足音が聞こえて来た。


(だ、誰? 外は平気なの!?)


 恐る恐る、部屋のドアを開けて様子を見るが、霧は本部の方に集中しているらしく、ここ監獄には霧が漂っていないようだった。だが廊下を見渡しても、先程の足音を出した人物は見当たらなかった。


「……ッ!?」

『うおっ、マジか!?』

「な、何……これ!?」


 背後から不審な気配を感じとったジュディは、素早く振り向きざまに裏拳を繰り出したが、その腕は何も無い空中で止められた。腕からは、誰かに掴まれている感覚がある……誰かいるのか!?

 素早く腕を振り払うと、ジュディは後ろに飛び退いて周りを見渡す。だが、やはり誰もいない。しかし、声は聞こえていた……誰かいるのは間違いない筈だ。


「だ、誰かいるのッ!? 出てこいッ!」

『……こうなったら、フェアじゃないよな』


 くぐもった男の声が聞こえてきたと思ったら、急にジュディの目の前に、変なマスクをした不審な男が現れた。


「な、何だテメェは!?」

『おっ! よく見たら、君いい身体してるじゃん♪ 愛人候補になるかな?』

「クソッ、何言ってんの!? そっちが来ないならッ!」


 ジュディは手に持ったバットの様な物で、目の前の不審な男に殴りかかる。男は攻撃を避けるが、反撃してこない。その後何度も攻撃を続けるも、男に攻撃が当たることは無かった。何度もパターンを変えて攻撃を試みた後、カティアの時と同じように、バットで攻撃すると見せかけて、バットを捨て、正拳突きを男に叩き込む。ジュディの必殺とも言えるこの技は、初見で回避できる人間はこれまでいなかった。……だが。


「な、なあっ!?」

『あ〜、ビックリした……』


 男はジュディの腕を片手で掴み、ジュディの懐に入っていたのだ。まさかこの技が見切られると思っていなかったジュディは激しく動揺し、その額からは冷たい汗が滴り落ちた。


『よっと!』

「くっ……!?」


 男はそのままジュディを地面に引き倒した。……だが、ジュディはその衝撃をあまり感じる事は無かった。ソフトタッチな着地……男が手を抜いているのは明らかだった。

 ジュディは、素早く立ち上がり拳を固め、構えを取る。


「て、テメェ!? 一体どういう……」


──ドシュッ!


『悪いな、今は遊ぶ気はないんだ』

「な、何……これ……?」


 いつの間にか、男の手には拳銃の様な物が握られており、ジュディの上腕に短い矢の様な物が生えていた。

 それに気がついた瞬間、ジュディの身体から力が抜けていき倒れそうになる。すると男が駆け寄ってきて、ジュディの肩を抱き寄せた。


『おっ、結構胸あるじゃん♪ 筋肉質だし、腹筋も凄いな! アスリート系って、結構タイプかも!』

(チクショウ……人の……身体にベタベタ……触るんじゃ……)


 そうして、段々とジュディの意識は遠のいていった。



 * * *



-数刻後

@カティアの独房


「うっわ何よアンタ、ブッサイク! そんな顔でよく外出られるわね! ちゃんと鏡見てるの!?」

「うるさい! どいつもこいつも、ブサイクブサイクと! あいつに殴られる前はイケメンだったんだぞッ!!」


 ピートの顔は、ヴィクターにボコボコにされたせいで、骨折でもしていたのか歪んでいた。腫れは大分引いたが、それでもその顔は酷い見た目だった。……もっとも、ボコボコになる前がイケメンだったかどうかは微妙な所ではあるが。


「お前、ガラルドの弟子なんだってな!?」

「だから何? あんまブヒブヒ喋らないでくれる?」

「グギギ……ふん、お前にはこれからこの顔の責任を取ってもらうからな、覚悟しろ!」

「はぁ!? 何言ってんの? 私、アンタがブサイクになった理由なんて、知らないんだけど! そういうのは自分の親に当たってよねッ!」

「お前ぇ! 父上と母上の悪口を言うなぁ!! これは、ガラルドの弟子のレンジャーのにやられたんだっ!!」

「……私関係ないじゃない」


 ピートは、ヴィクターの事を調べていた。……復讐する為に。

 だが、いくら調べてもその身元は噂レベルではっきりせず、得られた情報は、あの英雄ガラルドの弟子らしいという事と、Fランクのレンジャーであるという事くらいであった。復讐してやろうにも、この間の襲撃で街を追われてからは、それもできない状態にピートはイライラしていた。だがそこに、もう一人のガラルドの弟子であるカティアを捕まえたという話を耳に挟み、こうして鬱憤うっぷんを晴らそうとわざわざ地下に降りてきたのである。

 憎きガラルドの弟子……だが、顔をボコボコにした奴ではないらしい。しかし、ガラルドの弟子という共通点がある以上、無関係ではない。……しかも女ときた!

 ピートが、カティアの身体を舐めるように眺める。先程ジュディにかけられた水のせいで、濡れた服がカティアの身体にピッタリと貼り付き、カティアの着痩せする身体の線を浮き上がらせていた。その扇情的な姿は、ピートの豚の様な性欲をムクムクと増幅させた。


「……ち、ちょっと! 気持ち悪い目で見ないでよッ!!」

「ふん、コレを見ても生意気な口が利けるかな!?」

「それって、拘束首輪? ……ま、まさか!?」


 ピートは首輪のような物を持っていた。これは崩壊前の囚人に付けられていた【拘束首輪】と言われる代物である。装着者の自由を奪う事が出来るため、主に犯罪奴隷や闇奴隷に取り付けられている物だ。

 狼旅団が、わざわざ危険な死都にアジトを構えたのには理由がある。一つは襲撃を防ぐためだ。わざわざ死都に攻め込んでくるような奴は少ない上に、この旧拘置所は守りやすい。まず正面から突破される事はないだろう。

 そして、もう一つは闇奴隷の生産の為だ。闇奴隷は、狼旅団の主要な収入源となっている。そして、ピートが持っているような拘束首輪が、この拘置所には大量に遺されていたのである。

 首輪が付いた奴隷は、「首輪付き」と言われ高く売れる。何せ抵抗される心配がない上に、首輪付きの殆どが犯罪奴隷なので、他の街での転売も楽に行えるのだ。

 この首輪を捕まえてきた人間に取り付ければ、首輪付きの闇奴隷として売りに出せ、さらに一時的にする為の牢屋もあるここは、アジトとして理想的だったという訳だ。

 そして、ピートは今まさにカティアにこの首輪をつけて、自由を奪い、事に及ぼうと下卑た笑みを浮かべながらカティアに近づいていく。


「な、何よ……自由を奪った女じゃないと抱けないの? このヘタレ野郎ッ!!」

「ヒヒヒ、どうとでも言え! 今からコレをお前に付けてやる! それからは……フヒッ」

「い、いやっ! やめなさいよ! このッ!!」

「ヒヒッ、いまさら謝ったって……いだッ、いでで! フゴッ! か……がおはやべで……」


 カティアは腕を身体の前で拘束されていたが、脚は自由だった。カティアは、押し倒そうと迫るピートの足先を踏みつけてピートの体勢を崩すと、すねを蹴り膝をつかせて、無防備な顔に回し蹴りを叩きこんだ。


「ふんッ、いい気味ね! 豚は地べたを這いつくばってなさいッ!!」

「ッ! ぶ、豚って言うなぁ!!」

「えっ……きゃあッ!?」

「ゲヘヘへへッ!!」

「ちょっと、どきなさいよ!! ク……ソッ! こいつ、重いぃ……」


 転がった姿勢から、突如カティアに飛び掛かったピートは、カティアを押し倒し、馬乗りになった。そして、首輪をカティアの首につけようとしたその時、独房の入り口からくぐもった男の声が聞こえてきた。


「ヒヒヒ、これでこの女を自由に……」

「い、いやぁッ! やめてッ!」

『……あ〜、お取り込み中ですかね?』

「だ、誰だッ!」

『うわっ、とんでもねぇブサイクだな……親の顔が見てみたいな……』

「ぎ……ぎざまぁッ!!」


 ピートはカティアから離れると、入り口にいる変なマスクをした男に向かっていく。……が、離れた直後にカティアが立ち上がり、ピートの背後から股ぐらを蹴り上げた。


「ポピョォッ!?」

「うわぁ、プチっていった……気持ち悪ッ!」

『うっわぁ、痛そう!』


 睾丸を潰されたピートは、その場に膝をついて倒れた。口からは泡を吹いている。


「……あなた、誰?」

『お前がカティアか?』


 男はそう言うと、マスクを外した。


「そ、そうだけど……ふぇ!?」


 マスクを外した男は、カティアに近づくと彼女の顎を掴み、その瞳をジッと見つめる。


(なっ……ななな!?)

「緑の瞳に、明るい栗色の髪……そして……」

「きゃっ!」

「……出るとこは出てる……のか? う〜む」


 男は女性の憧れでもある、俗に言う「顎クイ」をカティアにしてきたのだ。思わずその気になって、頬を赤らめてしまったカティアであったが、その直後男は何とカティアの胸を揉んできたのだ。


「ガラルドの言ってた通り……なのか? あんた、ガラルドの弟子のカティアであってるか?」

「……いつまで触ってんのよッ!!」


 カティアは、縛られた両手を振り上げ、男の顎を打ち上げようとするも、避けられてしまった。


「危ないなぁ……」

「な、何なのよアンタ!? 急に人の胸揉むなんて!」

「俺? ガラルドの弟子、ヴィクターだ。お前を助けに来た」


 こうして、ガラルドの弟子である二人は最悪のボーイミーツガールを果たしたのだった。





□◆ Tips ◆□

【拘束首輪】

 共和国製の拘束具。従来の手錠などより、囚人の人権を尊重できるという触れ込みで、世界中の法執行組織に採用された。だが採用された背景には、高度に発達した崩壊前の社会における、犯罪者という反社会的存在に対する民衆の無慈悲化・無関心化があるとされる。

 逃亡や、暴力に対する措置として、看守など登録された人間が、首輪に仕込まれた無力化装置を電脳により遠隔作動させることで、装着者を無力化できる。また、首輪にはGPSが仕組まれており、逃亡しても位置が判明するようになっている。

 頑丈な繊維と機器で作られており、無理矢理外そうとしたり、強い衝撃が加わると無力化装置が作動する。電源は、装着者の体温と、表面電位差、振動などから得ているとされる。

 無力化装置は、頸椎を介して、脳から運動神経への刺激伝達をインターセプトする事で行われる。装置が作動すると、一時的に全身不随状態に陥り、首輪の装着者は体内を無数の針が這い回るような、気持ちの悪い感覚を味わう。

 マイクロマシン非適合の看守用に、個別のリモコンが付属しており、装着者が登録者や、リモコン保持者に危害を加えようとすると、自動的に装置が作動する。この性質を活かして、崩壊後は奴隷の自由を奪う為に使用されており、主に犯罪奴隷や、闇奴隷の一部に取り付けられる。

 これとは別に、特に犯罪者に容赦がない同盟諸国では、爆薬付きの拘束首輪が使われていたとされる。崩壊後でも、純正品の首輪が無い為に、手製の爆薬付き首輪を代用する場合があり、出来の悪い奴隷の首輪を爆破して見世物にしている奴隷商もいる。

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