四歳

 幼稚園に入園した。


 徒歩5分ほどの、近所の幼稚園。


 幼少期から、家族ぐるみで遊んだことのある友達もいるが、大半が、初めましての子ども達。


 私は、入園したその日に子どもではなく、その親たちに、興味を持った。


「私は、どこどこに住んでて、私の子は、どこどこで習い事をしてるの。」


「そうなの?すごいですね!うちの子なんて...」


 そんな会話を、延々と続ける大人たちが、おもしろかった。


 だから、その親たちの子どもに聞いた。


「ねぇ、君ってクモン習ってるの?」


「そうだよ、だから平仮名だって全部書けるよ!」


「クモンって平仮名を習うところ?」


「まぁ、それ以外も習うけど...次はカタカナっていうのを習うんだよ!」


「カタカナは、ほとんど平仮名と、一緒だよ?」


「え、もうカタカナ書けるの?なんで?君もクモン習ってるの?」


「ううん、ひらがなもカタカナも、家に貼ってあって、一緒に覚えた!!」


 そう言うと、その子は親のところに行って、泣きじゃくった。


 理由は、当時の私には、分からなかった。


 私は、クモンを習うという意味を、知りたかっただけなのに。


 ひらがなとカタカナは!ゲームをするためには、必須科目だった。


 母が、相手の親に、ペコペコしているのを見て、少し申し訳ない気持ちになっていたら、母が近くに来て行った。


「何かしたの?」


「クモン習ってるって言うから。何ができるか聞いたら泣いた。」


「あ、そういう事か。あちゃー、謝らんでよかったか。」


「え?泣かせちゃったら、謝らないといけないんだよ?」


「理由がないのに、謝るのはおかしいやろ?」


 母は小声で言った後、


「でも、だいちゃん。今のは、他の子には言うたらあかんよ。お母さんが謝ることになるから。」


 母は、子どものような意地悪な顔をして、笑いかけた。


 母は、他のどのお母さんよりも、たくましく、そして素敵に感じた。


 誰よりも、着飾らず、本音で生きていた。


「うん!わかった!!」


 私も、何も分からなかったけど、分かったことにした。


 とにかく、世の中は難しくて、聞いていいことと、言っていいことが、いっぱいあることを知った。


 それが何かは、その時には、何となくしか分からなかったけど、とにかく、みんなに、何をしているか聞いた時は、羨ましそうにすることにした。


 特に、その子の親が、近くにいる時は。


 幼稚園で、私には友達がたくさんできた。


 元々、活発でお喋りだったこともあり、男の子、女の子関係なく、色んな子から、好意を抱いてもらっていた。


 その代わり、トラブルも多かった。


 ほとんどのトラブルは、口喧嘩から発展して、どっちが手を出した出してないの応酬になる。


 でも、一日経てば、大抵は、私が我慢できずに謝る。


 それでいいと思っていた。


 しかし、人生で初めて、自分から謝れない瞬間が来た。


 それは、園内の女の子との、ちょっとした口論だった。


 その子は、私によく手紙をくれていた。


 何のことない内容ばかり。


「うんどうかいで、いちばんはすごいとおもいました。」


「いもほりたのしかったね。」


「こんど、わたしのおうちであそぼうね。」


 変わったのは、私の周りの環境だった。


「お前、あの子のこと好きなんちゃうん?」


「あの子?」


「いっつも手紙もらってるやん!」


「あぁー、好きって?」


「うわ、顔赤くなってる!!みんな見て!絶対好きやん。」


 まだ幼くて、好きという気持ちが何なのか、ハッキリ分からなかったのもあり、とてつもなく恥ずかしくなり、泣いてしまった。


 そこへ、いつも手紙をくれる子がやって来た。


「どうしたの?」


「だいちゃん、お前のこと好きらしいで!!」


 突然の事だった。


 咄嗟に出た言葉だった。


「んなわけ、ないやろ!こんなやつ!!誰が好きなんねん!!」


「...」


 しばらく、静寂が続いたあと、女の子が泣いて走り去った。


 私は、今でも謝れないでいる。


 この心に残ってるモヤモヤが、私にとっての初恋だったのだろうか。


 この後も結局、同じことを繰り返すのだが、それは、またその時まで。


 誰かを傷つける罪悪感というものを、幼稚園児ながらに感じた。


 でも、あの時なにが正解だったのか、今でも分かっていない。


 心の底から、好きとは言いきれない人に、偽の好意を見せることは、果たして正解なのだろうか。


 私は、恋愛をする度に、この時の記憶を思い出す。

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