第12話 気付いたらそこにいる奴

「……で、そのカギの意味は?」

「くっ――だから、あの……俺だけじゃ不安だし失くしそうだから、亜南あなみにも預かってて欲しいというか……お――」

「お……?」


 無意識な仕草かもしれないが、亜南は俺を見下すかのようにのけ反りながら腕組みをしている。予想通りと言わんばかりの態度と姿勢だ。

 

「家の鍵を預けたいので、どうかお願いシマス」

「何で片言……? まぁ、いいけど。じゃあ……はい」


 以前預けた時は仕方なくといった感じだったのに、今回は手の平を両手で差し出して大事そうに受け取ってきた。


 くそぅ、こういうところがあざといんだよな。


「……じゃあ、またな亜南」


 亜南に鍵を預けるという俺のミッションは終わった。後は部屋に戻って寝るだけだが、まずはせっかくもらった軍資金で適当に食材を買ってこなければ。


 鍵はともかく、いつまでも亜南に構ってられない。


陽斗はると、ちょっと待った!」

「んー? まだ何か文句が?」

「まさかすぐ寝るとかじゃないよね?」

「それはさすがに無いけど」


 ◇


 夏休みに入る直前の昨日。

 単身赴任中の親父に加え、母さんも長期出張に行くことになった。


「一か月半!?」

「そうなの。だからはるちゃんには一応、いくらかお金を置いておくけど……追加は無いからきちんと計算してね? 足りなくなっても知らないから」

「も、もし足りなくなったら?」

「アルバイトで何とかすればいいんじゃない?」


 ――という、半ば強制的かつ放置状態で母さんから軍資金を頂いた。

 まるでバイトをすることを前提としたような言い方だった。


 毎日たらふく食べると、絶対に足りなくなるという計算になる。

 即席めんはともかく、料理が出来ない俺には正直しんどい。


 ◇


「ふーん……今からどこか出かけようとしてた系?」

「そりゃまだ夜7時だからコンビニくらい行くだろ」

「あーはいはい。コンビニね……帰って来てしばらくしたら寝るだけだろ?」

「それはお前もな」

「ウチはコンビニ行かないし。ま、とにかく分かった。はそれでいいんじゃない?」


 また何やら訳の分からないことを言い放つ奴だな。しかし亜南の言うことをいちいち気にしてたら身が持たないので、とっとと玄関のドアを閉めた。


 鍵を預けたといっても、むやみに入らないというルールを決めさせてもらった。

 いくら何でも亜南も勝手に入って来ないはず。


 そもそも玄関のドアを開けたらさすがにすぐ気づくだろ。


「…………」


 夢の中か、どこか遠くの音なのか、何かを炒める音が聞こえてくる。しかも割りと本格的な鍋振るいの音のような感じだ。


 タワマン内にはさすがに飲食店は無いものの、周辺には飲食店も多いので音が聞こえて来ても不思議は無い――わけが無く、いくら低層階でも聞こえて来るはずが。


 そう思いながら寝返りを打とうとしたら、


「……あっつぅぅ!? な、なんだ、何事!?」


 口元に熱を持った何かが接触してきた。しかも少し辛みがある。


「か、からっ……辛い」

「味覚は正常か。なるほど……じゃあこれはどうかな」


 夢にしてはリアルすぎるが、タオルか何かでゴシゴシと拭かれている感触だ。その直後、何かが何度も俺の下唇をつねったり引っ張ったりしている。

 

「んむむむ……」


 息は出来るもののやられっぱなしなような気がするので、口を動かしてを全力で舐めてみることにした。


「――あっ……」


 今の声は絶対に誰かの声だな。

 というか誰かいるのか?


「はっ? 亜南……か?」


 思いきって目を開けると、そこにいたのは奴だった。お前かよ。


「あーあ。陽斗に汚されちゃった」

「……一応聞くけど、何が?」

「思いっきり舐め回したじゃん。見て分からない?」


 亜南がやたらに気にしているのは指先のようだ。寝惚けながらも目を細めて奴の指を眺めると、ほんの少しだけ濡れている。


「まさか……?」


 亜南がこくんと首を動かして無言で頷く。

 要するにやってしまったと。 


 ――というか、気づいたらそこに奴が座っていて俺にちょっかい出してるとかおかしいだろ。


 やはり鍵を預けたらこうなってしまうのか。


「そもそもおかしいだろ!」

「んー? 何が?」

「お前、鍵を預けた時のルールを早くも破ったじゃないかよ! むやみやたらに勝手に入ってくるなって言ったはずだぞ?」

「ふーん……ウチにそういうこと言っていいのかなぁ?」


 勝手に入って来た奴に何をおそれることがあるっていうんだ。

 そう思っていたのに……。


「何が起きるって言うんだよ?」

「……ふふーん、これなーんだ?」

「あん? あっ!? えっ? それ、そのお金……何で――」


 うかつだった。コンビニから帰ってご飯食べてすぐ寝落ちしたとはいえ、亜南の目の届くところにお金を置きっぱなしにしておくとか完全なる油断だ。


 こうならないようにとっとと電子マネーに変えとけばこんなことには……。


「鍵は別にしてもさー、ちょっと気を緩めすぎじゃない? ママさんから貰ったお金をその辺に置きっぱなしにするとか、不用心にもほどがあると思うんだ」

「いくら何でもそれはあんまりだろ……鍵を預けたからってに触れるのは違うって!」

「別に盗らないけど。でもウチが入って来ることくらいは想定してたと思うんだけどなー。こんな危なっかしいなら通うしかないかなって思うんだけど、どう思う?」

 

 また怪しいことを言い出してるな。


かよう……?」

「うん。どうせコンビニ飯で済ませるつもりなんだろ? でもそれだと持たなくない?」


 ちっ、何もかもお見通しなことを言う奴め。


「それはそうだけど……無くなったらバイトでも探して何とかすればいいだけで」

「甘い! 甘ーい!! それじゃあ駄目なんだからね? どうせバイトも探す気なんて無いんだろ?」

「――う」


 バイトが決まったとしてもすぐにお金をもらえるわけでもないし、これはやってしまったか。


「そこでウチの出番なわけ!」

「何かバイトを紹介でもしてくれるのか?」


 短時間でも何かあればいいけどな。


「うん。紹介するよ!」

「え、マジか? 変なバイトじゃないんだろうな?」

「は? バカなの? あ、バカだったね、ごめん。それと通う話の続きだけど、朝と夜はウチがご飯作りに来てあげるから、コンビニで買うのは禁止だから!」


 冗談だろ? じゃあさっきの辛いアレは毒味をさせたってことじゃないかよ。


「鍵の有効活用かよ……」

「そうそう。よく出来ました! お昼以外はウチの手料理を食べれるんだからありがたく思うよーに!」


 味はまだ何とも言えないが、これでご飯は確保出来たということなのか。


「……で、バイトの方は?」

「とりあえず、朝ごはんの続きをするから早く着替えてくれる?」

「分かったよ……はぁ」


 これからほぼ毎日顔を合わせることになりそうだな。


「朝ごはん食べ終わったら一緒に出かけるからね!」

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