苦しさの病名

そして次の日。

柚葵は最寄り駅の電車のホームにいた。ここまで来るのにいつもより十三分遅れて着いた。各駅停車の電車を乗り継いで二時間のところに通っていた柚葵には十五分の遅れは遅刻確定を意味していた。

家を出るまではいつもと同じように出来た。しかし問題はそこから。駅が近付くにつれて身体が固まったか、岩のように重たくなった。

それに伴い、いつもは息切れなんで全くとっていいほどしない道のりなのに息が荒く、まるでマラソン選手のように長距離を走ったかのように息が切れていた。家と駅の半分の距離だったのに…………。

信号を三回スルーして駅に着いた。だから十三分。それと同じように学校方面の電車を見送って二本目の今。

「何をやっているのだろうか」

人が疎らなホームで一人呟いてみる。……寂しいだけだった。

そんな日常を数日続けているとあれよあれよという間に出席日数が足りなくなって留年か退学はという絶壁に立たされた。

 結果はお察しの通り、退学を選んだ。

 もともと勉強ができる方ではなかったし後悔がいないと言えばうそになるかもしれない。まだまだ学歴社会の傾向が色濃く残るこの世界でいい選択だったのかと言われたら微妙だと思う。余計に生きづらくしただけともとれる。高いお金を払ってもう一度一年生というのはちっぽけなプライドが邪魔をした。母親には泣かれた。

ただあの時はそれしか考えられなかった。

退学金は祖母が肩代わりしてくれた。

「辞めると思ってたわ」

目も合わせずにそう言われた。情けなくて、もう消えてしまいたかった。

 

そうしてあの嫌味な先輩のバイトを始めてすぐにやめた。母親はまた泣いた。不出来な息子に心底がっかりしたことだろう。

 そこからはすべてにおいて自信がなくなり、ただ家から出ない生活になった。世間で言うところのニート。引きこもりというやつだ。

 家族との会話も日を追うごとに減っていった。

申し訳ない気持ちはいっぱいあった。だから家のことはできるだけたくさんやった。掃除に洗濯、料理に裁縫とたくさん。料理をするのはすごく楽しかった。

『今度は何作ろうか』

『竹輪としらすは格別だな』

 そう、高揚する一方で気持ちは深く沈んでいく毎日だった。

 あの息が出来ない感覚が日常的にやってくる。胸いっぱいに息を吸っているはずなのに胸に入って行かない感覚。心臓に毎分毎秒、重りを乗せられている気分だった。

そんな月日の中である日。姉がストレスで倒れた。仕事のストレスでなったようだった。下痢と嘔吐が止まらず、見かねた母親が精神科に姉を連れて行った。いつもはおちゃらけて笑顔が多い姉の暗く沈んだ顔を見るのは初めてだった。

幸いにも薬の必要はないとの事で姉は事なきを得た。

そんな姉を見て「自分も精神科に連れて行ってほしい」気づいたらそう母に頼み込んでいた。

「息子さんには薬物治療が必要かと思います」

 お医者さんにそう言われた時に『病気だったのか』と内心なぜだかすごく安心したのを覚えている。本当の自分がわかった。そんな気がしてならなかった。

告げられた病名は【不安障害】

精神疾患だった。

まさか自分が精神疾患になるとは思っていなかった。保健体育の授業で精神疾患のビデオに出ていたものに自分がなってしまうとは。

先生とのカウンセリングで

『一人でよく頑張ってきたね』

そう言われた時には大きな声で泣いた。『ここにいてもいいよ』大げさかもしれないが本当にそう言われたと思った。

薬を受けとった帰りの車内で『母さんの育て方が悪いせいでごめんね』とまたまた泣かせてしまった。

『いや……。自分が悪い』

そう言おうとしたけどうまく言えずにただ沈黙の時間が流れた。

これ以上ない一番言わせてはいけない言葉を言わせてしまった。

代わりに出た言葉は『自慢の息子じゃなくてごめんね』だった。母はハンドルをぎゅっと強く握りしめて黙ったまま前だけを見ていた。

頬を流れる涙は夕焼けに照らされていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る