五歳

 ここで、私は正真正銘の恋をする。


 紛らわしい言い回しになるが、別に、今まで誰かを好きになったことが、ないことはない。


 ただ、私がこのことをハッキリ覚えているから、他の恋とは違ったのだろう。


 それだけは、確実に言える。


 人間というものは、「異質」なものに出会うと、惹かれる習性があるようだ。


 幼稚園児の私にとってのそれは、「転入生」だった。


 私の知らない街を、知っている。


 ただそれだけでも、当時の私が、その子を好きになる理由に不足なかった。


 その子とは、園内でよく遊んだ。


 でも、園外で遊んだことは、一度もない。


 おそらく、自分の中で、その子は特別で、他の子のように、いつも通り遊びに誘うことが、当時の私には難しかったのだろう。


 鬼ごっこをしたり、かけっこをしたり、明らかに好意を抱いていることは、バレていただろう。


 いや、私が自分から好意を突きつけたのだ。


 その子が私に言った。


「だいちゃん、さびしいって、気持ちわかる?」


「わかるよ!もちろん!」


 お母さんがいない時、いつも感じているあれだ。


「私、今度ね、引っ越すことになったんだ。」


「...え?」


「うちの家は、てんきんぞくだからって、ママが。仕方ないって。」


「...テンキンゾク?」


 転勤族の漢字も、意味も、知るはずのない当時の私ではあったが、その言葉の裏に絶対的な力があり、子どもの私には、どうしようもないことが起きていることを悟った。


 言葉を理解できないで、慄いている私を他所に、その子は続ける。


「だからね、だいちゃん。うちを好きになったらダメだよ。」


「好きじゃないし!!」


 まただ。


 いつもこうだ。


 と心の中で思う。


「そっか。じゃあ、別にいっか!」


 私の大好きなその子の笑顔の目の奥に、涙が浮かぶのを見て、私は何も言葉が見つからなかった。


 女の涙は美しい。


 そして、女の子は、私の想像の何倍も大人だった。


 そして、素敵だった。


 私はどこまでも、子どもであった。


 そんなことを子どもながらに感じた。


 その子は、それから一週間もしないうちに、私と言葉を交わすことなく、引っ越した。


 その時は、まだ分からなかったが、この時の想いが、現在の私の「寂しい」と「淋しい」の使い分けの出発点になっている。



 次の記憶を話そうと思う。


 どこの幼稚園でも行われるであろう行事、「豆まき」の記憶である。


 幼稚園の先生が、鬼の面を被って、園児から豆をぶつけられる。


 今から思えば、何とも言い難い悪趣味な行事である。


 園児の中には、鬼の面が怖くて、泣いている子どももいる。


 そんな子をあやす先生もいれば、それには目もくれず、文字通り、心を鬼にして、園児たちに向かっていく先生もいる。


 そんな中、私には変な感情が湧いていた。


「いつも怒られてばかりいる先生に、豆を投げることができる」という、いかにも半グレ野郎全開の発想である。


 ただ、そこで先生の声が聞こえた。


「痛い痛い痛い!」


 私の半グレ状態は、急に冷めた。


 そう。


 いくら顔と心は鬼に徹していても、中身は、いつも私たちに優しくしてくれる先生なのだ。


 私は、先生にできるだけ豆が当たらないように、自分の分をさっさと投げて、泣いている子達を心配する側に回った。


 泣いている子達は、もしかしたら、鬼に恐怖を抱いていたわけではないのかもしれない。


 普段、優しい先生に豆を投げる。


 そのことに対する違和感。


 そして、それを止めるための抗い。


 そのために泣きじゃくっていたのかもしれない。


 たしかに、あれを何の感情も持たずに、やり続けられる子どもは、なかなか心が強いと思う。


 それか、本当に鬼だと思っていて、誰よりも正義感が強いかのどちらかである。


 どちらでもなかった僕は、自分の分だけ終わらせて、さっさと逃げた。


 つまり、誰よりも弱虫だったのかもしれない。

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