第3話(3) 身の程

「――さん」


 名前を呼ばれ、我に返る。


 目の前に、嘘みたいに綺麗な少女の顔があった。

 如月きさらぎ姫紗良きさらさん。私が働く前から来ているという、常連さんだ。


 きぬのようにきめ細かい長く美しい黒髪、き通るように白い肌、制服からすらりと伸びる長い手足、人形みたいに整った顔立ち、スリムなのに服の上からでもはっきりと分かる二つの膨らみ……。そのどれもが完璧で、他の追随ついずいを許さないくらいに美しかった。

 もし彼女が、天からつかわされた使いだと言われてもきっと私は信じるだろう。それくらい、目の前の彼女は綺麗だった。


 こんなに美しい子を私は今まで見た事が――いや、一人いるか。彼女に匹敵する美人が。

 姫城静香。私の高校時代の、完璧すぎる後輩が。


「すみません。ご注文ですか?」


 時刻は、午後五時と六時のちょうど中間辺り。今日は彼氏が来ないのか、如月さんはカウンターの隅に一人で座っていた。


 まだ如月さんが一人でここを訪れていた時は、空いていれば彼女は決まってカウンターに座っていたらしい。最近は一人で来る事自体が少なくなり、その回数も大分減ったとの事だが。


「いえ、みどりさんがお暇なら、雑談でもしようかなって」


 私がまだここのバイトを始めて間もないという事もあるが、彼女と会話らしい会話をした事はこれまで一度もなかった。


 現在、店内に彼女以外のお客さんはおらず、百合さんも用事があるとかで中に引っ込んでしまっている。彼女としても、話し相手がいなくて暇だったのだろう。


「いいですよ、私で良ければ」


 百合さんからも時と場合を見極めれば、お客さんと会話をする事は悪い事ではないと言われている。なので、私が断る理由はない。


「みどりさんって、大学生なんですよね?」

「えぇ。今年の春から。如月さんは、再来年でしたっけ?」

「はい。上手く行けば」


 そう言って如月さんは、肩をすくめてみせる。


「大学ってどんな感じなんでしょう? やっぱり、高校とは全然違います?」

「そう、ですね。学校によっても違いますけど、私の所は決まった教室があるわけではないので、授業を自分で選んで、毎回のように教室を移動しないといけませんから、そういう意味では全然違うかもしれません」


 私自身、慣れるまでは少し大変だった。とはいえ、私の場合、早い内に行動を共にする友達が出来たので、それ程苦にはならなかったが。


「格好いい男の子とかいます?」

「うーん。いる事はいますけど……」


 正直、私は興味がない。それに、その事もあってか、私の会話ではそういう話題はあまり出ない。振られても上手く答えられないので、そこに関しては非常に助かる。


「大体、如月さんには、格好いい彼氏さんがすでにいるじゃないですか」

「はい。だから、聞いてみただけです」


 謙遜けんそんも照れもせず、自信満々に頷く如月さん。


 人によっては反感を買いそうなその台詞せりふも、如月さんが言うと全く嫌味がない。むしろ、可愛らしく感じる。


「如月さんは、あの、彼氏さんとはどうやって知り合ったんですか?」


 少し立ち入った質問かとも思ったが、折角の機会だしと、思い切って聞いてみる。


「実は、私達従姉弟いとこなんです」

「……そう、なんですね」


 やっぱりという言葉を、すんでのところでみ込む。


 危ない危ない。後少しで、お客さんの会話に聞き耳を立てていた事がバレ――じゃなくて、立てていたと誤解されるところだった。……いや、本当に。偶然、偶然耳に入ってしまっただけで、如月さん達の話も聞こうと思って聞いたわけでは決してない。いわゆる、不可抗力というやつだ。


「で、尚且なおかつ、彼は今私の家に居候いそうろう中でして……」

「でも、それって、あれですよね。従姉弟とはいえ、恋人同士の二人が一つ屋根の下で暮らしてるなんて事が周りに知られたら……」


 大騒ぎだし、何より問題になりそうだ。


「だから、みどりさんもこの事は内緒にしておいてくださいね」


 そう言うと如月さんは、人差し指を口元に当てて私にウィンクしてみせた。


 なんだろう、凄く絵になる。葵さんのものとは全く違う、本当の意味でドキッとさせられるウィンクを見せられた気がする。


「あの、お二人について色々と聞いたりしても……」

「いいですよ」


 やった。二人の様子をずっと見ていて、実は色々と気になっていたのだ。


「じゃあ、その、告白はどちらから……」

「もちろん、彼の方から」

「あ、やっぱりそうなんですね」


 彼氏さんも格好のいい方だが、如月さんの綺麗さはレベルが違うというかけたが違う。なので、告白したというより、されたという方がどこかしっくりくる。


「けど、アタックし続けたのは私の方なんですよ」

「そうなんですか?」


 てっきりそれも、彼氏さんの方だとばかり思っていた。こんな美少女と付き合えるだけでなく、アタックし続けてもらえるなんて、余程素敵な人なのだろう、彼氏さんは。


「告白されるまで本当に不安でした。彼は私を従姉としか見てないんじゃないか。私のこの思いは、彼にとって邪魔なんじゃないかって」

「如月さんみたいに綺麗な人でも、そんな事思うんですね」


 こう言ってはなんだが、彼女に好意を寄せられて嫌がる男性はこの世にはいないのでは?


「思いますよ。毎日不安で。それでも勝つんです。彼を好きな気持ちが。アタックした結果、彼に嫌われたら悲しい。けど、何もしないまま彼とこのままの関係で終わるのはもっと嫌って」


 そう言って如月さんは笑う。


 彼女のその笑顔からは当時の葛藤のようなものが見え隠れして、私は恋がただ綺麗なだけのものじゃない事を改めて思い知らされるのだった。

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