第4話(1) 高校時代の

「――よぉ。よく来たな」


 店内に足を踏み入れた私達を、葵さんが気さくな様子で迎え入れる。


 その格好は、グレーのTシャツに迷彩柄めいさいがらのスキニーパンツといつも通りラフだったが、今はそこに腰きの黒いエプロンを付けている。つまり、絶賛お仕事中だ。


「どうも」

「来ちゃいました」


 葵さんに向かって軽く頭を下げる私の後ろから、優子ちゃんがひょっこり顔を出す。


 初めて葵さんの(お父さんの)お店を訪れたという事で、優子ちゃんのテンションはやや高めだった。


「空いてるお席にどうぞ」


 葵さんの営業スマイルに促され、私達は店の奥に歩を進める。


 中途半端な時間という事もあって店内は空いており、比較的席は選び放題だった。

 とりあえず、出入り口から程近い席に二人で向かい合って座る。


 何気なく辺りを見渡す。

 初老の女性と中年の男性が、それぞれ一人ずつ別々の席に座っていた。

 どうやら、静香ちゃん達はまだ来ていないようだ。まぁ、今日も来るとは限らないが。


「ご注文はお決まりですか?」


 二人分のお冷とお絞りを手に、葵さんが私達の席にやってきた。


「アイスコーヒーをお願いします」


 メニューに一応目は通したものの、実のところ注文する物はあらかじめ決まっていた。


 まだ夏の声は聞こえてきそうにないが、気温はじわじわと上がり始めている。待ち合わせ場所でもあった最寄り駅からここまで然程離れていないとはいえ、歩くとやはりじんわり汗がにじむ。そのため、私ののどは今、熱い飲み物より冷たい飲み物を欲していた。


「じゃあ、私も同じのを」

「アイスコーヒーを二つ、ですね。畏まりました。少々お待ちください」


 二人の注文を聞き取ると、葵さんは一礼の後、私達の元から去っていった。


「……」


 その背中を、優子ちゃんがぼんやりと見つめる。


「どうかした?」

「いえ、葵さんのあんな姿見た事ないから、なんか新鮮で」

「うふふ」

「変ですよね。すみません」


 私の笑いを違う意味にとらえたらしく、優子ちゃんが恥ずかしそうにほおを染めうつむく。


 というか、今のは完全に私が悪い。確かに、そう捉えられても仕方ない反応をしてしまった。


「違うの。私も初めて見た時、優子ちゃんと同じ事思ったから、それで」

「本当ですか?」

「うん。ホントホント」


 うかがうように上目づかい気味にこちらを見る優子ちゃんに、私は笑顔でうなずく。


「そうだったんですね。良かった」


 私の言葉に、優子ちゃんがほっと胸をで下ろす。


「生徒会長として壇上立つ時でさえ不敵な笑みを携えてた人も、接客する時はさすがに真面目な顔するんだなって」

「生徒会長?」

「あぁ、言ってなかったっけ。葵さん、高校時代生徒会長だったのよ」

「え? 生徒会長ってあの生徒会長ですか?」


 葵さんのイメージと生徒会長という言葉が自らの中で上手く結びつかなかったのか、優子ちゃんが若干の動揺を見せる。


 気持ちは分かる。生徒会長と言ったら、成績優秀と品行方正が必須であるようにどうしても思えてしまう。前者はともかく後者は……。


 葵さんがお盆を手にやってきたため、私達は会話を中断する。


「こちらアイスコーヒーと、アイスコーヒーになります」


 私達の前にそれぞれ、黒い液体の入った縦長のコップが置かれる。


「で、誰が生徒会長っぽくないって」

「いや、別に……」


 どうやら、私達の会話は葵さんにばっちり聞かれてしまっていたらしい。


「まぁ確かに、当時もなんで私なんだ、あいつの方が相応ふさわしいっていう声が多く上がってたけどな」

「あいつ?」


 それが誰の事を指した言葉なのか分からず、優子ちゃんが首を傾げる。


「いたんだよ。私より生徒会長らしいやつが」

「へー」


 詳しくは話したくないのか、葵さんは忌々いまいましそうな顔を浮かべ、口をぎゅっと結ぶ。


「あ、それより! 葵さんの働いてる姿新鮮で格好良くて素敵です」


 変な方向に行った話の流れを変えようと思ったのだろう、優子ちゃんがそう言って葵さんの事をめる。


「ふふん。だろう? 私に掛かれば、こんなダサいエプロン姿も格好良く――」


 言葉の途中、何かを感じ取ったように葵さんが勢いよく振り返る。


 カウンターではにこやかな表情を浮かべた葵さんのお父さんが、こちらを見てグラスをみがいていた。


「……ごゆっくりどうぞ」


 突然トーンダウンした葵さんが、頭を下げカウンターの方に戻っていく。


 さっきの短い間に、親子間でだけ分かるサインのようなものが送られたのかもしれない。


 これは、後でしかられるやつだなきっと。ご愁傷様しゅうしょうさま


 まぁ、とはいえ、私達には関係ない事なので、さっさと気持ちを切り替える。


 ストローの包装ほうそうき、それをコップの中に差し入れる。そして、口をそこに持っていく。


 うん。苦い。けど、美味しい。冷たさも相まって、全身に色々なものが染み渡る。カフェインとかカフェインとかカフェインとか。後、冷たさとか。


 ふと前を見ると、優子ちゃんがコーヒーにミルクを入れている最中だった。


 黒い液体に白い液体が混ざり合い、コップの中の濃度をわずかに薄める。いわゆる、コーヒーブラウンというやつだ。


「みどりさんもあんな感じで働いてるんですか?」


 ストローでコーヒーをかき混ぜながら、優子ちゃんが私にそう尋ねてくる。


「まぁ、あんな感じと言ったらあんな感じかな」


 あそこまで派手なズボンは履いていないが、大体のスタイルは似たようなものだ。


「今度見に行っても?」

「何を?」

「みどりさんの働いてるところ」

「……」


 イエスともノーとも答えづらい質問だった。


 出入りが自由な所で働いているわけだし、見に来るのを反対する権利はもちろん理由も特に私は持ち合わせていない。しかし、だからと言って、自らOKを出すのはちょっと……。


「ダメ、ですか?」


 子犬のようにうるんだ瞳が、私を捉える。


 この瞳にあらがう事が出来る者がこの世にいるだろうか、いやいるはずがない。


「……いいよ」


 数秒の葛藤かっとうの後、私はそうこたえる。


「ホントですか? やった」

「じゃあ、後で店名と地図を――あっ」


 そこで私は思い出す。優子ちゃんが方向音痴おんちである事を。特に初めての場所だと、地図や経路案内があっても普通に迷子になる、らしい。


 それに、最寄り駅からお店までは少し距離がある。私が案内するにしても、諸々もろもろ合わせて三十分近くも歩いてからバイトをするのは出来れば避けたい。となると――


「そう言えば優子ちゃん、前に私の家に泊まりに来たいって言ってなかったっけ?」

「え? あ、はい。言いましたけど……」

「なら、土曜のお昼頃にウチに泊まりに来て、日曜の朝に一緒にバイト先に行くってのはどう?」

「それってつまり、お泊りって事ですか?」

「うん。そう言ってるつもり」


 というか、そうとしか言っていない。


「――ッ」


 ようやく私の言葉の意味を理解したのか、優子ちゃんの顔がぱっと明るくなる。


是非ぜひ! お願いします!」

「……じゃあ、親に相談して、日にち決まったらまた連絡するね」


 優子ちゃんの勢いにされながら、私はなんとかそれだけを口にする。


「はい!」


 こうして急きょ、優子ちゃんのお泊りが決定した。

 まぁ、言い出したのは私なのだが。

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