幼少期
0歳
産まれて初めての記憶は、旅行に行っている風景。
周りは、僕が何か単語を喋るだけで、喜んでくれている。
生後10ヶ月で少しだが、話せるようになった私。
「パパ」、「ママ」、「でんしゃ」、「ぶーぶー」。
そんな言葉で、他人を幸せにできるのだから、こんなにありがたいことはない。
その時の両親の嬉しそうな表情と、兄のどこか嫉妬心に満ちた不貞腐れような顔が、記憶に残っている。
1歳
この頃になると、言葉は普通に話していたそうだ。
ハイハイよりも先に、言葉を覚える赤ちゃん。
我ながら想像すると、ゾッとする。
記憶に残っているのは、アニメーション。
「トムとジェリー」、「バッグス・バニー」など、外国のアニメーション作品のビデオを、テープが擦り切れるまで観ていた。
私は、24歳までアンパンマンを、フルで観たことがなかった。
父親が「トムとジェリー」を観て、涙を流しながら笑っているのを見て、内容もわからず嬉しくて、何度も観ていた記憶がある。
今、思えばこの頃から、周りを喜ばせたりすることが、好きだったのだろう。
2歳
私の中で革命が起こる。
それは、「テレビゲーム」との出会いである。
当時、スーファミ(任天堂が制作したスーパーファミコンという家庭用ゲーム機の通称)を見ているだけだったが、とうとう、自らコントローラーを握った。
一番古い記憶に残っているのは「ぷよぷよ2」。
自分が押したボタン通りに、画面のぷよぷよが動く。
自分が世界を動かしているような高揚感を、今でも鮮明に覚えている。
しかし、そんな気持ちも虚しく、手加減してくれない兄に負けて悔し泣きしたのを覚えている。
この時に初めて、悔しいという感情を抱いた。
そして、兄に負けたくないという感情は、この後の人生の大きな命題になる。
ただ、タイミングが早すぎた。
男の子なら、皆が通るとされている、電車・ウルトラマンなどの類は、ほとんど全て一週間で飽きてしまった。
絵を描いたり、ハサミで紙を切ったり、そんなことは、もちろんしておらず、「不器用」というコンプレックスが後々残ることになる。
次に、私が覚えた感情は「尊敬」である。
スーファミと出会ってから、現在まで恐らく1000を超える数のゲームを遊んだ私であるが、最初の壁は「ドンキーコング」であった。
何回やっても、クリアできないステージがあった。
私は悔しくて泣いた。
何が悔しかったのか、何となくしか分からないが、恐らくクリアできない=自分を否定される、という感覚が幼いながらにあったのだろう。
そこに現れた救世主が、父であった。
昔からゲームが得意であった父は、私がクリアできなかった難所を、スラスラと越えていく。
そんなことで?と疑問に思うかもしれないが、私にとっての父は、その時から尊敬の対象になった。
後日談ではあるが、父は、私や兄がゲームでクリアできない壁にぶつかった時に、手を差し伸べられるよう、夜な夜な練習していたらしい。
母から聞いたところによると、父の考え方は、「ゲームは想像力を伸ばすのに絶好のおもちゃ。ただ、息子が壁を越えられなくなって諦めるという習慣が幼いながらに付くのが怖かった」、というものだったらしい。
母から、それを聞き、怖いというところが、父らしいと思う反面、父も楽しんでいたくせに、何かっこつけてんだよ、と言いたくなる。
3歳
近所に女の子のさーちゃんという子がいた。
同い年で、女の子の幼馴染。
まるで、漫画のような設定だが、男勝りのさーちゃんは、可愛い顔をしているが最強だった。
そして、お互いに負けず嫌いなこともあり、何度もぶつかり喧嘩した。
でも、勝てる気がしなかった。
ただ、この時の出会いが今も私の中にある諦めない力の根っこなのかもしれない。
あるエピソードを覚えている。
さーちゃんと家でプールに入っていたときである。
「さーちゃん女の子なのに裸だ!」
「だいちゃんだって裸!」
「俺は男の子だからいいの!」
「男の子だって裸はダメ!」
「...え?ほんと?」
「ほんと!」
「ちんちんが付いてるから?」
「知らない!!」
この時、おそらく私は、さーちゃんに対して、何となく恥ずかしい気持ちになった。
それは、私が「ちんちん」という人間が一番初めに覚える下ネタを披露したからではない。
私の方が何でも知っいてる、と思っていたにも関わらず、さーちゃんの方が知っていることがあったこと。
そして、何より、男の子も女の子も裸がダメな状況に、子どもながらに違和感を覚えたからだろう。
その夜に、母とお風呂に入るのが、すごく恥ずかしくなったのを覚えている。
でも、オバケが出るといけないので、嫌々いっしょに入ったのを覚えている。
父は、まだまだすごかった。
3歳にもなると、今でも無理ゲーと言われるようなゲームも、諦めなければクリアできるようになっていた。
子どもの成長のスピードの速い。
でも、どうしても、父に適わなかったゲームがある。
それは「テトリス」である。
テトリスは、ソビエト連邦の科学者が作ったゲームで、単純なシステム。
様々な形のブロックが、上から下に落ちる。
それを上手く組み合わせて、横1行隙間なく繋げると、消えて点数になる。一気に消える行の数が多いほど、点数も多くもらえる。
スーファミのテトリスの難易度は異常で、途中から落ちてくるブロックが、早すぎて見えない。
ある日、何の気なしにテトリスを始めた。
すると、最高得点欄の点数の表示が9999999となっている。
私はゲームが壊れた残念さを、父に伝えた。
「父さんテトリス買ったばっかりなのに壊れてもうた。」
「ん?付いてるやん?どこが壊れてんの?」
「点数のところ見て!9ばっかり!」
「あぁー、昨日やってたらそれ以上いかんかってん。」
「え?どういうこと?」
「物事には、何でも限界があんねん、まぁ見とき。」
「げんかい?」
「それよりも、上がないってことや。」
と言いながら、見えないスピードで落ちてくるブロックを、ドンドン積み上げて、一番長い棒で、五行を一気に消すという行為を繰り返す父。
しばらく、無言で続けていたが、途中で患者さんが来たことを知らせる音が鳴る。
父は舌打ちをして、歯科医の白衣を来て仕事場へ向かった。
ここで知ったことは二つある。
一つは物事には、「げんかい」があること。
そして、父は仕事が嫌いだということ。
父が施術を行っている間に、父が途中で止めたテトリスを、私が途中から始めたてみた。
しかし、為す術なく、落下速度の速すぎるブロックは、すぐに最上段まで積み上がり、ゲームオーバーになった。
私は、仕事が終わって、父が戻ってきたら、怒られることを覚悟して謝った。
「お父さん。ごめんなさい。途中から勝手にやりました。」
「ええねん、ええねん、あのスピードから急に始めたら、目が追いつかんから、どうせ、すぐに終わってまうねん。」
「げんかい」って何なんだろう、と子どもながらに感じた。
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