第3話 引っ越しの挨拶

「お邪魔します」

「どうぞ、お入りください」


 僕は自宅に訪れた来客を招き入れた。

 無論、その客とはシャノンのことだ。

 出会った次の日、あの時の予言通り僕の住居へとやってきたのである。


「とりあえず、コレ」


 そう言って、シャノンは四角い紙箱を差し出してきた。

 シワや折れ目の無い清潔な箱だ。おそらく、スイーツか何かが入っているのだろう。


「引っ越しの挨拶ってことでケーキ持ってきたんだ。一緒に食べよ」

 

 予想通りの中身に、僕は自然と笑みを零した。


「ありがとう。蕎麦ではなくケーキってのは新鮮で面白いね――あ、散らかってて申し訳ない」


 靴を脱いだ彼女を部屋の中まで案内していく。


「うーん、予想してたよりは綺麗かな。でも、本棚周りとかもうちょっと綺麗にしたほうがいいかもね……」

「うっ……返す言葉もない」

「ふふっ。私が整理してあげようか?」

「そんな……そっちも引っ越してきたばかりで忙しいでしょ。申し出は嬉しいけど、そこまでしてもらうのは悪いよ……」

「気にしないで。私がやりたいの。というより今すぐやるわ」


 僕の返答も聞かずに、袖を腕まくりすると、いきなり作業に取り掛かりだした。


「ちょっ……! ええっ……」

「全体的に上手く収納しておくから!」

「あ、うん……ありがとう」

 感謝の言葉を述べたものの、自分は何もしないというのも申し訳なかったので、飲み物くらいは準備しようと思い、台所へ向かう。

 電気ケトルに水を入れ、稼働ボタンを押す。沸騰させている間に茶葉とカップを用意する。と、そこまでで、ふとシャノンが持ってきたものを思い出す。

 そういえば、ケーキ一緒に食べようって言ってたよね……。ならお皿も――。

 と、重ねられた皿に手を伸ばして取り出したその時、何らかの拍子で下に置かれた皿が取り出した皿に引っかかりそのままずり落ちる。

 あっ――という声を出したのも遅く、即座に床に叩きつけられる。

 甲高い音が鳴るのと粉々に砕けるのは、ほぼ同時だった。


「ちょっ! 斗真、どうしたの? 大丈夫!?」

「……お皿を取ろうとして、ミスちゃった。すぐに掃除するから」


 心配をかけないように苦笑して散らばった破片を拾い始める。


「――痛っ!」


 不注意に触れてしまったのだろう、指先を切ってしまった。

 ぷくり、と赤い玉のような雫が浮かんでくる。


「あっ、斗真、指から血が出てる!」

「大して深くないから大丈夫だよ。すぐ止まるでしょ」

「ダメよ! ちょっと待ってて」


 ポケットからハンカチを取り出すと、真剣な面持ちで僕の指を押さえる。


「放っておいたら雑菌が入るかもしれないでしょ。こういうのはなるべく早く対処したほうが良いの」

「あ……うん、ありがとう」


 女の子に指を圧迫される気恥ずかしさと素早い対応に、ただただ呆けたままお礼を言うことしか出来なかった。


「あとは私がやっておくから、斗真は指を押さえたまま座ってて」

「いや、でも……」

「気にしないで。すぐに終わるから」


 シャノンのきっぱりとした言葉に気圧され、そのまま部屋で座って待つことにする。

 程なくして、廊下から皿の破片を集める作業音が聞こえてきた。


「はい、完了。細かい破片とかも極力拾ったから、歩いてて怪我することもないと思う」

「助かりました。ありがとうございます」

「ふふん、どういたしましてー」

「面倒なこと色々やらせて申し訳ない……」

「もう、さっきから謝りすぎ。本棚の整理もあともう少しだし、終わったらお茶にしよ」


 明るい微笑みを向けた後、シャノンは整頓作業を再開した。

 ちょうど血も止まったようなので、僕もお茶の用意を始めた。

 カップに紅茶を注ぐ頃、彼女の「よし!」という満足げな声が聞こえてきた。


「そろそろ終わったよー!」

「おお……!」


 本棚内の本がサイズやジャンルごとに上手く整理されており、小物なども邪魔にならないように置かれていた。


「どうかしら?」

「この本棚、ここまで綺麗になったんだって感じだよ。ありがとう」

「どういたしまして」

「さて、それではお待ちかねのティータイムにしましょ」

「うん。ちょうど出来上がったから。お口にあえば良いんだけど……」

「斗真が入れてくれたお茶なら、美味しいに決まってるでしょ」


 そう言ってくれると嬉しい。

 ――と、テーブルの端に置かれたハンカチが視界に映った。


「そういえばハンカチ、ありがとね。洗濯して返すよ」


 自分なりに気を遣った申し出をしたが――



「――そんなことしなくていいから」



 シャノンが素早く言い放った。

 抑揚の全くない、無感情で無機質な、ただの言葉の羅列のような言い方だった。

 ピシャリとシャットアウトするような言葉に、困惑を隠せない。

 

「え、でも……」


 そこまで言いかけて、言葉を失った。

 シャノンはまた、出会った時のあの目をしていた。

 ひどく濁った、泥の色の目。


「――こんな宝物、洗うわけ無いじゃない」



 良く聞こえなかったけど、淀んだ瞳でハンカチを見つめるシャノンが少し不気味で、訊き返すことが出来なかった。



 ――その後食べたケーキとお茶の味は、全然覚えていない。

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